
新儒教における善悪〜小まとめ〜
以下では、創造主は儒教系統の善悪を提示する。一般的に、宗教が異なると、善悪が互いに異なる。例えば、キリスト教では、平等が善であるが、儒教では、平等は善でない。キリスト教では、罪は悪いと判断される。儒教では、礼に反する事柄が悪いと判断される。
宗教を運動競技と例えると、日常的にも、サッカーのレッドカードはバスケのレッドカードと異なる。例えば、サッカーでは、ボールに手が触れることは悪であるが、バスケでは、その行為は悪でない。このように、自己の競技系(社会やシステム)を形成するためには、善悪を創造する必要がある。そこで、彼は儒教系統の社会を形成するために、儒教系統の善悪を創造する。
1節 善悪の一般論
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