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中華粥に魅せられた日から
2人暮らしの我が家では、1日に1度だけ炊飯器で米を炊いたのを3食(お弁当含む)に分けて食べきるのだけれど、その日の体調や気分によって食べきれずに余ることがある。
大抵は、次の日の朝ごはんとして食べられる。
近頃は、炊飯器も精米機も冷蔵庫も電子レンジも優秀なので、炊き立てには劣るとしても、保存していたご飯だって十分美味しく食べられるし、前日に炊いたからといって特段工夫して食べる必要もない。
なんの根拠もないし実際に比較したことも無いけれど、雑炊やチャーハンなら、いっそ炊き立てより保存していたやや水分の飛んだようなごはんの方が美味しく仕上がるような気さえしている。
(でもお店の雑炊やチャーハンは、きっとその日に炊いたごはんだよね?腕の違いだね。)
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久しぶりに中華粥が食べたくなった。
日本でお粥というと、風邪や病気になった時に食べるものというイメージが強いけれど、中華粥は、中華圏では朝食を中心に日常的に食べられているメニューらしい。
あれは、まだお粥が病人の食べ物と思っていた小学生の頃。
横浜中華街で(お粥かぁ…)とテンション低めで口にした中華粥があまりに美味しくて衝撃を受けた。
鶏の旨味と、子どもでも抵抗感の無いほんのりとした薬膳の風味、優しい塩味、なめらかな舌触り…
(中華粥…!覚えたぞ!!これはうまい!!!)
その頃はまだそこまで中華粥がメジャーじゃなかったため、結局またしばらく本格的な中華粥を口にすることはなかったけど、この時「中華粥は美味しい」と完全にインプットされた。
大学の頃は、渋谷に中華粥の専門店があり、買い物ついでにたまに食べていた。
あまたの飲食店がある渋谷でわざわざお粥かよと思われるかもしれないけど、むしろ店舗数で言えば当時タイ料理より珍しかったのだから、私にとっては行く価値が十分にあったのだ。
そうして時が経ち、今では片田舎の街でも中華粥を提供するお店がちらほら見られるようになった。なんという幸せ。
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私が家で作るのは、なんちゃって中華粥。
下味を付けた鶏肉を茹でた汁から鶏肉を取り出し、余ったごはんやネギ、きのこ、クコの実などを適当に放り込んでグツグツ煮込みながら柔らかくしていく。
ザーサイやピータン、揚げエシャロットなんかがあれば最高なんだけど、残念ながらそれらが日常的にある家ではない。
もっと言えば、鶏肉すら無くて、鶏がらスープの素、お湯、ごはんを温め、胡椒を振り、刻みネギを散らし、ごま油を垂らすだけの時もある。
超なんちゃって中華粥である。
それでも、味は違えど遠い日の衝撃にトリップすることは出来るのだ。
自分しか知らないエピソードがある食べ物。
そういうのは、いつまでもどこか特別に思えて嬉しい。