ネオサイバネティクスの開拓:自己有用存在の生成と社会化
私は、生命の起源や、知能や社会について、システム工学の観点から個人研究をしています。そして最近、この個人研究に共鳴する、ネオサイバネティクス(Neo-Cybernetics)という立ち上がったばかりのコミュニティに参加しています。
この記事では、これまでの研究の中で見つけてきたフィードバックループの収束点としての自己有用性を持つ存在を中心に、考えを深めていきたいと思います。
自己有用性とは、自分自身の存在や振る舞いが及ぼす影響が波及していき、結果として自分自身の存在や振る舞いが維持されたり強化されるような性質です。かつ、単一の振る舞いや単一のフィードバックループだけでなく、複数の振る舞いやフィードバックループを束ねたものを含みます。この自己有用性を持つ存在を、自己有用存在と呼ぶことにします。
自己有用存在は、新しい自己有用存在を生み出すことがあります。そして、新しい自己有用存在が生み出される過程には一定の共通的なステップがあります。これを自己有用存在の生成モデルとして、生命の起源における化学進化を代表例として取り上げて整理します。
次に、自己有用存在の生成には、複製、進化、開拓という質の異なる3種類のパターンがあることを見ていきます。その上で、自己有用存在が様々な次元で相互接続して多次元的なネットワークを形成している様子を、自己有用存在の社会として整理します。そして、意志を持つ私たち人間が、その自己有用存在の社会に対して影響を与えることについて考えていきます。
科学技術の社会的な影響やリスクが大きくなっている現代において、社会全体への影響を考慮しつつ、意志決定を行うことの重要性は年々増してきています。自己有用存在の社会という観点から、医療におけるトリアージやQOLやインフォームドコンセントなどの考え方を応用して、意志決定の高度化を図っていくべきだという考えを述べていきます。
■生命の起源における生成と独立のステップ
生命の起源についてシステム工学の観点から個人研究を進める中で、私は地球の水の循環が化学物質を運び、化学反応連鎖の自己強化的なフィードバックループを形成することが、生命誕生のきっかけとなっていたという仮説を立てました。そして、初期には地球の水の循環に頼って形成されてきた多数の化学反応のフィードバックループの一式が、脂質の膜に包まれることで、細胞原型のようなものが生み出されたというストーリーを立てています。
これは、構造と循環をもった基礎システムの上に、自己強化や自己調整機能を持つ仕組みとしてのフィードバックループが現れるという第一段階、そしてそこから徐々に生成されるものの原型が作られるという第二段階、そして、その原型が基礎システムから独立するという第三段階を経ることで、生成と独立が行われるという様子を示しています。もちろん、この過程は実際にはもっと多面的で、多段階であったりアナログ的な遷移ですが、議論を分かりやすくするために三段階のステップとして表現しています。
■フィードバックループの収束点としての自己有用性
このモデルで、フィードバックループの一式の収束点となり自己という存在を強化したり調整したりする性質を、自己有用性と私は呼んでいます。自己有用性は、自分で自分の存在の役に立つように、各種の観察や、活動や調整、状態遷移や決定を行う能力です。
このフィードバックループ一式には、自己の内部に収まっている物もあれば、外界や他の存在とのやり取りを必要とする物も含まれます。独立と言っても、完全に外界との依存関係が切り離されるのではなく、他の存在の自己有用性に庇護される状態からの独立を意味します。
その観点から言えば、自己有用性とは主体性ととても近い意味を持ちます。ただし、主体性は一般的には意志を持つわれわれ人間に対して使う言葉ですので、例えば、細胞が自己有用性を持つからと言って、細胞が意志を持つわけではありません。この誤解を避けるために、主体性ではなく自己有用性という人間にも非生物にも使える言葉を用いています。
■自己有用存在の生成モデル
この自己有用性を持つ存在を、自己有用存在と呼ぶことにします。自己有用存在の生成モデルは、生命の起源の他にも、様々なところに現れます。
a) 哺乳類の子供
一つは、哺乳類の子供の誕生の過程です。
母体は、自己強化や自己調整機能といった自己有用性を持った存在です。初めから第一段階はクリアしています。そこに胎児が誕生することが第二段階です。胎児は母体の自己有用性の中に組み込まれて栄養を摂取し、調整や強化もある程度頼っている状態です。そして、第三段階である出産を経て母体の自己有用性の恩恵を受けるために繋がれていた臍帯(さいたい)が切れることで、独立した自己有用存在となります。
b) 人間の精神
別の例は、人間の子供の精神的な生成と独立です。
赤ん坊のうちは、ただ空腹や不快感や生理現象の発生に応じて、泣くだけです。自分では何も解決することも決めることもできません。ただ自己有用存在である大人に依存せざるを得ない存在です。
