サンドバッグ、兼相棒
基本的に普段「怒り」という感情を表に出さないようにしている。
「怒り」どころか「不快感」すらも出さないようにしている節がある。
これは私が人生初のバイト先で出会った店長に言われた言葉がきっかけになっている。
「藤美さん、今日大学で友達に辛いこと言われちゃって悲しいのは分かるけど…それってお客様に関係あることなのかな?藤美さんが辛いとか悲しいとかいう顔や態度で接客して、お客様は嬉しいかな?今日をずっと楽しみにしていたお客様かもしれない。もう来ることができないお客様かもしれない。記念日かもしれない。そんな大切なお食事の時に、ムスッとした藤美さんが接客したら、きっとお客様の思い出も悲しくなると思う」
みたいなことを言われた。
まさしくその通り!目から鱗!となった私は、仕事以外でも基本的に
「相手に関係ない自分の負の感情」は出さないようにしているのだ。
ただし如何せん溜まる溜まる。
理不尽なことを言われた時や、自分の失敗が悔しい時。
顔に出さぬように、無関係な相手にこの感情をぶつけてしまわぬように、そうしていた結果自分の中にめちゃくちゃ溜まるようになった。
2017年頃から、私はほぼ日手帳を毎日書いている。
と言っても、最初の頃は毎日ではなく、気が向いた時に書いていた。
半年ほど空白の日々が続く、2017年のほぼ日。
それがある日を境に、毎日書くようになる。
職場の後輩が亡くなったあの日だ。
まだ20代に突入したばかりで、来年は年女なんです〜なんて言っていた彼女。
2017年の年末、急逝した。
私たちにはあまり話すことはなかったが、実は持病があったとその時聞いた。
本当に突然の出来事で、私もこの先何があるか分からないと強く考えたのだ。
そこで、自分の日々の記録を付けがてら残していくことにした。
それからほぼ毎日、ずっと続けて毎晩書いている。
あと前述したように、むしゃくしゃしたことを吐き出したかったのもある。
イライラしたことなどはアウトプットすることによって解消されていくというが、本当にその通りだと思う。
むしゃくしゃした日はほぼ日にひたすら書き込む。
書いて書いて、そうしていく内にだんだん自分の中のドロドロとした何かが少しずつ消えていく気がするし、頭の中も整理されていく。
一方的にイライラしてるけど…これ…よく考えたら…自分もだめじゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん!!!!とかなる。
そんな私の浮き沈みを、いつだって無言で受け止めてくれるのだ。
あとから読み返すと楽しい。
むしゃくしゃだけではなくもちろん楽しいことや嬉しいこともたくさん書き留めているので、この時こうだったな〜ああだったな〜と思い返すことができるのだ。
あと本当に備忘録としても優秀。
「あれ?去年家族の誕生日に何買ってプレゼントしたんだっけ?」
なんて時のためにも、我が家の恒例イベントである誕生会が実施された日のほぼ日は細かく書かれている。
日記なんて続かないと思っていたが、こうして2020年の今まで続いている。
一時期なんて日中からすでに「今日何書こうかな〜」とか「これネタとして書けるな…」とか考えていた。
今では立派な私の日常となり、日記だけでなくどこかへ行った時はチケットを挟んだり、おばあちゃんが拾ってくれたイチョウの葉を挟んだり。
秋頃になると「来年のほぼ日のカバー何にしようかな…」と悩んだり。
そうそう、カバーを選ぶのも楽しい。
同じカバーをずっと使おうかと思ったが、「これが今年の相棒!」という感覚で使うために、毎年毎年カバーを変えることにした。
私の人生の記録を今後も引き続き書き留めていきたい。
あとから読み返した私や誰かが「この時こんなこと考えてたんだ〜!」と笑えるように。
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