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国民国家や主権国家に関する簡易的なまとめ〜儒教系統の国家〜

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【国民国家】

(儒教系統の認識)
彼は国民国家を正当と認識しない。

国民国家は西洋由来の国家システムである。彼がこのシステムを採用するとき、国家システムに関する認識や善悪、善悪の判断に関する主導権を白人に奪われる可能性がある。

国民国家は歴史的にも正当でない。なぜなら、東洋文明が国民国家システムを導入したのはここ150年である。当然であるが、幕府やモンゴル帝国や漢王朝は国民国家システムでない。

彼が国民国家システムを採用し続けるとき、彼は彼の文明的な自己認識を永遠に失うだろう。

(儒教系統の認識)
彼が国民国家を正当と認識するとき、彼は損害を被る。

その損害は失礼や非礼であるので、その損害は悪い。だから、損害の原因である国民国家も悪く、除去される。

その損害とは次である。例えば、彼が国民国家を正当と認識するとき、欧州人が彼らの統治機構と国家をアメリカ大陸に形成する。この時、彼らは核爆弾をもち、俺らにアメリカ大陸から落下させる能力を持つ。

彼はこの状態を将来的な損害と審判する。この損害を除去するためには、彼は国民国家を正当と認識せず、かつ国民国家に関する約束を合意しないことが重要になる。

(儒教系統の認識)
彼が国民国家を正当と認識するとき、彼は商業的な損害を被る。

その損害は失礼や非礼であるので、その損害は悪い。だから、損害の原因である国民国家も悪く、除去される。

その商業的な損害とは次である。例えば、彼が国民国家を正当と認識するとき、欧州人が彼らの統治機構と国家をアメリカ大陸に形成する。この時、彼らはアメリカ大陸における資源や食料を人工的であるが、合法的に所有する。

そして、彼らはその資源や食料を俺らに売りつけて、富を蓄積する。一方、彼はその資源や食料をアメリカ大陸の欧州人から購入する必要がある。その富は軍事力へと変換される。

彼はこの状態を将来的な損害と審判する。加えて、彼はこの状態を一種の奴隷的な状態と認識する。この損害を除去するためには、彼は国民国家を正当と認識せず、かつ国民国家に関する約束を合意しないことが重要になる。

【国民国家2】

(儒教系統の認識)
欧州では、欧州人の民族宗教はキリスト教に完全に敗北したので、彼らは自己認識を彼らに授ける民族宗教を持っていない。

キリスト教は仏教と同様に世界宗教であり、民族宗教でない。本来であれば、彼らは自己認識を授ける民族宗教と文明における対外的な意思疎通としての世界宗教を二重に作る必要があった。

例えば、神道が大和民族の自己認識を彼らに与える。道教?が漢民族の自己認識を彼らに与える。テングリ信仰?がモンゴル民族の自己認識を彼らに与える。東洋文明における意思疎通ために、儒教や仏教が存在する。この状態が普通であり、文明的である。つまり、民族信仰(宗教)+世界宗教の組みが正常である。

(儒教系統の認識)
国民国家が欧州人の自己認識を民族宗教の代わりに授けてしまっている。

つまり、欧州における国民国家(nation)がある種の民族宗教(信仰)になっていて、それが民族を与えている。欧州人にとって、国民国家とは、失われた民族意識を穴埋めするものである。

その結果として、欧州では、国民意識が上昇するとき、彼らは歪な民族意識が国民国家の形を借りて台頭してくる。欧州人は自己の認識を彼ら自身で授けるために、民族宗教(信仰)をきちんと作るのでなく、国民国家を利用する。そのため、彼らの民族意識が台頭するとき、国家戦争が発生しやすい。代表例はドイツである。

本来であれば、欧州人は民族的な自己認識を国民国家から切り離して、きちんとした民族宗教(信仰)を与える必要がある。つまり、彼らは彼ら自身の民族的な神話を彼ら自身で形成する必要がある。けれども、彼らは自己の神話を捨て、キリスト教を受け入れて、かつ彼ら自身の民族的な神話を形成することができない。

(儒教系統の認識)
神話や民族宗教(信仰)が人工的な意味での民族を授ける。

 神話や民族宗教(信仰)が人工的な意味での民族を授ける。本来であれば、欧州人は自己の民族信仰を維持して、その上でキリスト教を受け入れるべきであった。けれども、彼らは自己の民族信仰を否定した結果、彼らは自己の認識を失った。

近世以降における異人種や異民族との接触な結果として、その穴埋めとして、国民国家が生じたように思える。なぜなら、欧州人には、人工的な自己認識が存在してこなかった。異人種には、自己認識を授ける民族信仰(民族宗教)が存在したが、欧州人にはキリスト教しかなかった。

(儒教系統の認識)
欧州人(白人)は自己の神話を失ったので、国民国家が欧州人の民族を彼らに授ける役割を果たしてしまっている。

彼らは印欧語族の神話を信仰していたはずである。けれども、ローマ帝国によるキリスト教の受け入れの後、彼らは自己の民族を与える神話を奪われた、または放棄してしまった。

その結果、欧州人(白人)は自己の民族を失い、彼らは彼ら自身が誰であるのかすらわからなくなったように思える。その自己認識の崩壊(identity crisis)を埋めたのが、近代における国民国家であるように見える。つまり、国民国家が一種の神話を欧州人(白人)に授けて、その神話が国家の形を借りて、民族を欧州人(白人)はに与えているように見える。

