知識の地動説:広く浅くから「多様で鋭く」へ
調査や勉強をする時、広く浅く調べる、とか、狭く深く知識を身につける、といった表現をすることがあります。
そうした話が出た時に、他の人と私のイメージの間にズレがある、という思いをいつも抱いていました。
今日、それを考えていて気付いたことがありました。この記事では、その気づきをまとめます。
■スコップで地面を掘るイメージ
広く浅く調べる、とか、狭く深くといったように、広さと深さで表現するのは、知識を平らな地面に例えているということです。
知識は様々なジャンルがあるため、広さを持つイメージがあります。これが平らな地面を思わせます。
そして、知識の量や理解は、その地面にスコップで穴を掘るようなイメージに相当します。
そして、同じ労力をかけて掘る時に、広い範囲に渡って掘ろうとすれば、深く掘ることは難しくなると言うのが一般的な理解です。反対に、深く掘ってしまうと、局所的になってしまうということです。
ここに、私が感じる違和感があります。
この違和感について考えた時、2つの点でズレがあるのだという事に気がつきました。
■掘削機のイメージ
私の違和感の払拭のためには、まず、掘り方のイメージを変える必要があると考えました。
地面を掘る時に、スコップで掘るなら、掘り進むにつれて、深さと共に穴は広がっていきます。その場合、同じジャンルの本を何冊も読んだり、図鑑に載っている物を全て覚えいくことが、知識の深さにつながるというイメージに繋がります。
この点が、私のイメージとの1つ目のズレです。
最初にそのジャンルで掘り進む人は、スコップで掘っていき、その中にある知識のつながりや根っこのようなものを、明らかにしていく必要があるでしょう。
しかし、同じ所を掘る人が、土の量の多さよりも、深い知識の獲得の方を重視している場合は、細い筒状の掘削機で、狙いを定めて掘ることが可能です。どのあたりに重要なコアの知識があるのか、既に掘った人から教えてもらえるためです。
その深いところにあるコアの知識を把握するのに、最初の人と同じように周囲の大量の土を掘り返す必要はないと思えるのです。狙いすましてシャープに掘れば、少ない労力でも深いところに達することができます。
ただし、自分の力を振り絞って掘ることは必要です。人が掘っているのを横目で見て掘った気持ちになっていたら、実際の理解はその深さには達しません。
また、質の良い掘削機や、掘削のノウハウも必要です。コアの知識に到達する途中に難解な硬い岩盤があれば、それを打ち砕く性能か、上手く回避する知恵が必要です。
■惑星のイメージ
次に、知識の空間イメージを変える必要があると考えました。一般的な空間イメージは、平らな地面です。ここに私のイメージとの2つ目のズレがあります。
私のイメージする知識の空間は、平らでなく、惑星のイメージです。地面が平らだとする天動説ではなく、知識の地動説と言えるかもしれません。地球と同じように、知識は球形のイメージなのです。
知識を掘り下げていったとき、どこかで別の知識体系との連関や、共通的な法則のようなものが見つかる事があります。究極的には、数学のような厳密なものや、哲学のように根源的なもの、芸術のように心の琴線に触れるものなど、そういう分野に行き着くようなイメージです。平らな地面でなく、球形の方が、このイメージで捉えやすくなります。
■知識の深化の戦略
惑星掘削のイメージで捉えると、知識を深く把握することは、多数の細部の知識の量を増やす事ではなく、根幹にある抽象的な本質のような概念を把握することにあたります。知識の質の追求とも言えるかもしれません。
もちろん、細部を詳細に把握することで深堀り出来る知識もあります。最初にその部分をスコップで掘る人や、純粋に細部の知識を広げていきたい人、あるいはその先にある新しい深みを探求している人など、知識の量を追求することにも大きな意味があります。
ただ、それだけが知識の深みを手に入れる手段ではありません。そうして掘り進まれた知識のコアの部分を、しっかりと把握して持っている知識の質を上げることは、大量の土を掘る労力が無くても可能です。そして、高い知識の質を、多方面の知識分野で掘り下げておく、という戦略もまた、知識の習得として大きな意味を持ちます。
これは、言うなれば、「狭く深く」や「広く浅く」ではなく、「多様で鋭く」という戦略です。
この知識習得の戦略は、主に2つの分野で価値を持ちます。
■学際研究
1つ目は、研究の分野における、学際研究です。
学際研究とは、複数の分野にまたがる研究を行う事です。
