性格と感情:言葉のない時代の役割分担と状況把握
ChatGPTのような会話型AIや生成AIが登場したことで、言葉への理解が深まりつつあります。言葉には情報伝達能力だけでなく、現実の情報を整理してカプセルのように内包させる能力や、段階的に物事を推論するための触媒としての能力を持っていることが理解されるようになってきています。
言葉への理解が深まる事で、反対に、言葉が発明される以前の時代には、私たちがどのように思考し、コミュニケーションを取っていたのかという疑問が浮かんできます。特に情報を整理したり、高度な推論の道具としての言葉が無い状態での思考がどのようなものだったのかは、既に言葉を習得してしまった私たちには想像が難しいのです。
この記事では、言葉のない時代において、私たちがどのような状況に置かれていたのかを想像していきます。それにより、言葉に代わる役割としての、性格や感情といった、現在のAIが持っていないとされている人間性とも言えるような部分について、掘り下げていこうと思います。
■集団における役割分担
集団で活動する時、全員が同じ行動を取ると効率が悪く、かつ新しい発見も生まれにくくなります。
また、アクシデントや天敵に遭遇した時、同じ行動を取るよりバラバラの行動を取った方が全滅する可能性は低いでしょう。
このため、集団は役割分担を決めたり、臨機応変にお互いに指示を出し合ってそれぞれ別々の行動を取るようにするでしょう。
■役割分担の方法
しかし、それができるのも、言葉があるからです。
人類が言葉を発明する以前は、コミュニケーションの手段は限定されていたことになります。
言葉でない声や、身振りで、合図を送ることはできたのでしょうけれど、細かい役割分担や指示を出すことは難しかったはずです。
そんな状況でも、集団のメンバーが異なる行動を取ることを可能にするものがあります。
それが性格です。
勇敢な者と臆病な者、向こう見ずな者と慎重な者、一つの事に集中する者と広く状況を観察する者。そういった性格の違うメンバーが集団を構成していることが、様々な場面で役に立ちます。
■集団の人数の変化と社会の進化
性格が分散することで上手く集団として生存能力が高められると、さらに多くの人数を集団に所属させても上手く社会を運用できるようになるはずです。
人数が増えれば、それだけ新しい性格のメンバーも増え、共同作業で出来ることも増えます。単に作業量が増えるだけでなく、これまでは全く考えられなかったような作業も、人数が多くなったことで実現できるようになるというケースもあるでしょう。
これは、集団の人数の増加に伴う、社会の進化と言えそうです。
こうして集団の人数が増加し、社会が進化する中で、やがて言葉が発明されたのだと考えられます。言葉があれば、これまでは異なる性格のメンバーにより上手く行く場合があった偶発的な役割分担から、経験を重ねて学習することによる合理的な役割分担へとシフトすることができるでしょう。
従って言葉の発明は社会の大きな進化を促し、さらに多くの人が所属できる集団の形成を可能にしていったと考えられます。
■言葉と性格
一方で、個人の性格の違いが、行動の多様性を生み出すためにあったとすると、言葉が発明された後には、困った状況が発生することになります。
それは、言葉によるコミュニケーションで決められた役割分担や指示と、性格がマッチしないという事態です。
性格の違いが、異なる行動のためだったとすれば、言葉がない時代には性格のまま行動し、それがある程度は効果を上げていたことになります。
しかし、性格に従って行動するよりも、言葉によるコミュニケーションで決められた役割や指示を守る方が、集団としてより生き残りやすかったということでしょう。
その代償として、性格に合わない役割や指示をこなさなければならない場合が、出てきたということになります。
■言葉以降の性格の意義
完全に最善の答えが分かっている状況では、個人の性格はむしろ邪魔になります。性格を消して、役割分担や指示に忠実に従う事が求められます。軍隊や大企業では、そういった傾向が見られるでしょう。
一方で、最善の答えが分からない場合は、性格のバラつきが役立つでしょう。いわゆる多様性、ダイバーシティです。
現在は、大企業も多様性を重視する傾向にあります。それは、最善の答えが分からない時代になっているということを反映しています。
■AIと性格
そのように整理すると、単なる役割分担機能としての性格は、言葉の登場によりその意義が薄れると共に、むしろ弊害を生み出すものになったと考えられます。
しかし一方で、最善の答えのない問題に対しては、性格の違いが多様な角度からの思考を可能にするとともに、お互いの思考に刺激を与え合うことを可能にします。そのようにして、性格の多様性には新しい意義が出てきたことになります。
