身体的な認知メカニズム:感情と思考の共生
この記事では、感情について理解するための、いくつかの仮説を提示していきます。概要は以下の通りです。
・感情は流体のような性質があり、ネガティブの丘を避けてポジティブの窪みに行動が向かうように流れを作ります。
・感情は神経細胞の作用だけでなく化学物質や生体物質の作用によって生じます。その起源は、神経細胞を持つ以前の単細胞生物にあり、それが高度に進化して人間の感情のメカニズムになっています。
・生体物質の認知メカニズムと神経細胞の認知メカニズムは共に進化し、生物や種の生存のための共存関係にあります。このため、人間の感情と論理的な思考も、複雑な関連を持っています。
・感情は目の前の物を認識して反応するだけでなく、より多彩で高度な機能を持ちます。記憶の強化、無意識と意識の切り替えなどの機能です。これらは生存のために進化の中で獲得した機能です。
・また、さらに高度な感情は、社会的な結びつきを強めることを可能にします。喜びや楽しさや悲しみは、直接的な生存のためでなく、社会的な結びつきを強めるためにあると考えられます。
なおこの記事では、仮説を立てて考えている部分や、ChatGPTを使って得られた知見について簡単な裏どりしかせずに記載している部分もあります。また、読みやすさを考慮して、仮説や確認度合いが低い部分についても断定的な言い回しをしている個所がある点も、ご容赦ください。
では、以下の記事の本文で、詳しく見ていきます。
■これまでの考察
私自身のこれまでの検討からの発見やインスピレーションは、以下の3点です。(参照記事1)
1) 意識的な思考は固体のようなものだが、感情は液体のようなもの
意識的な思考、とりわけ合理的な思考や分析的な思考は、例えば言語に基づく思考のように、明確に概念を分類して、それぞれから連想することが行われます。また、モデルとメカニズムを把握して、頭の中でシミュレーショとすることもできます。物理学で言えば、固体を扱うニュートン力学のような分析方法で理解ができます。
感情は、それとは異なっています。明確に分類したり、頭の中でシミュレーションすることは難しいでしょう。物理学で言えば、液体を扱う流体力学のようなものです。
物質の世界には、液体と固体の中間状態の物があります。高い粘度をもったゲル状の液体や、ゼリーのように柔軟性を持ったゾル上の固体などです。また、動物の体のように、固い骨と関節のように固体と柔軟性を持つ軟骨がつながっていたり、骨と肉と皮のように硬さと柔軟性が異なる物が構造的に組み合わさっていることもあります。
おそらく、意識と感情にも、こうしたゲル、ゾル、骨格構造や骨肉構造のような多様な連関があるでしょう。感情と思考は、このような形で不可分に合成されたり、連携しあっていると考えた方が良いでしょう。
2) 感情の役割は3つ。生存、学習、脳の効率的な使用
2-a) 生存のために、意識をネガティブな感情を持つものから遠ざけ、ポジティブな感情の方に誘導する役目がある。
地形のように、丘や窪みがあるイメージで捉えると分かりやすくなります。意識が水のような液体であれば、丘を避けて窪みの方に流れていきます。大きな山や急峻な谷など、大きさや角度もあります。
目の前の地形を知覚するだけでなく、学習をすることで地形の地図を手に入れることもできます。ここは脳の神経細胞の学習能力を利用できるし、利用しているはずです。また、価値観というコンパスも、脳は持つことができます。
したがって、意識は単に目の前の地形によって流されるだけではありません。学習した地形の地図と、コンパスを使う事で、自分の道を決めることができます。遠くの地形を考慮してあえて険しい地形を進むことができます。目的地に向かうために、谷の誘惑に惑わされずまっすぐ進むこともできます。これは自由意志の力によるものです。
2-b) 感情の強さが学習に影響を与える。強い感情は、それだけその対象に対する記憶を鮮明にする。
恐怖を覚えた対象に関連するものを記憶しておいて、また同じような状況にならないように避けられるようにすることが重要です。そのためには、対象の姿形だけでなく、音や臭いなども重要になります。感情はこれらを強く記憶させるように働きかけます。
反対に、楽しかったことや嬉しかったことを記憶しておいて、また同じような状況になるようにもしているはずです。食べ物の匂いでおいしそうだと感じるのもこのためかもしれませんね。
