親によるコントロール
子は、
親の血を分けた
存在だ。
されど
他人であり、
それぞれ
独立した個体である。
人は、
いざ自分が子を持つと、
その事を見失って
しまうものらしい。
その結果、
子育ては「教育」ではなく、
「管理」になり、
個体ごとの境界線を越え
子の領域を侵し始める。
自由意志と、
自己決定を
許されない子は、
自己肯定感が育めず、
親の顔色をうかがい、
「真面目」の鎧に
依存していく。
さあ、
地獄の人生の始まりだ!
しかし、
そもそも何故、
親は子の領域に
踏み入ってしまうのだろうか?
そこには、
「親」という言葉の
魔力があるように
感じられてならない。
何故か人は、
親になると
自分が偉くなったと
感じてしまう
生き物らしい。
子供を守らなければならない
という気持ちが、
子供を管理するという行動を
引き起こしてしまうのかもしれない。
そして、
管理者になった親は、
親は子供の為に言っていて、
子はそれに従うべきという
誤った「正義」の元、
子の人格を侵害し、
その主体性を奪うという
自分の行為を、
正当化していくのである。
これが恒常化してくると、
親は自分の行為を
疑いもしなくなる。
子の精神が、
健全でない時、
その人生もまた
不健全なものとなり、
子は苦しむ事になる。
親であったとしても、
別の個体だ。
育てるという
大義名分があったとしても、
コントロールは
許されない。
子の幸せな人生を
望むのであれば、
その人格を尊重し、
自己決定をさせていく事が
望ましい。
では、
今日はこの辺で。
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