そう考えると、単純に答えの決まっているような作業をするタイプのAIには、性格は不要と言えるでしょう。一方で、創造的な作業を行うためのAIには性格のバラつき、つまり個性があった方が良いと考えられます。
■状況への敏感性
性格の話はここまでにして、次は別の話題に移ります。次の話題は、状況への敏感性という話題です。
例えば、危険な状況に置かれたときに、頭の中でそれを判断して、危機への対処を行うとします。その時、論理的に危険だからどうしようとか、危険を避けるためには何をすればよいか、ということを落ち着いて整理することがあるでしょう。
しかし、言葉が無かった時代には、その作業はスムースに出来なかったかもしれません。考えを整理するためにも、言葉は便利な道具であり、その便利な道具なしの状況では、考えの整理は不可能ではないにせよ、容易な作業ではなかったに違いありません。
人間以外の動物においても言える事ですが、このように論理的な情報整理を行わないと危険を判断したり、その対処ができないようでは、厳しい自然環境の中で生存することは困難だったでしょう。
情報の整理なしでもこうした生存に関わる状況の判断を行い、対処を促すための仕組みが、恐怖などの感情や、痛覚などの刺激です。
こうした生死にかかわる状況を感知するための能力が無ければ、長く生存することができません。このため動物は根本的に状況に敏感であり、生死にかかわる状況を的確に判断する能力は進化の中で強化されているはずです。身体のメカニズムや本能に、それらは強く組み込まれています。
■状況の伝達
身体や脳が本能的に状況を判断して恐怖のような感情や、その手前の緊張感のような感覚が生まれると、それが脳全体と身体全体に拡散されます。
脳は緊張や恐怖によって、その緊張や恐怖に関わる事への思考に集中するようにモードを切り替えます。身体も同じく緊張モードに切り替わり、心拍数や呼吸が変化し、筋肉が硬くなります。
さらに、この状況の拡散の範囲は、個人の脳と身体に留まりません。個人の中で生まれた恐怖や緊張は、その身体や表情の変化や、その個人が出す声のトーンなどで、周囲の人間にも伝達されます。
それは例え微かな変化であっても、容易に見逃されることはありません。先ほども書いたように、私たち生物は進化の中で、状況に敏感であるよう能力を鍛えられているためです。
このようにして、高度な情報伝達の道具である言葉が登場する以前から、状況についての情報伝達については、高度かつ精密に、私たちの身体と本能に備わっていました。
■状況への対処
状況の伝達を受けると、私たちはそれぞれがその状況への対処を考え、行動します。
例えば、自分の足が獣に噛まれて痛みを覚えた時、可能であれば自分でその獣を攻撃して、その痛みから逃れようとするでしょう。しかし、場合によっては自分自身の力では獣への対処ができないこともあります。
このような時、足から伝わってくる痛みでうめき声を上げたり、自分では対処できないことを理解して恐怖に陥って悲鳴を上げたりするでしょう。これは単なる感情の表出ではありません。仲間に危機を知らせるための、重要なコミュニケーション機能です。この声や悲鳴を聞いた仲間が、その痛みや恐怖から解放させるため、噛みついている獣を攻撃して撃退してくれるでしょう。
このように、痛みのような感覚や恐怖のような感情は、自分自身や近くの仲間に対して、状況への対処を促すために機能します。
■感覚や感情の伝達先
興味深い点はその本人の中に湧き上がった感覚や感情と同時に、声や悲鳴が出る点です。これは、本人が意図的に感覚や感情を拡散しているのではなく、自動的に行われます。
このことを抽象的に見れば、危機に対処せよという指示であり、その指示は本人と周囲の人間の区別なく拡散するという事です。噛まれた足と、それに対処するために思考する脳とを分けて考えると、噛まれた足からの痛みは、その足から近い場所にある全ての脳に伝達されるようになっている事になります。
同じように、様々な感情や感覚を受けた時、私たちは自然にそれを声や表情に表します。感情や感覚を感知した身体と、それを受信する脳がある時、身体と脳の関係は1対多になっているということを意味します。
これは生存のためには非常に優れた戦略です。なぜなら生死にかかわる状況を判断した時、その対処をたった一つの脳にだけ伝達するのみであれば、上手く対処できない可能性が高いためです。生死にかかわる情報を感知したら、できるだけ多くの脳にそれを伝達する戦略を取っていた方が、遥かに対処できる確率は高くなるでしょう。
■感情伝達の顕著な例
この仕組みは、人間の赤ん坊が自分では何もできない状態で生まれてくることができることにも見て取れます。人間の赤ん坊は、他の多くの動物と違って、生まれた時に自分で歩いたり食べ物を獲得したりすることはおろか、うつぶせの状態から呼吸できるように寝返りを打つ事すらできません。
