自己と外界の基本モデルと意味論
■自己と外界によるフィードバックループの基本構造の規定
生命にとって、外界と自己という二元化が、本質的に重要な意味があると思います。この区別が、生命の自己維持や免疫を働かせるためには必須です。
私は、細胞生物が登場する以前の化学進化の過程にも、必ず根源的には非常にシンプルな生命の本質的な性質が、かなり早い段階で現れるであろうと考えています。
その一つが、自己強化的なフィードバックループです。化学進化の過程で、ある存在が登場した時に、それが存在すること自体が、その存在を支え、強化し、増幅させるというフィードバックが働くことが、生命の本質的な性質の一つであると考えています。これは、DNAを例に考えれば、はっきりと分かります。DNAを持つ細胞は、自己複製により自分自身の存在を増幅させることができます。
DNAが登場する以前にも、こうしたフィードバックループは存在し得ると考えています。そして、それが化学進化においても重要な役割を果たしており、生命の誕生に不可欠であったと考えています。
ここで、フィードバックループによって何が強化されるのか、ということを考えた時、強化されるのは第一義的には自己であろうと考えます。そして、二次的には外界かもしれないと考えています。
自己と外界という二元化について私は着目しているのは、このように、フィードバックループの基本構造を規定するために欠かせない概念だと考えたためです。
■自己と外界の構造モデル
ここで、自己と外界の構造をモデル化します。図1に静的なブロック図を示します。以下の文章で説明します。
自己をX、外界をYとします。
自己Xと外界Yは互いにエネルギーや物質のやり取りを行います。これをAとBとします。AとBは、それぞれXとYの状態によって決まりますので、関数Fa, Fbを用いて、それぞれA=Fa(X, Y)、B=Fb(Y,X)という式で表現します。
また、自己Xや外界Yは、単にお互いにやり取りされるエネルギーや物質の変化だけでなく、自己参照的な変化もします。この自己参照的な状態変化を規定するため、関数FxとFyという形で表現することにします。
図2には、同じモデルの時間遷移を表現しています。
ここで、時間をモデル化する必要がありましたが、単純化のため時間を単位時間毎の区切りで考える事にします。この考えに従って、時間は、T1、T2、T3・・・といった形で進行するものと考えます。
時間を規定したので、時間毎の自己Xと外界Yの状態を規定しましょう。ある時間T1における自己Xと外界Yの状態をX(T1)、Y(T1)と表現することにします。
ある時間T1からT2に掛けて外界Yから自己Xに移動するエネルギーや物質をA(T2)と表現することにします。反対に自己Xから外界Yに移動するエネルギーや物質はB(T2)で表現します。
やりとりされるエネルギーや物質が規定できましたので、自己Xと外界Yの時間経過による状態変化を規定することができます。T1からT2に時間が進行すると、以下のように状態が変化することになります。
自己X:X(T2) = Fx( X(T1) + A(T2) - B(T2) )
外界Y:Y(T2) = Fy( Y(T1) - A(T2) + B(T2) )
ここで、自己と環境を移動するエネルギーや物質の量は、自己Xや外界Yの状態によって変化するというモデルで考えます。それぞれ、どのように変化するかは、関数FaとFbという形で表現することにします。
それぞれの関数の中身は、具体的には適用する対象ごとに異なります。中身は差異はあるものの、このモデルでは共通して以下のようにこの関数の影響が反映されます。
外界Yから自己X:A(T2) = Fa( X(T1), Y(T1) )
自己Xから外界Y:B(T2) = Fb( Y(T1), X(T1) )
ここで、この式を先ほどの自己Xと外界Yの時間変化に適用すると、以下のようになります。
自己X:X(T2) = Fx( X(T1) + Fa( X(T1), Y(T1) ) - Fb( Y(T1), X(T1) ) )
外界Y:Y(T2) = Fy( Y(T1) - Fa( X(T1), Y(T1) ) + Fb( Y(T1), X(T1) ) )
このように、自己と外界の状態の時間変化は、関数Fx, Fy, Fa, Fbによって規定されるモデルで表現することができます。
■質の向上:量のゼロサムゲームを超える
自己Xと外界Yの間でやり取りされるエネルギーや物質を、単にその量だけに着目すると、この過程はゼロサムゲームのように見えます。なぜなら、よほど特殊な状態変化がない限りは、エネルギー保存則や質量保存の法則により、自己Xと外界Yの中のエネルギーと物質の量の合計は常に一定となるためです。
しかし、やり取りされるエネルギーと物質の構造は、時間と共に変化する可能性があります。例えば、原子の種類と量は同じでも、単に無機的な分子として交換される場合と、構造化されたアミノ酸や糖、脂質、核酸のようなものとして交換される場合とがあるでしょう。
無機的な分子をやり取りした場合に比べて、構造化された物質をやり取りした場合には、次の交換への影響も大きくなると考えられます。それは単に量的な拡大だけでなく、質の向上という意味もあります。ここで、質の向上というのは、より構造化された物質の形でのやり取りを意味します。
従って、やり取りされるエネルギーや物質の量の観点ではゼロサムゲームであっても、質の観点では時間と共に向上していくことは可能です。エネルギー保存則や質量保存の法則は、量についての制約です。質の向上を妨げたり制限する法則は、基本的にはありません。
図3に、この時間経過のイメージを示します。物質やエネルギーの総量に変化はなくても、質が向上し、それにより交換される物質やエネルギー量は増加していく様子を示しています。
次に、エントロピーの法則についても触れておきます。
エントロピーの法則に従うためには、全体としてエントロピーが増大していれば良いはずです。このため、ここでやり取りされる構造化された物質の分だけ、どこかで代わりに構造が崩れていれば良いだけです。