これは、精神的に、大人が持っている精神的な自己有用性に依存していると言えます。これが第一段階です。そこから、徐々に子供の中にも自分の精神が生成されて育っていき、大人に頼らずにできることも増えていきます。しかし、意志決定を自分で行う事は困難であり、最終的には親に判断を委ねます。これが第二段階です。
そして、第三段階として物心がつくと、自分の事は自分で決めることができるようになり、精神的な面で自己有用存在となります。
c) 生活や経済
加えて、人間の子供の生活や経済の自立もあるでしょう。子供のうちは生活や経済は大人の生活や経済の自己有用性に組み込まれて依存していますが、やがて自分で服を着たりお風呂に入ったりと自立して行えることが増えていきます。アルバイトをしてお小遣いを稼ぐこともできるようになるでしょう。こうした段階が第二段階です。
そして、第三段階として、親元を離れて生活をしたり、就職をして経済力を身に着けることで、名実ともに生活と経済の自己有用性を手にして、独立を達成します。
d) AIやロボット
このモデルが当てはまるのは、生物や人間だけではありません。
例えば、AIやロボットも、おそらくこのような段階を経るでしょう。倫理的な問題や社会の受け入れの問題はありますので、必ずしもAIやロボットが独立する未来が来るとは限りませんし、そうなるべきかという議論はあります。これはあくまで、その議論の結果としてAIやロボットが人の手から独立することになる場合の話です。
AIやロボットは、初めは人間による意志決定や、メンテナンスや、経済活動などの自己有用性に依存しています。やがて自分でも部分的に意思決定、セルフメンテナンス、お金稼ぎと消費活動を実施し、やがては意思決定、セルフメンテナンス、経済活動を担えるようになり、独立した自己有用存在となり得るでしょう。
e) 組織、文化、学問など
会社やNPOのような組織にも、同様のモデルが当てはまります。母体となる組織から、徐々に分化していき、最終的には別の組織として独立運営可能な組織となります。これは、自己有用存在となったという事です。
文化の世界でも、母体となる流派やスタイルから、徐々に新しいものが登場して、やがては独立した流派やスタイルとして確立されるでしょう。科学や学問でも同様です。こうした文化や学問の分野も、各コミュニティや組織やその担い手と相互作用して維持や強化される自己有用存在です。
このように、自己有用存在の生成モデルは、生命や人間、組織や文化や学問など、私たちを取り巻く様々なものに良く当てはまります。
■自己有用存在の生成の3タイプ
自己有用存在から、新しい自己有用存在が生成される時に、3つのタイプがあります。複製、進化、開拓です。
複製は、元の存在と同じ構造と性質を持つ存在が生成されることです。生物が自分の子孫を生成することが、分かりやすい例です。
進化は、元の存在とは異なる構造や性質を持つ存在が生成されることです。生物であれば、遺伝子が変異することで、新しい生物の種が生み出されることを意味します。
生物において、複製と進化は同じプロセスの延長線上にあります。複製の際に変異することで、進化に繋がる場合があります。
開拓は、さらに元の存在とは、異なる次元を持つ存在が生み出されることです。例えば生物の進化の結果、人間は高度な知性を持つようになりました。この知性に基づいて、文化や学問という、異なる次元において自己有用存在が生成されたことになります。これも進化の一部と捉えることもできますが、通常の進化とは明らかに異質です。新しい次元が開かれるような進化を、開拓と呼ぶことにします。
考えてみると、地球という自己有用性を持たない無機質なものから、生命という自己有用性を持つ存在が誕生したことも、開拓と言えるでしょう。
その最初の開拓から始まって、自己有用性は生成モデルに従って、複製を繰り返し、その過程で進化を繰り返しました。そして、人間の知性、そして精神や生活や経済、文化や学問など、様々な次元の自己有用存在が開拓されたことになります。
このように私たちを取り巻く多くの物事は、生命の起源を発端とした自己有用性の生成と独立、その中における複製、進化、開拓によって、生み出されてきたことになります。
■自己有用存在の社会
人間が集まって社会を形成するように、自己有用存在が集まった社会として世界を眺めることもできます。
自己有用存在は、観念的な存在です。物理的な実体を持ち、それと密接な関係を持つものもありますが、文化や学問の例のように、実体との直接の関係があいまいな存在も多くあります。
また、物理的な実体と結びつきが強い自己有用存在がある場合、その実体があれば必ずそこに自己有用存在があるわけではありません。例えば、単細胞生物は、生命という次元での自己有用性を個々の細胞が持ちます。しかし、多細胞生物の場合、ここの細胞が自己有用性を持つわけではなく、生物全体で1つの自己有用存在となります。また、個人であっても、精神面や生活面、経済面のいずれかで独立が出来ていなければ、その次元では自己有用性を持たず、他者の自己有用性に依存していることになります。