そんな赤ん坊が生存できるのは、唯一の特殊能力の強力さのおかげです。それは、他の動物にはみられない、泣くという能力です。
感情を瞬時に周囲の脳に伝達するという社会的な仕組みを本能的に持っている私たち人間は、生まれた瞬間からこの能力を最大限に発揮して、自分では他に何もできないにも関わらず、周囲の脳に訴えかけて、生存するための対処をしてもらえるようになっています。
そして、対処が上手くできると、赤ん坊は笑顔になり、周囲の大人たちを幸福な気持ちにさせます。泣くだけでなく笑うという能力も、重要なのかもしれません。
■言葉以降の感覚や感情の意義
言葉が発明されると、状況の伝達手段も高度化されます。恐怖を感じた時に、単純に大声や悲鳴を上げてしまうと、逆に敵に気がつかれて生存に不利になるという場合もあります。恐怖や緊張のために、身体の動作が硬くなって本来の能力を発揮できずに適切な対処ができないというケースもあるでしょう。
このため、言葉という状況の伝達手段が発明されて以降は、感情や感覚に単純に反応せずに抑え込み、その代わりに冷静にその場その場に合った最適な状況伝達や対処ができることが求められるようになります。危機的状況においては、痛みや恐怖に左右されず、的確に行動するロボットのような個人像が求められるようになったという事です。
一方で、感情や感覚は、危機的状況ではなく、日常における価値として重視されるようになりました。
例えば芸術やエンターテイメントは、人間の感情を前提にしなければほとんど成り立ちません。つまり、文化的なものに、感情は深く関わっています。感情の豊かさが良い芸術を生んだり、人気のあるエンターテイナーを登場させたりします。
また、言葉以前も同様であったとは思いますが、感情が伝播する性質は、人間関係のつながりを強固にすることに寄与します。言葉によってもコミュニケーションを取る事はできますが、共感や絆と言った言葉の情報伝達の機能を越えた効果が生まれるためには、感情や感覚が個人の中にあり、お互いの感情や感覚を理解できる能力が必要です。
本質的に感情や感覚が、周囲の脳に伝達されるという社会的な性質を持っていたことを考慮すると、人間が共感の能力を持っている事に、何の不思議もありません。伝播させて共感できることが感情の本来の目的であるため、感情は複雑で微妙なものですが、本能的にお互いの感情を感知して理解できるように、精密に進化してきたはずなのです。
■AIと感情
この整理に基づけば、危機的な状況で動作したり、感情や感覚に左右されずに的確な対処をすべき状況で動作することが求められるタイプのAIには、感情は不要という事になります。
一方で、日常の中で活動し、私たち人間と密接な関係を持って動作するタイプのAIには、感情や感覚を持つことが重要になるかもしれません。その場合、AI独自の感情や感覚ではなく、私たち人間が伝達するものを同じように受け取って理解し、かつ、私たち人間が受け取って理解できるような、そういった感情や感覚が重要です。
ただし、そのような感情を持ったAIを開発して提供することには、社会的な懸念もあります。懸念を抑えるために、感情を持つAIの開発は規制されることになるかもしれません。もし、規制されずに提供され得ることになった場合には、人間の感情との根本的なズレが生じないようにすることが重要です。
■さいごに
言葉を中心にして進歩している現在の会話型AIは、性格や感情を持たない点が、人間との違いとして挙げられています。もちろん性格や感情を持たせるための研究は多数行われていると思います。
この記事で見たように、性格や感情は言葉以前の人間集団が役割分担を行ったり、危機に対処するために進化させてきた能力だと見ることができます。このため、言葉を使う事でその代替ができるような状況下では、人間もAIも、むしろ性格や感情は無い方が良いというケースもあり得ます。
一方で、人間の全ての活動に、性格や感情が不要なわけではなく、むしろ言葉が無かった時代とは異なる重要性を持つようにもなっています。この観点からは、将来のAIも、活躍する場面とAI規制の動向によっては、豊かな個性や感情を持つことが要請されるだろうと考えられます。
そこで必要となる感情は、人間と異なるタイプの感情や、単に表面的に人間の感情を模倣したものではなく、原理的にも実際の振る舞いとしても、人間の発信する感情と、人間が持っている感情受信能力にマッチするものであることが重要です。
そうでなければ、人間を感動させる芸術やエンターテイメントを創作したり、人間と共感し、絆を強めることが難しいと考えられます。それだけでなく、もし人間とは似て非なる感情をAIが持てば、人間が予期しないような理屈で問題のある行動を取る恐れがあります。それが大きなリスクとなる可能性があるため、可能な限り避けるべきでしょう。