脳外科医竹田くんと大和民族の民族的な問題点について
以下では、俺は脳外科医竹田くんに関する問題点を提示する。
【システム設計】
(儒教系統の認識)
大和民族の医者は自己の社会システムを彼ら自身の言葉で設計することができない。
たとえ上記の状態が生じるとしても、大和民族の医者は竹田くんの実名を公開するようなシステムを彼らの言葉で形成しようとしない。さらに、彼らは竹田くんの医師免許を剥奪するようなシステムを彼らの言葉で設計しようとしない。
俺の印象では、そもそも、大和民族の医者は自己の社会システムを設計するための善悪(レッドカード)を持っていないように思える。白人はキリスト教徒やユダヤ教徒であり、彼らは彼らの社会システムをキリスト教系統の善悪で設計してきた。
それに対して、大和民族の医者は善悪(レッドカード)それ自体を持っていないように思える。そのため、彼らは自己の社会システムを原理的に設計することができない状態にある。善悪なしに、社会システムを設計しようとするのは無謀であり、それはレッドカードがない運動競技のようなものである。その競技では、選手は少年漫画のようになんでもありの状態である。
例えば、大和民族の医者は竹田くんの実名の公表を善とも悪とも判断することができない。彼らは竹田くんの医師免許の剥奪を善とも悪とも判断することができない。彼らは「俺は実名を公開することを悪いと判断する。」とも表現しない。彼らは「俺は医師免許の剥奪を悪いと判断する。」とも表現しない。
個人的には、もし彼らが実名の公表を悪いと判断するなら、医師免許の剥奪を悪いと判断するならば、彼らはその善悪を表現するべきである。しかし、大和民族の医者は彼らの善悪を表現しない。彼らは何かを説明して、事情を説明して、他人に納得してもらおうとする。
結局、大和民族の医者は彼ら自身の善悪を表現しないので、彼らは他者と交信(コミュニケーション)できない。さらに、彼らは善悪を表現しないので、善悪に矛盾する悪い行為を理論的にすることができない。また、善悪がない状態では、彼らは無限に無責任に見える。
【選手崇拝】
(儒教系統の認識)
大和民族は階層や階級を嫌うので、先生が無敵になる、または特権化する。
言い換えると、大和民族は選手や現場を崇拝して、貴族階級やちゃんとした社会階層を嫌う。その結果、医者や弁護士、学者や教師、報道が無敵になる。彼らはちゃんとした貴族や階層に代わって、貴族の義務を果たさない状態で、特権化する。
百姓は政治家を「日本の政治家は馬鹿である」と馬鹿にする一方、百姓は暴力教師を先生、先生と呼んで、ご指導ありがとうございます!と感謝する(実際はただの暴力であったりする)。一般的に、百姓という平民はちゃんとした貴族を嫌う一方、医者や学者を先生、先生と呼んで、彼らを貴族のように扱う。彼らは貴族を嫌うが、貴族ごっこを好む。
また、大和民族の医者も先生、先生と呼ばれて、勘違いする。彼らは互いを先生、先生と呼んで、気持ち良くなって、貴族ごっこや公開キャバクラごっこを繰り返しているように見える。勘違いした先生には、教師や学者、弁護士が存在する。
竹田くんの例では、彼は医療過誤をおそらく起こしているのにも関わらず、彼の実名が公開されない。そして、彼はその医師免許を剥奪されず、医者をやり続ける可能性がある。また、竹田くんを批判すると、彼が訴えてくる可能性もある。大和民族はこれに対して不平不満を述べるだろう。
しかし、この状態を作っているのは、大和民族の百姓自身である。これは、保護者が暴力教師を肯定するので、この教師がいつまでも排除されないことに似ている。大和民族も医者を先生、先生と煽てて、ペコペコするので、この種の状態が生じる。
【歴史?】
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