安心がしたくって
話題になっているそうで、平積みされてて気になったのでカフェが併設されている本屋さんで読ませてもらった。
やりたいことに迷いが出ているわけではなかったけれど(気になったらとりあえずできる範囲で動いてみたらいいじゃん、と思うタイプなので)、何を軸にしたいかは全く明確ではなかったので「どこかに参考になればな」くらいの軽い気持ちで読み始めた。さすがにただ試し読みしている立場なのに、がっつりと書かれているワークをするわけにもいかないな、と思ったので、本当にさらっとだけ。
自己理解は難しい。ずっと自身に否定的に生きてきた人間が、少しずつ前進しようとして自分の思考の根本の確認や「徹底的に楽しく心地よく」生きていくための考え直しをしていく過程で必ずといっていいほどぶち当たる「自己理解」だけれど、さらってもさらっても「まだこんなねじれた考え方してるものがあるんだ」と驚くことがしょっちゅうある。
この本では「やりたいこと」というのは「好きなこと」を「得意なこと」でやるのを意味し、さらに「大事にしていること」をも満たすことが「やりたいことをやれている」という状態のようだ。最初に「大事にしていること」、つまり自分の価値観について考えてみるのだが、あらゆる自分の行動を鑑みて、ほぼすべてにおいて土台になっているんじゃないかと思えるほどの価値観があるのに驚いた。
それは「平穏」や「安心」。
私はこれだ!と思うことにいろいろと手を出してみることがあるが、始める前に必ずと言っていいほどリスクや失敗など、考えうる最悪のことを頭の中で挙げてみる。そして「こういうマイナス面があるんだな」と理解してから行動に移し始める。正直自分でも「起こったら困ることなんて、自分の想定から外れたことが起こるから困るっていうもので、こんなの想像する時間って結構無駄だし、さっさと動けばいいのにな」とずっと思っていたが、リスクを理解して「安心させる工程」を経ることで、私は力が出せる人間なのだ、とストンと理解した。自分で自分の中に納得できる範囲で
セーフティネットを張っておくことで、「いざ悪いことが起こってもこうやればいいんだ」と安心できるし、そうやって適度に肩の力が抜けていると、セーフティネットとして想定していた以外のことが起こったとしても、割と対処できることも多い。
自分が安心するために何かをやろう!ということではなさそうだが、安心すること、ほっとしてリラックスできる状態で行動を起こすことが、自分が想像していた以上に大事にしていたんだなと驚いた。それは先程言ったセーフティネットだけではなく、もっとあらゆることの根幹として。
時代の寵児と呼ばれている人だったり、会社や組織で中心となっている人、自分の夢を叶えていると話をしている人や、とんでもない成果を挙げている人には、そんな価値観を持っている人を私はあまり聞いたことなかった。興奮したり、ものすごい瞬発力を持っていたり、時には悔しさや怒りなどと言った、人を巻き込むだけの押せ押せなパワーを持っている人ばっかりで、なんて自分はぬるい考え方をしているんだろうと思っていた。恥ずかしかったし、「随分とおっとりとして、ぬるま湯のような考えだね」と言われるのが悲しかった。
でも、私は兎にも角にも突き抜けるようなパワーを、何も考えずに生むような人間ではない。そういう考え方を、やりたくてもできないのだ。ならば付き合っていくしかない。ひょっとしたらこういうほんわかとした思考も必要なときがあるかもしれないし。地盤を固めて、安心できる場所を増やして、そうして私の世界を広げていく。スピードが大事な時代にとってはあまりにも遅いことかもしれないけれど、私は私なりのやり方を創造していかなくては。
この「価値観」の部分が自分には衝撃的で、他のことまで気が回らなかった。「好きなこと」……う〜ん、やっぱり芸術とか本とか心理のこととか?「得意なこと」……え〜、作ることとか、妄想することとか?文章や音楽は人よりできる、って程度だけど、そのことに夢中になるいうより、ずっとラマーズ法やり続けているイメージだけど、それもありなのか?とか。
ちゃんと買って検証しよう。なんならブログなども目を通して。仕事や趣味として形づくことはなくとも、こうやって自分のことを考えるのは、苦しくも楽しい。なかなかナルシストだな、と思うけれどね。