退院して
退院して数日経ってしまった。
去来する想いが多すぎてなんだかうまく描けないまま、下書きが伸びる一方だったので一念発起してちゃんと世に出すぞ。
20220319
入院した時には
「退院する頃にはすっかり春になってるんだろうなあ。」
と思っていたが、この日の気温は前日よりも10℃下がって入院時と同じような気温だった。
退院日に身体検査や先生との面談はなく、案外あっさりとしている。
指定された9時過ぎに看護師さんと忘れ物チェックをして、お世話になりましたとあいさつを交わした。
「お大事にしてくださいね。お気をつけて。」
縁起でもないから「また会いましょう」なんて言わないだろうけれど、重症筋無力症の人は定期的に入院治療をする人が多いせいか、そんなニュアンスを含んでいるかのようにどこか感じた。
もう2度と戻ってくるなと言われるよりかはいいのかもしれないな。
刑務所じゃないんだし。
どうしようもなくなった時に帰ってこれる場所があるというのは心強いものだ。
その時はまた、お世話になります。
歩く際に必須だった杖も、退院時には折りたたんで荷物にすることができた。
まだちょっとおぼつかないけれどまっすぐに歩くことができる。
本当に見違えるようだ。
悠々と家に帰るだけの僕とは対照的に、スタッフが集まる事務所は今日も忙しそうだ。
邪魔にならないように軽く挨拶を済ませてエレベーターで会計窓口へと向かう。
会計を済ませて10日ぶりに外に出る。
風が冷たい。雨が降りそうな湿度を感じる。
植木の土のにおいが病院内には存在しなかったことに気づく。
久しぶりなのと体調が改善されたことで今までに無い感覚が通り抜ける。
体調が改善したというより、身体が変わったのだ。
近い将来、よく聞く苦労話のように
「あの時は大変だったけど、今となってはいい経験だったよ。」
なんて言うようになるんだろうか。
それはなんか、嫌だな。
生活するだけで精いっぱいだった。
外出するまでに何度も寝て起きてを繰り返してムチを打ち続けた。
そんな自分が同じようなことを言われたら
「経験なんてどうでもいいからさっさと治せ」
と言い返すだろう。
喜怒哀楽、好調不調を含めて人はその時々で複数の身体を持っているのかもしれない。
苦しんだあの日の肉体はきっと今も同時に存在している。
今は引っ込んでいるけれど、いつでも思い出すことができる。
それは決して必要なものでも、役に立つものでもない。
ただ仕方なく、存在している。
大小様々だが誰にとってもあるものだろう。
誰かを思いやるという時、皆その仕方ない存在にアクセスしているんじゃないか。
「思いやりとは想像力である。あなたのことは100%わかってるという態度に愛情はあっても思いやりはない。」
というのが以前何かの本に書いてあったことを思い出した。
皆どうしようもなく欠けている。
それを抱えて共に生きていくことにより良い事があると信じて、不安定を原動力に生きていく。
不調を全くのゼロにするのではなく、向き合って対話することを辞めないつもりだ。
だから今後とも、死ぬまでよろしく。
追記
お世話になった慶応大学病院のスタッフの皆さん、ありがとうございました。