『いとみち』越谷オサム 新潮文庫
相馬いとは青森の高校に通う16歳。祖母譲りの津軽弁と内気な性格のために、クラスメイトに挨拶をするのも苦手な内気な少女。そんな彼女が思い切って始めたアルバイトはメイドカフェ。バイトはドジばかりだし、友達もなかなかできないし、三味線を弾かせたがる祖母ともギクシャクしていて、どうにも上手く行かない毎日だけど、ほんの少しずつでも、たった一歩だけでも前に進むために頑張るいとの青春奮闘物語。
メイド、ロリ、ドジ、方言、泣き虫、とバイト先の先輩に萌え記号の詰め合わせと呼ばれてしまうほどに立ちまくったキャラを持っているいとだが、本人はただひたすらに引っ込み思案で家族以外とは全く上手く喋れない。いろんなことを考え、様々なことに思いを巡らせ、結局喋れなくなってしまう。そんな自分のことを、いとは好きになれずにいる。
唯一の特技と言ってもいいのが祖母直伝の津軽三味線で、中学時代に参加したコンクールでは入賞したほどの腕前なのだが、女子にしては豪快すぎる演奏スタイルが恥ずかしくなってしまい、遠ざかっている。祖母は練習に誘ってくれるが、そのスタイルを修正してくれなかったことを逆恨みしていて、どうしてもつらく当たってしまう。
暗黒の中学生を終え、高校生活が始まったときには、友達を作ろうと思ってみたものの、通学時に顔を合わせるクラスメイトに挨拶すらできず、談笑に包まれる車両にいることすら苦痛に感じてしまう。そんな毎日が哀しくて、つまらない。
そんないとの高校生活1年目。
一体どうなるのかと読んでいてハラハラしてばかりなのだが、いとの小さな勇気が彼女の世界を広げて変えていく姿を応援しないではいられなくなる。
これが小説でなくて彼女の内面が分からなければ、何も喋らなくて何をやってもグズグズしている人だなあくらいのことで終わるかもしれない。でも、こちらには彼女の考えていることややろうとしていることが分かる。彼女自身の必死な言葉を、まっすぐに受け止めることができる。前を向いたりうつむいたり、しょんぼりしたりも一緒だ。これはこれでもどかしく思ってしまうこともあるのだけど、考えていることもやろうとしていることも正しいんだから頑張れ、という気持ちになる。させてくれる。
また、いとの日々には、家庭、学校、アルバイトと3つの世界があるが、これが彼女の毎日が回っていく上で効果的な舞台になっている。
緊張しっぱなしのアルバイトに比べれば学校は気が休まる。そしてまたバイトを頑張る。
アルバイトで頑張るためにまずはクラスメイトに話しかけてみようと勇気を振り絞ることができる。
例えば、そういう風にお互いが影響し合って進んでいく。
劇的なことはなくとも少しの踏み出しで明日は変わる。日常ってそういうものだよなとすんなり受け入れることができる。
また、作中で彼女の毎日を共にする人々は、読者のようにいとが考える地の文をカンニングしなくても、彼女の思いを汲み取り、言おうとしている言葉を待ち、時に抱きしめ、時に背中を押してくれる。
とにかく優しいのだ。
アルバイト先の店長も、年齢をごまかしているシングルマザーのメイド長も、お調子者の漫画家志望の自称エースメイドも、必死に踏ん張り、頑張っているいとを愛している。のちに親友となるクラスメイトたちも、いとの頑張りを応援してくれる。
彼女を取り巻く環境は、決して苛酷なだけではない。それをいとは学んでいき、踏ん張り時を見極めることができるようになる。この成長がたくましく、ますます応援したくなる。
そんな彼女だが、物語はなかなかに厳しい試練を与えてくる。
アルバイトについての家族との確執。
まさかまさかのバイト先の致命的な危機。
せっかく築き上げてきた、築き上げられそうになっていた小さな女子高生の毎日は、簡単に崩壊しそうになってしまう。このとき、いとはどうするのか、いとの周りの人々はどのように彼女に関わっていくのか。
最初から最後までニコニコしたりハラハラしたり忙しく、その展開は決して飽きさせることなくしっかりと読者を導いてくれる。
そして頑張っている人が正しく報われる優しい世界に心が洗われる。
決していとのキャラクター一点突破に頼むことのない、地に足の着いたエンターテイメント作品になっている。
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