だからこそ、アメリカ国民がアメリカ人になり、オーストラリア国民がオーストラリア人になり、カナダ国民がカナダ人になり、ドイツ国民がドイツ人になり、イギリス国民がイギリス人になる。

(儒教系統の認識)
彼は国民それ自体を民族の代わりとする状態を悪と判断する。

彼は国民国家を西洋(キリスト教)系統の国家を認識する。彼は東洋文明を東洋地域に実現することを目的とする。だから、国民国家はその目的に反するので、彼は国民国家を悪いと判断する。

さらに、東洋文明における東洋人は自己の民族信仰(宗教)を維持し続けている。例えば、神道は大和民族に民族信仰を授けて、道教?は漢民族に民族信仰を授けて、テングリ信仰?はモンゴル民族に民族信仰を授けている。ボン教?はチベット民族に民族信仰を授けている。

このように、東洋文明では、国民国家それ自体はある種の擬似的な民族を東洋人に授けていない。東洋人は国家と民族(民族信仰)と世界宗教(または文明内宗教)を分けて認識している。

(儒教系統の認識)
東洋文明では、半人工的な意味での民族は神話(民族信仰)によって認識される。

彼は民族を小人種の部分集合とも認識する。この場合は民族は遺伝的に知覚及び認識される。

つまり、東洋文明では、彼は半人工的な意味での民族を国民国家の中に認識しない。あるホモ・サピエンスが大和民族であることはあるホモ・サピエンスが日本国民であることと異なる。

そして、彼は国民国家が民族の代替となることを正当と認識しない。彼は国民を疑似的な民族と認識する。

【主権国家】

彼は主権について述べるつもりである。現在、ロシアはウクライナを併合しようとしている。この行為は「主権侵害」として批判されている。

(儒教系統の認識)
彼は主権を西洋文明系統の考えと認識する。

言い換えると、主権とは、西洋文明における考えである。しかし、主権が西洋文明におけるキリスト教系統の考えであるのかは不明である。

主権は国民国家の概念に関係する。この国民国家(nation-state)は西洋文明における国家制度である。主権はキリスト教系統でなく、この国民国家(nation-state)に近いように思える。

(儒教系統の認識)
彼は主権を東洋文明系統の考えと認識しない。

彼は主権を東洋文明系統の考えと認識しない。彼は主権を儒教系統の考えと認識しない。彼は主権を仏教系統の考えと認識しない。

 (儒教系統の認識)
彼は主権という考えを善と儒教系統の善悪で判断しない。

一番目には、東洋文明及び儒教的な正当性がない。

二番目には、次の問題が生じる。例えば、彼が主権を正当と認めるとき、欧州人がアメリカ大陸に主権国家を形成する可能性がある。もし彼が主権を認めるならば、彼はその欧州人による主権国家も認める必要がある。

しかし、欧州人が主権国家を形成するとき、その国家は損害をモンゴロイド人種に与えてきた。彼がこの損害を非礼と審判するとき、彼はその損害を悪いと判断する。このとき、彼はその原因である主権国家も悪いと判断する。

(儒教系統の思考の規範)
もしある主体が西洋文明に所属しないならば、その主体は主権に沿って運動しない。

対偶をとると、もしある主体が主権に沿って運動するならば、その主体は西洋文明に所属する。

彼は国家の主権それ自体を東洋文明で正当と認識しない。また、彼は国家の主権それ自体を認めない。上記の思考の規範を使用すると、彼は西洋文明に所属しないので、彼は主権に沿って運動しない。

一方、米国や欧州は主権に沿って運動する。だから、上記の思考の規範の対偶を使用すると、彼らは西洋文明に所属する。

【主権と自己】

彼は主権国家と自己について述べるつもり。結論では、彼はもしある国家が自己を持たないならば、その国家は国家でない。西欧文明では、国家の条件は主権に関係するが、彼はこの主権を善と判断しない。

(儒教系統の思考の規範)
もしある主体が国家を形成するならば、その主体は自己を持つ。

もしある主体が自己を持たないならば、その主体は国家を形成しない。自己国家は自己を持つ国家である。

もしある主体が国家を形成するならば、その主体は自己を持つ。もしある主体が自己を持たないならば、その主体は国家を形成しない。自己国家は自己を持つ国家である。

この自己には、自己の言語や語族がある。自己の民族や自己の人種、自己の宗教、自己の文明が必要である。一般的には、もしある国家が自己を持たないならば、その国家は自己を持つ国家に吸収される。

例えば、ベルギーやスイスやオランダやデンマークは自己を持っているように思える。これらの国家は隣の国家と何が異なるのかがわからない。けれども、彼らは西欧文明における主権を持っている。

上記はロシアとウクライナにも言える。ウクライナは主権を主張するが、彼らは自己がないように見える。彼らが掲げる自由と民主もまた西欧の自己であり、東欧の自己でない。ウクライナは自己を持っていないからこそ、彼らはロシアと戦争している。

一方、イギリスとドイツとフランスとロシアは明確な自己を持っている。言い換えると、彼らは明確な境界を互いに持っている。

(儒教系統の思考の規範)
もしある主体が自己を形成しないならば、その主体は別の国家に吸収される。

もしある主体が自己を形成する能力を持たないならば、その主体は自己の国家を建国する能力を持っていない。

もしある主体が自己を形成しないならば、その主体は別の国家に吸収される。個人的には、俺はもしある主体が自己を形成することができないならば、その主体は国家を建国する能力を持っていないと認識する。

【会社型国家】

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