映像から読み解くジェンダー論
こんにちは。大学のレポートかよ!と突っ込みたくなるようなアカデミックなタイトルをつけてしまいましたが、今日は映像から解釈できる日本と海外の女性像の違いについて書き綴りたいと思います。
フォトグラファーであるなら自分の中にある女性像を表現するために写真を撮っているというのはそもそもの大前提ですが、なぜジェンダーについて考えるようになったかというと僕の両親がある種で前衛的な夫婦のカタチをしていたからです。
銀行員の母親のほうがバリキャリで平日は仕事から帰ってきて父親の作った晩御飯を食べてあとは風呂入って寝るだけで、洗濯や掃除などの家事は基本的に公務員で夕方には帰宅する親父がこなしていました。この歳になって周りの友達と両親の話をするとどうやら一般的な父親というのは家事などあまりせず亭主関白な人が多いという印象でした。しかし、うちはどちらかというと経済的にも社会的にも父親よりも優位に立つ母親がおりましたので、どちらかというと"かかあ天下"で「女性は強い!頼れる存在!」みたいな認識が物心ついたときから形成されてしまいました。
#ん、なんかダメ男っぽい発言だな
そんな感じで平日は父子家庭みたいな環境で育ってきたものですから、物心ついたときから割と家事全般には全く抵抗なく育つことができました。おかげさまで掃除とか洗濯は割と好きです。そういった意味では家庭的な父親像を見せてくれた親父には感謝せねばなりません。
#突然の家庭的アピール
ちょっと前置きは長くなってしまいましたが、まずはこちらの映像をご覧ください。
いかがでしたか?単純にかっこいい映像ですよね。言わずもがな知れた英国産スーパーカー、アストン・マーチンの映像です。ただこの映像を見たときにあきらかに日本人の視点では作ることはできないなと感じました。もちろんクリエイティブに対する寛容性の違いや予算的なこともそうですが、明確に違うのは女性像の表現の仕方です。
まず本質的な部分に触れる前にこの映像を要素に分けて分解していきたいと思います。
①車(機械)⇔動物(自然)
②男⇔女
③被食者⇔捕食者
ざっくりとこの映像で描かれているものを要素分解してみるとこんな感じの対比構造があると分かります。
①は分かりやすいですよね。しかし、ここで着眼すべきは②、③です。
おそらくこの言葉だけみたら"捕食者が男で被食者が女"というイメージに結びつける人が多いのではないでしょうか。でもこの映像ではその逆ですね。
この映像では屈強な肉体の男性が女性に追われているというシーンが描かれています。カーチェイスしているシーンでも、捕食者を彷彿通させる女性から逃れる被食者の男性を想起させるインサートが多々見受けられます。
あげくの果には男性に噛みつき、股間に手を突っ込んじゃいます。これは完全にこの映像における捕食シーンですね。総じてセクシュアルな要素の強いムービーですが、ここで(性行為には至っていないが)セックスにおける主導権は女性になっています。
海外の映画を見ていても思うのですが、ベッドシーンで女性が主導権を握っているシーンが多いと思いませんか?よく女性が男性のシャツの胸ぐらを掴みベッドに押し倒して跨る、みたなシチュエーション、めちゃくちゃありますよね。日本では女性が性的にオープンであることは良しとされていない文化があるので、大っぴらにブランドのPRムービーでこんなセクシュアルなムービー作れないですよね、そりゃあ。ここでそういう文化が良いとか悪いとかは別のベクトルの話になってくるので割愛するとして、「奥ゆかしく、性に対してオープンでないことが女性として良しとされる」という思想の抑圧が今の日本の女性像を作り出していると思います。
中世ヨーロッパにだって十字軍時代から騎士が自分の妻に貞操帯を着けるという性に対する抑圧があったのに、今は割とオープンだからそれと比較すると古典的女性像のまま現代まできちゃったのが日本ですよね。もちろん多少なりとは変わったでしょうけど。意識したり調べなければなんとも思わないかもしれませんが、割とそこらへんのジェンダー観に関して、日本は先進諸国に比べて遅れをとっているように感じられます。(また別の議論になるので詳しくは言及しないけど低用量ピルの市販論争とか)
(これもまた余談になるけども、フィルムでフラッシュ炊いて撮影されたハメ撮りに近いエロい写真がSNSで流行っているのって、抑圧から解放された女性という世界観だからなんですかね?最近色んな人がそういうテイストで作品撮ってますよね。別に批判している訳ではありません)
女性にだって性欲はあるのに、それを表に出すとビッチ扱いされるってなかなかに偏った見方だと思っております。ひとによっては「お前はフェミニストなの?」とか思われるかもしれませんがそうではなくてですね。僕がここで言いたいのは、当たり前のように流れている写真や映像でもそこからその国の文化や思想的なところが滲み出ていて、常識的なことでも実はおかしいのではないかと懐疑的になる部分があるということです。それで今回ピックアップしたこの映像がジェンダー観を議論するうえではいい材料だったということです。それ以上でも、それ以下でもありません。
批判的視点を持っていないと、本質的に大切なことが"常識"というフィルターによって見落としてしまうのが怖くて、僕は常に目の前のことに懐疑的でいます。(とてつもなく疲れますし、たまに生きるの面倒になります)
"我思う、故に我あり"
別にデカルトの影響を受けてこんな人間になった訳ではないのですが、おそらく僕自身、全てに懐疑的であることで自己の存在を認識していたいのかもしれませんね。
#そんなん知らんし
#おれ、もしかして哲学者になりたいのかな
最後にこの映像に対しての純粋な感想を述べるならば、とてつもなくかっこいいクリエイションだなと思います。英フォトグラファー、RANKINによって手がけられたムービーですが、ファッション性と官能性、そして、ラグジュアリーさをここまで一つの世界観に落とし込めるってなかなかできないですよ。殊に日本では大々的に有名企業がセクシュアルな内容で映像を出すなんてことはしないでしょうし、そういったクリエイションに対する寛容さも国の文化としてすごいなと感じます。
以上、「映像から読み解くジェンダー論」でした。
*All images here from Google. Link from You Tube.
P.S. 最近WEBサイト作ってみたのでよかったら見てください。
hirokikatophoto.com
あと、日々の作品はインスタグラムで更新しております。
@kato_923
暇つぶし程度にご覧頂けたら嬉しいです。
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