異なる性質を持つ物理的実体が、自己有用性の共通の次元での存在となる場合もあります。分かりやすい例は、経済の次元における個人と法人格です。
自己有用性の次元について考える時、異なる次元の自己有用性が1つの物理的な実体の上に存在し、影響を及ぼし合う事もあります。1人の人間は、生命、精神、生活、経済活動等のそれぞれの次元での自己有用存在です。こうした場合、これらの次元を加味しながら、自己にとって有用な活動を考える事になります。
開拓によって新しい次元が自己有用存在の社会に持ち込まれると、その次元が独立するのではなく、このような実体の上や、他の方法で、旧来の次元との間に緊張関係や協力関係など関連性も生じます。開拓は独立した社会を作るわけではなく、既にある自己有用存在の社会の次元を増加させていくことになります。
このように、自己有用存在の社会は、様々な概念的な自己有用存在と、その物理的な実体から構成されています。そして、様々な自己有用性の次元においてこれらが関連しあう複雑な多次元ネットワークを形成しています。その多次元ネットワーク上での影響のやり取りが、自己有用存在の社会を構成しています。
さらに、その社会の中で、複製、進化、開拓を伴う自己有用存在の生成が起きているわけです。自己有用存在の社会は時間と共に複製により規模を大きくし、進化により多様化し、開拓により多次元化していきます。
■自己有用存在の社会におけるリアリズム
人間の社会は、自己の生存や自己が属する集団の存続のために、リアリズムによって力学的構造を持っています。その力学的構造の上に、共存関係や協力関係が築かれています。潜在的には共存関係や協力関係による力学が、リアリズムに大きな影響を与えてこの主従関係が逆転することが一つの平和的な理想ですが、それは達成できていませんし、達成可能かどうかも未知数です。
ともあれ、リアリズムの力学とその上での共存関係や協力関係という構造が人間社会にはあります。これは、経済においても、学問や文化の領域にもみられる構図です。そして、生態系の中にも見られます。
つまり、自己有用存在の社会においても、リアリズムの力学に基づく構図が見られるという事です。自己有用存在は、そのフィードバックループを維持するために外界や他の自己有用存在との協力関係を必要とします。一方でその根底には、生き残りをかけた弱肉強食のリアリズムがあります。
このリアリズムは、単に自己有用性の各次元の中に閉じた話ではありません。
経済の次元のリアリズムに基づく競争が、環境や生態系へ影響を及ぼしてきました。そして、環境や生態系を保護するための社会的な運動のリアリズムの中で、さまざまなせめぎ合いの中から、ESG投資やSDGsのような形で国際社会と協働し、経済の次元に影響を及ぼしつつあります。
この例のように、自己有用存在は、多面的に様々な次元におけるリアリズムの中で存在を維持しています。そして、その上で様々な次元における共存関係や協力関係を築いているのです。
従って、国際関係にしても、経済にしても、社会活動にしても、学問や文化にしても、その次元の中だけの競争や協力関係だけでなく、多次元に捉える必要があります。それが、自己有用存在の社会というレンズを通した時の、真のリアリズムとなります。
■意志を持つ存在
世界がリアリズムに基づいて進化する自己有用存在の社会である、という理解までで話を止めるわけにはいきません。この自己有用存在の社会の中に、特別な存在がいます。それは、私たちのように意識や意志を持つ存在です。
繰り返しますが、自己有用存在だからと言って意識や意志を持っているわけではありません。生物はフィードバックループの原理に基づいて自己を維持し強化する性質が高度化したに過ぎません。学問や文化は、意識や意志を持つ人間の知性という実体の上で、観念上の自己有用存在となっています。
この自己有用存在の社会において、意識や意志を持つ我々は例外的に通常の枠組みを越えることができます。それは例えば、意図的にリアリズムの原理に逆らうような行為をしてみる事や、選択的に保護する自己有用存在を選ぶ事や、新しい進化や開拓を促進させたり止めたりする事、などです。
つまり、意志を持つ私たちは、自己有用存在の社会における複製、進化、開拓といった、自己有用存在の生成の時間の流れを、選択的に促進させたり留めたりする能力を持っていることになります。これは、自己有用存在の社会の舵取りができるという事を意味します。
これは、経済発展や科学技術の発達を目指したり、平和や持続可能性を追求したりする活動などに対応します。もちろん、全てを思うままに操る事はできませんが、意志を持って方向性を変えたり調整する努力は可能です。
■意志の発揮の高度化
自己有用存在の社会に対して、意志を発揮する際のアプローチとしては以下のようなものが代表的なものとして考えられます。
まず、前節でも挙げたように、選択的に自己有用存在の生成を促進したり抑制することで、進化や開拓の速度を調整するアプローチがあります。分かりやすい例で言えば、ベンチャー企業の促進政策や、影響力の大きい企業の保護政策などがあります。
