『今さら翼といわれても』米澤穂信(角川文庫)

デビュー作『氷菓』につらなる古典部シリーズの6作目となる短編集。
2年生になった古典部の面々の屈託が、さらに掘り起こされている。

米澤穂信といえば、押しも押されぬミステリ作家で、年末のランキングで2年連続の3冠を達成するほどの書き手だ。
でも僕の好きなところは、ミステリとしての完成度以上に、デビュー作『氷菓』からずっと生きることの苦さが描き続けられているところだ。
米澤ミステリの興味深さは日常系でありながら、謎解き後の爽快感があまりないところ。
人も死なず、誰も悲しむことなく、なるほど、そういうことだったのかあと膝を打ち、めでたしめでたしとなるのが日常系のよいところのはずだけど、米澤作品はその結末の大半に微かに暗い影がさす。

特にこのシリーズ(と東京創元社の小市民シリーズ)ではメインの登場人物が高校生ということもあり、青春の苦味がそれはもう存分に散りばめられている。
今回はさらに謎解き要素よりも、登場人物それぞれの高校生活にスポットが当たっているように思えた。
奉太郎のモットーである省エネがなぜ始まったのか。
摩耶花の漫画への取り組みと、その情熱。
そして表題作で語られる、えるの思い。

摩耶花が所属する漫研での出来事はこれまでにも語られてきていたが、今回収録された「わたしたちの伝説の一冊」で一気に核心に触れられ、彼女自身の去就も決まる。この話は、部活への取り組み、夢への情熱など、相当に青春の熱量が高い。それでもしかし、何かを選び取ること、そして自分で決めた道へ踏み出すこと、それらへの覚悟が摩耶花の迷いを通じて読者に切々と語られていて、ただ夢って素晴らしいよね、と笑えるものではない。
もちろん、だからこそ、覚悟を決めたその横顔が凛々しいものになるのだが。

そして表題作「いまさら翼といわれても」だ。一体どういう意味のタイトルなんだろうと思っていたが、読み進めていくうちに、このタイトルがゴールになることが分かっていく。
この展開と収まりの美しさ。
ああ、かっこいいなあと綺麗だなあと感嘆するしかなかった。でもその美しい構成が内包する物語は、あまりにも切なく、これで短編集を終わられてしまってどうしたらいいのかという気分になった。
以前に著された短編「遠まわりする雛」の続編とも言える作品なので、次に短編集が出るときにはこの続きが読めることを期待している。

愛してやまない摩耶花が主役の話が2つもあって大満足だったわけだが、やはり『いまさら翼といわれても』という不思議なタイトルがピタリとハマった瞬間の爽快感と、その言葉の持つ意味の苦味、このコントラストを味わえたことが1番の収穫。

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