君は創造主を信じるか?
コーカサス人種はヤハウェやキリスト、アッラーを信仰している。言い換えると、彼らはこの世界の創造主を信仰している。なぜ彼らが創造主を信仰するのかは不明である。
この種の考えには、「(1)感覚的なもの(2)理屈的なもの」がある。以下では、俺は創造主を信仰するという感覚的なものを提示する。
一般的には、創造主を感覚的に信仰することは非現実的で、奇妙に見える。しかし、現実的な例をうまく提示すると、創造主を信仰することは感覚的にもそれほど奇妙でない。
前提
儒教系統の認識 創造者と統治者と競技者を区別する。
創造主を信仰するためには、創造に対する認識が必要である。例えば、大和民族は創造に対する認識を持っていない。そのため、彼らは選手が創造主であると感じているように思える。
自分が何らかの社会や何らかの競技に所属するとき、その社会や競技がある主体によって創造されたかもしれないと考えるのが創造主に対する信仰の芽生えである。
もしある主体が自分が所属する社会や競技、組織や集団を作っていると感じるならば、その主体は創造主をあまり信仰していない。彼らにとっては、トヨタも東京大学も彼ら自身が作ってきた何かである。トヨタも東京大学も創造された何かでない。
日本国は天皇によって創造されたか?
儒教系統の認識 もしある主体が日本国が天皇によって創造されたと信仰するならば、その主体は創造主を信仰している。
上記は創造主に対する明確な信仰である。または、父に対する信仰と言ってもよい。もし別の主体が「日本国は自然発生的に生じた」と考えるならば、その主体は創造主を信仰していない。
または、もし別の主体が「日本国は大和民族みんなで”作ってきた”」と考えるならば、その主体は創造主を信仰していない。このとき、この種の主体は創造それ自体を”認識”していない。
より現実的には、天皇が日本国を創造して、誰かがそれを発展させて、大和民族がその世界の中で競技してきた。または、彼らは天皇によって創造された世界を維持してきた。
すこし宗教的にいうと、日本国を創造するためのナニカが存在したかどうかが信仰の分かれ道になる。その何かは実際の人物でもよく、肉体の中に潜む魂のような何かでもよい。
現代的な世界は白人によって創造されたか?
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