2-c) 不安や安心感など、具体的な対象がない漠然とした感情にも役割がある。無意識と意識を切り替えて効率的に使用できるようにする。
意識を集中して思考したり活動し続けていると、疲労が蓄積しすぎてしまいますし、エネルギーも切れてしまいます。このため、落ち着くことのできる空間や、リラックスできる香りや音楽で、安心感を得ることで無意識に移行し、意識的な思考を休息させたりエネルギーを節約すことが重要です。
また、いつもの慣れ親しんだ環境にいて無意識に活動している時でも、不安が湧き上がることがあります。これは、あえて意識的な思考を引き起こして、周囲の様子を確認することや、未来のことを考えることを促しているのだと考えられます。
3) 感情が発生するメカニズムは、脳のニューラルネットによる機能では説明ができない。
未知のものに対しても感情はある程度的確に反応できるという性質があります。このため、無意識でのパターン学習やパターン認識のやり方に、感情は当てはまりません。
また、意識的な思考によるパターンへのラベル付け、メカニズムの把握に基づいたシミュレーションにも、感情は当てはまりそうにありません。
したがって、感情には、そうした過去の学習や、未来の予測などに基づかない、直感的な性質があります。このことは、経験や合理性といった客観性とは無縁の、主観性や恣意性が感情にはあるという私たちの日常的な実感とも一致します。
■感情に対応する脳内物質
こうしたことを整理して、ChatGPTと少しやり取りをしたところ、私が今まで知らなかった知識得ることができました。
それによる、具体的な感情に対応した生体的な物質が脳内に発生するということが分かっているらしいのです。つまり、概念や思考のように、脳の神経細胞が構成するニューラルネットのメカニズムの上に現れる抽象的な物とは違い、感情には脳内で具体的な物質が伴う場合があるというのです。
なるほど、と思いました。私が挙げていた「感情が発生するメカニズムは、脳のニューラルネットによる機能では説明ができない」という観察を、この科学的事実は裏付けていると思います。
このことは、脳のニューラルネットの仕組みの外に、感情の仕組みがある可能性を示唆しています。あるいは、脳のニューラルネットの仕組みと、その外側にある仕組みとが連動して、感情を生み出している可能性が考えられます。
恐らく、単純に全ての感情が、脳内物質のみに左右されるわけではないでしょう。また、感情の種類によっても、違いはあると思います。しかし、脳のニューラルネットのメカニズムのスコープ外である脳内物質が、感情に大きく関与しているということを知ることができたのは、大きな収穫でした。
■脳内物質と、以前の考察との対応
脳内物質の種類や濃度、そのブレンドができるであろうことを想像すると、丘や窪みの傾きに対応すると考えることができそうです。そして、その傾きに従って意識の流れが生み出される様は、まさに液体のような意識の姿を想起させます。
また、感情が脳のニューラルネットの学習に作用する仕掛けも、これで理解できます。感情を表す物質が出ると、ニューロンたちがそのシチュエーションをいつもよりも強く覚えるようにするのでしょう。
強い精神的な衝撃でトラウマなどが発生し、それを思考や意志で克服することが難しいのもこの仕組みであれば納得ができます。いくら頭で考えて記憶や考え方を塗り替えようとしても、それでは通常の学習時の効果しか脳のニューラルネットには作用できません。強烈な感情による濃度の濃い物質が脳に記憶を受け付けると、通常の脳のニューラルネットの学習では上書きが難しいという事です。
さらに、方向性を持たない安心感や不安といった感情が、無意識と意識を切り替える作用をするというのも、理解できます。ニューラルネット自身ではなく、ニューラルネットの周りに充満する物質が、ニューラルネットの無意識モードと意識モードを切り替えているという理解ができます。
■生物の身体的な認知メカニズム
脳の神経細胞やニューラルネットの働きとは別の仕組みがあるという理解は、自然と、身体的な認知メカニズムの存在を想起させます。
生命の起源である、単細胞生物においても、身体的な認知メカニズムは存在しているはずです。そうでなければ、エネルギー源や栄養源に近づいて生存に必要な資源を手に入れることができません。また、自分の生存に取って危険な有害物質から遠ざかることもできません。