選択的に一部の自己有用存在を保護したり除去するというアプローチもあります。生態系や環境の保護運動、伝統文化の保護運動などがあります。除去についての例としては、時代にそぐわなくなった古いしきたりや慣習などをなくすことが挙げられます。
これらのアプローチを高度化することが、現代社会では必要になっていると私は考えています。高度化に際して、医療や介護における考え方が参考になります。そこには、命と人生という究極の価値について取り扱う分野ならではの、リアルな意思決定の知見が詰まっているためです。
a) トリアージ
例えば、リスクの高い科学技術を選別してその影響を抑制することは、科学技術の高度化に伴ってよりシビアに行わなければならないでしょう。その際に、リスクの影響を自己有用存在の社会というレンズで、多次元的に評価する視点も必要になるはずです。単に何かを解決するからと言って、別の何かを破壊してしまうようであれば、そこにはどちらの価値を優先するかという意志決定が必要になります。
これは何かを優先すれば何かを失うという現実に即したトリアージの考え方を意志決定に組み込むという事です。
トリアージとは災害医療などで、被害者を重症度や緊急度で分け、優先的を決めて処置するという考え方です。全ての人を助けるという理想が実現できないこともある厳しい現実の中で、医療者が納得しながら最善を尽くすための合理的な知恵です。
b) QOL(クオリティオブライフ)
また、保護や除去については、単純に歴史のあるものを保護するとか、時代に合わなくなったものを除去するとか、必要に迫られて選択をし、意志決定を行っているのが今の姿でしょう。これを高度化して、事前に自己有用存在のライフサイクルの管理について考慮しておくべきです。
時代に合わなくなりそうなものは、極端な選択を迫られるよりもずっと前から扱いを考えておくべきです。規模を縮小しつつ保護するべきなのか、時代に合うように変化させていくべきなのか、ハードランディングにならないようにソフトに少しずつ解体していくのか、事前に意志決定をして戦略を考えておく方が良いでしょう。
その方が、その自己有用存在のQOL(クオリティオブライフ)をより良くする可能性が高くなるでしょう。例えば斜陽産業にある企業を無理に延命させようと努力することは、その企業という自己有用存在に関わる人たちを不幸にするだけかもしれません。
c) インフォームドコンセントとセカンドオピニオン
さらに、意志決定におけるコミュニケーションの方法論の進化も重要です。現在の選挙のように、単に利点を強調して票を獲得するというモデルから、デメリットやリスク、それらに対する補償や軽減可能性などをしっかりとテーブルの上に載せて議論し、そこに出てくる本質的な価値の選択をするという意思決定が出来るようにしていくことがより望ましいでしょう。
そこにはインフォームドコンセントの原則があります。医療における専門知識を分かりやすく医者が患者へと提示し、医療の選択の最終決定は患者が正しい知識の元に行うべきだとする原則です。その医者の説明に納得がいかなければ、別の医者の診断や説明を受けることもできるようにすることが奨励されています。それはセカンドオピニオンと呼ばれる制度です。
このような形で、例えどんなに高度で難しい選択肢であっても、意志決定に参加する人は正しい知識を持った上で、責任をもって票を入れたり自己決定をすることが重要です。自分の選択や投票行為に責任を持たず、誰かのせいにする人が多い状況は、建設的でも前向きでもありませんし、より良い社会には向かわないでしょう。
■さいごに
システム科学やサイバネティクスにおいてはフィードバックループが大きな位置を占めていますが、ループはそれ自体が複数の実体が関与するものであり、かつ、目に見えない物であるため、扱いにくいところが難点です。
そこで、複数のフィードバックループの収束点として、観念として把握しやすい1つの実体の性質として考える事ができるように、自己有用性と自己有用存在という考え方を発案しました。
自己有用存在を中心に据えることで、それが多次元ネットワーク構造を持った社会を形成している事が把握しやすくなったと思います。また、それに対して意志を持つ私たちが介入するという形で、全体の姿を捉えやすくなったと思います。
自己有用存在は異なる種類であっても、異なる次元であっても、元になる自己有用存在から生成されてきたという歴史的な全体像も鮮明に捉える事が出来ました。これは、過去だけでなく未来を見つめるためにも役に立つ視点だと思います。
これらの利点から、自己有用存在という思考フレームワークは、まさにネオサイバネティクスの開拓につながるのではないかと考えています。
私たちが意志を発揮しなければ、この流れに従って今後も新しい種類や次元の自己有用存在が追加されていき、現存する自己有用存在との間にリアリズムの緊張関係が発生するでしょう。それを促進させるか抑制するか、そのかじ取りは、意志を持つ存在である我々に常に問われています。
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