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タレスは「三角形の内角の和=2直角」を知っていたか?

私は数年前から数理空間トポス・角川ドワンゴ学園の特別授業として、数学のいろいろなトピックについて月1回の授業をしています。最初はガロア理論について授業しましたが、その内容はKADOKAWAから出版されている『ガロア理論12講』という本になりました。

今年度は「幾何学の歴史」というトピックで4月から講義をしています。第1回目の講義「三平方の定理」は三平方の定理をめぐる歴史の謎、ストーンヘンジ・ウッドヘンジに隠されたピタゴラス三つ組、粘土板文献プリンプトン322、三平方の定理の宗教的応用などなど多様な角度から、古代数学における三平方の定理を取り上げました。この回はyoutubeでどなたでも無料で視聴できますので、興味のある方はご覧ください。

「三角形の内角の和=2直角」定理

第2回目は「三角形の内角の和」を取り上げました。これにはワケがあります。

幾何学の歴史という文脈で間違いなく重要なのは、もちろんユークリッド『原論』です。特に、平行線公理(第5公準)にまつわる歴史が重要です。ユークリッド『原論』第1巻にある48個の命題のうち、平行線公理が使われるのは命題29「平行錯角は等しい」から先ですが、ほぼ最後に位置付けられている命題47「三平方の定理」を目標に第1巻は進んでいきます(最後の命題48は「三平方の定理の逆」です)ので、平行線公理の適用は必要不可欠です。

平行線定理が使われるようになってほぼ直後の重要命題は、命題32「三角形の内角の和=2直角」です。この命題は「三平方の定理」と同じくらいの数学的重要性をもつ(どちらも第4公準までしか使わない「中立幾何学」(+αくらい)で第5公準と同値)ものですが、「三平方の定理」に比べると歴史的には少々地味です。

「三平方の定理」は古くから、それこそ新石器時代くらいから知られていた形跡があり、ストーンヘンジなどの巨石建造物やバビロニアの粘土版文献や、古代インドの宗教聖典などにも現れます。そういう意味では、その歴史的はストーリーは極めて豊富です。しかし、対する「三角形の内角の和=2直角」定理の方は、古代文献などの登場することもなければ、建造物・建築などに遺跡が記されるということもありません。そういう背景もあって、「三平方の定理」は極めて古い時代から知られていたが「三角形の内角の和=2直角」定理のはどうか?という問いは、幾何学の古代史という文脈では興味ある問題だと思われました。ですので、私は第2回目の授業で取り上げることにしたわけです。

しかし、調べてみると、これについて文献上のヒントなどがほとんどないことに気づきます(単純に私のリサーチが不十分だったのかもしれませんが)。いろいろ文献をあたってみても、あまり手がかりになりそうなことは書いていません。三平方の定理は(例えば、ファン・デル・ヴェルデンのように)とてもよく調べられているのに、「三角形の内角の和」についてはほとんどなにもありません。これはとても不思議に思いました。

タレスの幾何学5命題

そんな中、いわゆる「タレスの幾何学5命題」について調べていたときに、ふと気づいたことがありました。「タレスの幾何学5命題」とは、古代ギリシャ・ミレトス学派の哲学者、ほとんどの哲学の歴史書は彼の名前から始まっているという哲学者タレスその人が、幾何学の一般命題について述べたというものです。そして、タレスはそれらの命題を言明するだけでなく、おそらくその証明・説明もある程度はもっていたと考えられています。具体的には、次の5つの命題です。

タレスの幾何学5命題
命題1.
円はその直径(中心を通る直線)によって二等分される。
命題2. 二等辺三角形の2つの底角は相等しい。
命題3. 対頂角は等しい。
命題4. 2つの角がそれぞれ相等しく、それらに挟まれる辺が等しい2つの三角形は合同である。
命題5. 直径を辺とし円に内接する三角形は直角三角形である(直径の円周角は直角)。

これらの命題についてタレスは、図形の重ね合わせなどによる直観的な証明も与えていたとされています。例えば、命題1については、円を実際に直径で折ってみると、ピタリと重なることがわかる、といった調子です。この手の「図形の折り曲げ・変形・移動による重ね合わせ」による議論は、その後のユークリッド『原論』のような論証性という点では確かに原始的ですが、それでもそれなりに明証的で健全なものだと思います。実際、このような議論で命題4まではどれもかたがつきます。命題2は二等辺三角形の中線で折り曲げれば底角がピタリと一致することからわかり、命題3は回転させれば一発でわかり、命題4は底辺を合わせて重ね合わせれば当たり前にわかる、という調子です。この最後の命題4の証明のような考え方は、そもそも三角形とはどのような条件から決まるのか、ということを如実に直観的に見せるものであり、17世紀のライプニッツも、自身による幾何学の試論の中で同じような議論をしています。

さて、タレスの命題についての説明は、大抵の場合、ここで終わります。どの命題も直観的に説明できるというわけです。しかし、命題5はどうでしょうか?こちらは「直観的な証明」はどのようにすればいいでしょうか?

命題5「直径の円周角は直角」は、通常は以下のように証明されます。

図1のように△ABCが円Oに内接しており、BCが直径であるとする。
OA, OB, OCはどれも円の半径なので、△OABと△OACは二等辺三角形である。
よって、タレス命題2より∠OABと∠OBAは等しく、∠OACと∠OCAは等しい。
三角形の内角の和は2直角なので、これらの総和は2直角である。すなわち、
∠OAB+∠OBA+∠OAC+∠OCA=2(赤+青)=2直角
よって、∠BAC=赤+青=直角

図1

これは「補助線一本であっという間にわかる!」という見事な証明の典型であり、直観的と言っても十分に通用するものだと思います(少々計算しなければなりませんが)。でも、ちょっと待ってください。この証明では「三角形の内角の和=2直角」という定理を使っています。タレスはこの定理を知っていたのでしょうか?

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