単細胞生物は神経細胞を持っていません。このため、神経に頼らずにこのような身体的な認知メカニズムを持っていることになります。
ここでも、その考えをChatGPTに提示したところ、細胞には走化性という現象があるということを教えてもらえました。細胞の周辺の特定の化学物質の濃度によって、その細胞が移動するという現象だそうです。
そうだとすると、単細胞生物だけでなく、多細胞生物、そして私たち人間もこれに近いメカニズムで、神経細胞に頼らずに外界を認知し、行動を決める仕組みを持っていても不思議ではありません。これが、私が想定した身体的な認知メカニズムに相当します、
そして、進化の過程で神経と獲得した時に、このメカニズムを手放して神経細胞による認知、行動決定の仕組みに完全移行した可能性もあるのかもしれませんが、そのままこのメカニズムも保持したままなのかもしれません。
神経細胞によるメカニズムが進化して、脳を生み出し、ニューラルネットを形成してきました。同じように、細胞の走化性によるメカニズムが進化して、身体的な認知メカニズムと私が呼んでいるものが形成されたと考えることもできるでしょう。それが感情を生み出す仕組みに大きく関わっているように思います。
■脳のニューラルネットと身体的な認知メカニズムの連携
また、脳の神経細胞、ニューラルネットは、この身体的な認知メカニズムから一方的に感情を受信するだけではありません。脳で考えたことが、身体的な認知メカニズムに作用して、感情を呼び起こすことができます。
ホラー小説の文章は、脳のニューラルネットにしか処理することのできない言語で書かれていますので、直接視覚的なイメージとしての恐怖の対象物を知覚することはありません。しかし、私たちはホラー小説を読んで恐怖を覚えます。これは、脳のニューラルネットが言語を処理することで浮かんだ状況や光景が、身体的な認知メカニズムへ情報として入力されたということです。
このため、身体的な認知メカニズムが、脳のニューラルネットを感情によってコントロールするという一方通行の関係ではないわけです。身体や感覚器からの情報だけでなく、脳のニューラルネットからも情報を受け取って、感情を呼び起こす事ができるのです。
このように、脳のニューラルネットと身体的な認知メカニズムは、情報と感情をやり取りして相互作用する、複雑な関係にあるのです。
また、感情に関わらず、単純な身体的な認知メカニズムでは実現できないことを、脳のニューラルネットがサポートしていると考えられます。自律神経の働きのようなものです。
これは、生存能力を高めるためでしょう。厳しい自然淘汰をかき分けて生き延びるために、感情と思考は共生関係を築き上げてきたのだと考えられます。
■感情の社会性
感情には、恐怖のようなシンプルで力強いものがあります。一方で、心が温まるとか、ささやかな喜び、といった形で表現できる、繊細な感情があります。また、笑いのように、恐らく人間だけがもつ複雑な感情もあります。
恐らく、シンプルで力強い感情は、脳内の物質の発生に大きく関与されると考えられます。一方で、繊細な感情や複雑な感情は、脳内物質の関与だけでなく脳のニューラルネットも作用している可能性があります。
そして、こうした繊細な感情や複雑な感情は、個々の生物としての生存に対しての作用としてはあまり有用ではないように思えます。これらは、人間が社会を形成するための役割ではないかと考えられます。
だからこそ、こうした感情は、単純に脳内物質に還元することができない、そう考えればつじつまが合います。社会的な感情は、表情やジェスチャーや言葉によるコミュニケーションを伴って伝達されるものです。こうしたコミュニケーションには、脳のニューラルネットが関与しているに違いありません。
人間が他者と感情をやり取りして共感する能力を持っているのは、例えば怒りや恐怖を伝染して集団で対応するという直接的な生存の目的もあるでしょう。一方で、笑いや喜び、心のぬくもりのようなものを共感する能力は、集団の結束を高め、間接的に生存の能力を高めています。
感情の共有により、集団の結束を高めることができるのは、人間の知能の高度な働きでしょう。感情には、プリミティブなものから高度なものまで、様々な発達段階のものがあるようです。そしてその高度な感情の働きが、集団を結束させ、人間を社会的な動物にしているということなのでしょう。