その境界は、ここでいう自己と外界ではなく、別の境界線で行われることも可能です。その別の境界線の内側では構造化が進んでエントロピーが減少しても、同時に境界線の外側でそれ以上のエントロピーの増大がなされれば、問題ありません。このため、エントロピーの法則は自己と外界の間でやり取りされる物質の質の向上に対する直接の制約にはなりません。
このように、質の面を捉えれば、自己と外界のやり取りはゼロサムゲームを超えた意味を持ち得るのです。
■フィードバックループによって何が強化されるのか
冒頭で、自己強化的なフィードバックループによって何が強化させるのか、という問いを立てました。
エネルギーや物質の量で捉えると、確かに生命は外界から多くを取り込むことを目指します。生命は、生命側にエネルギーや物質を取り込んでいく量を増やす方向に進化してきています。
一方、ここまでの議論で、質の面で捉えることも重要だということが見えてきました。質は、ゼロサムゲームではない、ということを述べました。生命の自己強化的なフィードバックループは、この事を利用していると考えられます。つまり、フィードバックループにより、自己の内部の質を向上させるだけでなく、外界の質も向上させていると見なせるのです。
何をもって質の向上と定義するか、という疑問が生まれます。ここでは、自己強化的なフィードバックループの性能が向上する、と考えましょう。つまり、自己の方向に量が移動しやすくなることが、第一義です。そして副次的には、自己と外界の質をさらに高めることです。
地球上に、光合成を行うシアノバクテリアが登場したことで、大気に充満していた二酸化炭素が取り込まれ、生命の内部にはエネルギーを扱いやすくする糖が蓄えられ、大気には糖の分解に役立つ酸素が放出されました。
これは、自己と外界の両方の質の向上と考える事が出来るでしょう。これにより、酸素を取り込んで糖を分解してエネルギーを取り出す生物の登場が可能になりました。
陸上では、単なる砂や粘土の中でバクテリアや小さな生物が活動することで、化学的には窒素等が地中に固定され、物理的には砂や粘土が適度な大きさの粒になって酸素や水の貯留と排出ができる構造が形成されるのだそうです。これが上手いバランスが取れたものが土で、良質な土は、植物が根を張り巡らしやすくなっており、生育に必要な窒素等の養分や水を吸収しやすいのです。
このように、土の形成の過程も、生命全体から見れば外界の質の向上です。
人間も、道路を整備したり、資源採掘のための道具を作ったりする形で、エネルギーや物質を自分たちの活動に取り込みやすくしてきました。また、そうして向上したエネルギーや物質的な豊かさを基に、さらに科学技術を発展させ、より便利な道具を生み出してきました。これらの活動も、自己の量的な強化と、自己と外界の質の向上につながっています。
■質の向上の種類
自己強化的なフィードバックループによって、質が向上することで、自己と外界の間で交換される物質やエネルギーの量が増えます。
この質の向上にはいくつかの種類がありますので、ここで考えられることを挙げておきます。
[A] 交換が容易な物質の生成
交換が容易であるため、単位時間あたりの物質やエネルギーの交換量が増えます。例えば、自己が取り込むことができる、よりエネルギー密度の高い有機化合物が外界に生成されることで、短時間に高いエネルギーが外界から自己に移動可能になります。
構造モデルでは、関数Fa, Fbで出力されやすい物質ということになります。
[B] 交換を促進する物質の生成
交換が促進されるため、単位時間あたりの物質やエネルギーの交換量が増えます。例えば、消化液や硬い歯や丈夫な顎が発達すれば、エネルギーの取り込み量が増えるでしょう。この他、化学的な勾配を生み出すことで物質やエネルギーが取り込まれやすいようにするといったことも考えられます。
構造モデルでは、関数Fa, Fbで出力される物質を増やす作用を持つ物質ということになります。
[C] 品質が向上する物質の生成を容易にする触媒の生成
触媒により[A]や[B]の物質が生成されやすくなることで、より質が向上していくことになります。また、[C]の触媒を生成するための触媒ができれば、質の構造速度が加速されるでしょう。
構造モデルでは、関数Fx, Fyで生成される物質の量を増やす作用を持つ物質です。
[D] 多様な物質が新たに合成されやすくなる物質の生成
上記の[A][B][C]および[D]自身を生み出すためには、多様な物質が多様な組合せで合成される必要があります。多様な組合せを短時間で指向することを可能にするような物質ができれば、進化が加速されるはずです。
構造モデルでは、関数Fx, Fyで生成される物質の種類を増やす作用を持つ物質です。
■さいごに:生命の起源へ
この記事では、自己強化的なフィードバックループについて、自己と外界の数理的なモデル、及び、その意味論としての外界から自己への量の移動と、自己と外界の双方の質の向上の様子を、描きました。
この数理的なモデルと意味論は、細胞生物が登場した以降の生命や知性の観察に基づいています。一方で、私はこれらを、細胞生物登場以前の生命の起源における、有機物の化学進化の過程にも、同じように適用できる視点だと考えています。
つまり、謎に包まれている生命の起源における化学進化の過程を、この自己と外界の自己強化的なフィードバックループのモデルと、その意味論の類似性から描くことができるのではないかと考えているのです。
生命の起源は、単に、無機物から有機物が生成され、その有機物が確率的な幸運に恵まれて細胞として機能するような構造に進化したという考え方では説明しきれません。そこには、生命が行ってきたような、外界との相互作用、特に外界に対しても自己の進化が有利になるような作用を及ぼしながら進化したという視点が、恐らく重要になります。
この視点から掘り下げることで、生命の起源のメカニズムについて、より納得性の高い説明が可能になると考えています。