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崇拝対象に対する3種類の考え【選手崇拝と統治者崇拝、創造者崇拝】

選手崇拝

儒教系統の認識 もしある主体が統治や創造を認識しないならば、その主体は選手を崇拝する。

言い換えると、もしある主体が統治や創造を認識しないならば、その主体は最も上手に競技する選手を崇拝する。選手には、実際の運動選手や医者や弁護士、(理系の学者)学者が存在する。現場崇拝も同様である。

この種の主体には、統治や創造という認識が存在しない。そのため、統治者や創造者が崇拝対象にならず、その代わりに、選手が崇拝対象になる。

大和民族は選手崇拝という習性をもっている。なぜなら、彼らは統治や創造を認識していない。そのため、選手が統治者や創造者よりも偉くなる。

大和民族は社会や文明や宗教や国家の創造や統治を空気や自然界のような元からある何かであると感じているように見える。だから、与えられた世界で最もうまく競技する主体が最も偉くなる。

実際、学者や医者や弁護士は統治者よりも偉そうであり、彼らは完全に勘違いしている。特に、理系の学者は彼ら自身が人類の文明を作っていると勘違いている。

この種の思考は子供が父が創造し、父が管理、統治してきた家庭を認識できないようなものである。しかし、大人になり、独立すると、創造や統治をわかるようになる。言い換えると、選手崇拝は子供崇拝である。

統治者崇拝

儒教系統の認識 もしある主体が創造を認識しないならば、その主体は統治者を崇拝する。

上記は中国の習近平やロシアのプーチンやドイツにおけるヒトラーがそれに当てはまる。創造者でなく、創造者によって創造された競技系(システム)の統治者が最も偉くなり、崇拝対象になってしまう。

本来であれば、中国を作った人々、孔子や始皇帝が崇拝対象になり、その作られた競技系を管理、統治する主体は崇拝対象にならない。

しかし、ある種の人々は創造という認識を持たず、創造された対象を自然界のような何かであると認識する。

そのため、創造者の代わりに、統治者が崇拝対象になる。ただし、統治者崇拝は選手崇拝よりもより文明的である。

創造者崇拝

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