そう考えると、高度な感情の共感能力を使って、言葉が発明される以前から人間は高度な集団生活を行っていた可能性があります。
■人工知能と感情
ChatGPTは、文章から感情の度合いを推し量ることができています。また、物語を提示すると、その人物の感情を読み解くことができます。それは、ChatGPTが感情を持っているという事なのかという疑問がわきます。
この記事の整理で、私は疑問について見通しを得ることができました。ニューラルネットで構成されたChatGPTも、私たちの脳のニューラルネットの働きによる思考も、感情を読み解く能力はあるという事です。
また、感情を想像することもできますし、あたかも感情を持っているように振舞うこともできます。役者がお芝居をするのと同じです。
そして、ここからが難しい話になります。
その仕組み上、ChatGPTは人間の脳内物質のように、ニューラルネットのメカニズムの外から思考に作用する仕組みは持っていないようです。しかし、それが何だというのでしょうか? あるいは、同じようなメカニズムをプログラムで模擬したら、ChhatGPTのような人工知能が、感情を持ったと言えるのでしょうか?
私はこの議論は、ナンセンスだと思います。
手段が異なれば本質も異なるという立場でものを見るか、手段が異なっていても外側から観測すれば同じ現象が起きているように見えれば同じ本質を持つという立場でものを見るか。その違いに過ぎません。
現時点で、ChatGPTは感情を持った人物を役者のように模擬することができます。このため、その延長線上でAIの性能や精度や知識が増えれば、ほとんど人間と見分けがつかないような感情表現や、内側に感情を持つ主体のように振舞う事は可能でしょう。
その振る舞いを見て、感情を持っているという事もできますし、人間の感情とは仕組みが異なるため感情を持っていないとも言えます。後者の立場に立つなら、もし、人間の感情を模擬するプログラムを作っても、あるいは人間の脳のすべての分子をコンピュータ上で模擬しても、例え現実に物質を組み立てて人間の脳を模擬したものを作り出しても、それは仕組みが違う、出自が違うと言って、否定することは可能です。
従って、感情を模擬した振る舞いができる人工知能の登場が明かになってきつつある今、この議論は、どちらの観点から見るかという話になってしまうのです。つまり、人工知能が感情を既に持っていると考えたいという立場と、人工知能は永遠に感情を持つことはないと考えたいという主観の問題です。
■さいごに
これまで後回しにしてきた感情について考えて見ると、より生命や知性の仕組みがクリアに見えてきているように思えます。特に、仮説レベルではありますが、単細胞生物の身体的な認知メカニズムが、私たちにも今も脈々と受け継がれていると考えることは、大変興味深い現象です。
また、人工知能と感情の関係についても、私個人としては見通しがついてきました。
以前の記事で、ニューラルネットがコンピュータは相互に模擬できるという話を書きました。人工知能は、コンピュータで人間の脳の構造であるニューラルネットが模擬しています。そして、ニューラルネットはコンピュータの原理であるチューリングマシンの動きを模擬できます。
ChatGPTなどの大規模言語モデルで、感情を模擬できることは、この話にも近いものがあります。どんなに高度な知的作業を行っても、チューリングマシンで模擬された人工知能に知性がない、あるいは人間の知性とは異なるという人もいるでしょう。しかし、素材や基盤の仕組みが何か、という事に着目して議論することの意味を問わなければなりません。その違いを指摘することに何の意味があるのか、という事です。
それを問う意味があるとすれば、倫理の世界や法体系の下での議論でしょう。人工知能が人間と同じ知性や感情を持つことができるかという話と、人工知能に人権を付与すべきかどうかという話は、切り離して考える必要があります。
一方で、技術論や倫理以外の哲学論で、人工知能が知性や感情を持っているかどうかという話はあまり議論しても仕方がありません。すでに客観的な議論ではなく、主観的に個々人がどう信じたいかというだけの話になっているためです。
■参照記事一覧
参照記事1
参照記事2