学際ではない通常の研究では、研究者は1つの学問分野を狭く深く探求していきます。研究ですので、既に誰かが掘った穴を掘り返すのではなく、まだ誰も掘っていないその先を掘り進むイメージです。このため、ショベルでそのあたりの土を掘り広げていく必要があり、深さだけでなく広さ方向にも労力をかける必要があります。
一方で、学際研究は、複数の学問分野の間にある、まだ見つかっていない知識の探求を行います。これは、それぞれの知識が分かっていれば、後はその知識同士に横穴を通したり、それぞれが合流するように斜め下に掘り進んでいくような作業です。あるいは、知識が球だとすれば、それぞれ真下に掘り進んでも合流点が見つかるかもしれません。
この学際研究は、様々な知識分野で発見されたコアの部分の知識を掘り下げて把握しておくことが重要ですので、「多様で鋭く」知識を習得しておく戦略が効率的です。
■問題解決
2つ目は、問題解決の分野における、解決策の立案です。
ここで言う問題解決は、テスト問題の解答を考える事ではなく、世の中で、まだ解決されていない問題の解決策を考えるという領域です。昔であれば、まだ解決されていない問題というのは誰もその問題を考えていなかっただけで、真剣に考えて取り組めば、解決できるものが多かったかもしれません。
しかし、現代のように多くの人が高度な知識を持ち、かつ、問題があれば行政であれビジネスであれ個人であれ、誰かがその問題の解決を試みるモチベーションが高い社会では、比較的シンプルな問題はあらかた解決済みです。ということは、残っている未解決の問題が、いずれも複雑な難問ばかりです。
その難しさは、学問のように問題自体が高度な知性が必要になる難しさというものはあまりありません。それよりも、ある解決策が別の問題を引き起こしてしまうため、多方面への影響を考慮しながら上手い落としどころを見つける必要がある、というような、高度で複雑に入り組んだ現代社会であるからこその難しさです。
このような現代の問題を解決するためには、多角的に問題を捉え、多方面に配慮した解決策を考える必要があります。1つ解決案を出しては、そこに様々な人から意見を貰う、という事を地道に繰り返すやり方で取り組まなければならないような問題も多くあります。一方で、多方面の知識を持っている人が、多面的に合理性の高い解決策を打ち出すということもしばしばあります。
そうした解決策を立案するためには、その個人、あるいは少人数のチームが、多方面の知識を深く把握していることが重要です。考慮すべき知識分野に大きな漏れがあれば、誰かに聞かなければ解決策の影響を評価できません。詳細がわからなくても、各分野の知識のコアを深く理解していれば、少なくとも解決策の大まかな方針は、その個人やチームで立案し評価することができます。
ここでも、「多様で鋭く」知識を把握しておくことが、やはり重要になるのです。
■さいごに
知識の習得について、掘削機と球形の地面のイメージで捉えることで、私自身が思い浮かべる知識の姿を上手く表現できるようになりました。これにより、違和感の本質も明確になりました。
私はソフトウェアエンジニアであり、その中でも開発するシステムやソフトウェアの基本構造(アーキテクチャ)の設計を行うアーキテクトという役割を担っています。
良いアーキテクチャを設計するためには、システムの特定部分についての深い知識よりも、システムに関わる様々な技術的な知識を、広く把握しておく必要があると言われています。
しかし、実感としては、多様な知識の表面だけ知っていても実際の設計には使えません。では、多様な分野の細かい点まで勉強すればよいのかと言えば、日進月歩で技術が進化するソフトウェアやシステムの世界で、そのような学習方法は効率が悪すぎ、よほどの才能が無ければ非現実的な学習手段に思えます。
そこでは、細かい知識の量よりも、技術の深い本質を鋭く把握していることが、重要になると考えています。それがあれば、具体的な知識は周囲のエンジニアに任せるなり、インターネットで調べれば事足ります。しかし、本質的な知識は、自分が持っていなければ使いこなすことはできません。
このため、私は、「多様で鋭く」知識を把握する戦略が、重要だと感じているのだと思います。
エンジニアに限らず、これからは学際研究や複雑な社会問題の解決策の立案ができることも重要になってくると思います。そうした時代に向けて、ここで整理したような考え方が、何かの参考になればよいなと思っています。
<ご参考:関連記事>
知識の理解のために私が実践している事を、以下の記事に記載しています。
また、学際的な知識が必要となる現代的な問題解決に関して、以前書いた記事も関連記事として挙げておきます。