俺ら(katotoorera)の政治信条〜富について〜
以下では、俺は東洋文明における富について提示する。富は所有行為に関係する。だから、俺らが富を考えるとき、俺らは所有及びその主体を提示する必要がある。これは「お金について」の継続である。
画像:https://unsplash.com/photos/dW6dFBoHUu4
1章 富
富:富とは、人間が所有する対象である。
富とは、人間が所有する対象である。この文が成立するためには、人間と所有に関する定義や認識が必要である。多くの宗教は人間や所有が何であるかを与えてきた。
この対象は基本的に物質である。例えば、俺らは電子計算機を所有する、土地を所有する、または食物や金貨を所有する。この時、俺らは富を認識する。もしある対象が所有それ自体を認識していないならば、その時、その対象は富も認識していない。
Wealth is the abundance of valuable financial assets or physical possessions which can be converted into a form that can be used for transactions. https://en.wikipedia.org/wiki/Wealth
富が何であるのかは難しい。例えば、上記では、asset や possession という単語が登場する。俺は asset が何であるのか知らない。交換や富の数字化を考慮すると、富が何であるかを現時点で明確にできない。だから、俺は富を所有で感覚的に(原始的に?)捉える。
2章 自然な富
自然な富:自然な富とは、人間が自然に所有する富(対象)である。
自然な富とは、人間が自然に所有する富(対象)である。例えば、アメリカ先住民が彼らのアメリカ大陸やその上の資源を所有しているとき、そのアメリカ大陸やその資源は自然な富である。
一方、例えば、欧州人がアメリカ大陸やその上の資源を所有しているとき、そのアメリカ大陸やその資源は自然な富でない。不自然な富とは、人間が不自然に所有する富である。この場合、欧州人が所有するアメリカ大陸やその資源は自然な富でない。
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