民と国家の分離性と密着性について
背景
儒教系統の認識
(1)西欧白人は民を国家から部品のように分離させる。
例えば、アメリカ合衆国はアングロサクソンの国家であった。しかし、現在では、昔ほど、アメリカ合衆国はアングロサクソンの国家でない。
おそらく、有色人の大部分はこの状態に違和感を覚えるだろう。なぜなら、彼らはもしアメリカ合衆国がアングロサクソンの国家でなくなったならば、アメリカ合衆国はもはやアメリカ合衆国でなくなる。
有色人はおそらくこのように考えているはずである。なぜなら、彼らは民と国家を密着させる。または、民と国家は不可分であり、密着しているものであると考えている。
例えば、もしイラン人がイランからいなくなったならば、そのイランはもはやイランでない。アメリカも同様である。しかし、西欧白人はそのようには考えていない。彼らは民と国家を部品のように置き換える。まさに、機械論的な自然観である。
密着国家と分離国家
儒教系統の認識
(1)密着国家とは国家である、かつそこでは民と国家が不可分である。
(2)分離国家とは国家である、かつそこでは民と国家が分離可能である。
密着国家には、中国やインドや日本、韓国やイランが存在する。分離国家には、西欧諸国が存在する。特に、国民国家の国家では、その国家は分離国家である。
儒教系統の判断
(1)俺は密着国家を善と判断する。
(2)俺は分離国家を悪いと判断する。
ただし、もしある国家が不自然であるならば、俺はその国家を悪いと判断する。そのため、たとえある国家が密着国家であるとしても、俺はその国家を悪いと判断する。
分離国家とその悪意
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