虫かごいっぱいのあの子たちは
先日、実家に行ったとき、母が「そういえばあそこの木にセミの抜け殻があるよ」と教えてくれた。
縁側の軒下にある、腰掛けられるほど太い丸太のへりに、顔をのぞかせるように抜け殻がくっついていた。
「わ、本当だ!あるね!わぁ~!」
……ん?
「ねえ、なんで私セミの抜け殻見て騒いでんの?おかしくない?」と言うと、母は「本当だよねえ~」とカラカラ笑っていた。
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私の実家は、東北の片田舎。
関東育ちの友だちを連れてくると家の大きさにびっくりされるけど、ここらにある昔の家なら庭付きのデカい家は珍しくない。
子どもの頃、というか、おそらく中学生くらいまでは森の中でなくとも庭中にセミの抜け殻があった。
同じ木に何個も、家の壁や草むらにも。
それが当たり前すぎて気持ち悪いもなんも思わなかった。
それが今じゃ、たった1つの抜け殻を見て「あった!あった!」なんて騒いでいる。
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親が、「ちょっと誰の子かしらね」と冗談を言いたくなるほど、おてんばだった幼少期の私。
兄2人がいながら、彼らに負けないほど活発で、比にならないほどランドセルをボロボロに使い込んでいた。
(なぜなら踏み台にしたりソリにしたりして酷使したから。毎回めっちゃ怒られていた。)
一方で私は、母に言わせると「1人遊びの天才」で、遊ぶことにおいては手がかからなかったらしい。
晴れの日は庭に放しておけば虫取りをしたり、草花で色水を作ったり、おじいちゃんの庭仕事につきまといながら見ていたり。
雨の日は紙とペンさえ与えておけば、飽きることなく絵や文字を延々と描き続けていたそうだ。
だから、私にとって虫取りはライフワークの1つだった。
あの頃。
私の遊びのノルマは、「虫かごいっぱい」だった。
カエルも、とんぼも、ちょうちょもカマキリも、そしてセミの抜け殻も。
ありとあらゆる生き物をかごいっぱい集めたら終了。
それでも、すぐに集まった。
それくらいたくさん生き物がいた。
ノルマを達成して、虫かごの蓋を開けた時、ようやく自由を取り戻した生き物たちがブワァっと飛び出していくのが楽しかった。
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彼らはどこに行ったんだろう。
今では、5匹集めるのも苦労しそうになってしまった。
秋には庭中に飛び回っていたとんぼたちも、いつの間にかいなくなった。
立派なアゲハ蝶も、それになる前のたくましいイモ虫も。
カエルも、そうだ、カタツムリも見なくなったな。
というか、今では絶滅危惧種になってしまったタガメやゲンゴロウも、家の裏の田んぼに当たり前のようにいたのにな。
みんな、いなくなってしまった。
でも、理由はわかる。
家の周りの木が減った。空き家が増えて、庭木も減った。土地がならされるにあたって防風林のような林もなくなった。
家の裏に広がっていた田んぼはみんなアスファルトで舗装され、商業施設や駐車場になった。
私にはどうすることもできなかったけど、胸が少しキュッとなる。
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あちこちで森だったところが、雑木林だったところが切り倒されている。
新しい道路が開かれて、家やアパートが建てられる。
どこかザワザワする。どこかが確かに反応する。
今なら何かできることがあるんだろうか。
なんだか、このまま見てみぬフリはまずい気がしている。