雨の日に起き上がれなかった私が希望を諦めなかった理由
雨の日に起き上がることも困難だった3年前。泥のような身体の重たさが常態化していた。
朝起きられないのは子どもの頃から。身体が重くて重くて仕方がなかった。
これが普通なのだと思っていたし、こういう自分で生きていくものだと思っていた。
身体が重かっただけではなく、自分の性格や価値観にも「自分は弱い」というラベルを貼っていた。
HSPを知ってから、自分をHSPと思っており、敏感で繊細で生きづらいのはこのせいか!と、何かの理由が見つかったことで安心したことを覚えている。
それでも「こんなに生きづらいのはしんどすぎる」とどこかで強く思っていた。
そして、心のどこかで「どうにかしたい」と強く思っていた。
食事をビーガンして食事から身体を変える方面にいったり、心のセッションやカウンセリングも山のように受けた。
でも、何かが変わらない。変わっているけど、すぐ戻る。少しは楽になるけれど、進んでるようで進んでない感覚。
わたしは、その時得られる瞬間的な解放ではない根本的な解決を望んでいた。そして、もう付け焼き刃のどうにかする解放感はうんざりしていた。
ひょんな出会いから
当時、わたしはビーガンレストランのキッチンで働いていた。その時の同僚からなぜか「ホロスコープを見てくれる人」を紹介してもらった。
占星術に興味があったわけでもなかった。ただ"自分"というものを知りたかったから、それがわかるような気がして、紹介してくれた人に会った。
明治神宮の入り口にあるカフェで、彼女と待ち合わせをする。
最初の10〜15分はホロスコープを読んでもらっていたが、次第に話は「呼吸」のことになった。「呼吸」のレッスンをしてる人がいると。
もううろ覚えでしかないが、「生きづらさ」を話した先に彼女に「瞑想的に生きることができるんだよ」と言われたことを覚えている。
当時は「瞑想?お坊さん的な?」と謎の解釈をした。頭に「???」がたくさん並んだ。
意味がよくわからない。
けど、呼吸のワークは受けてみたい。
と思って、呼吸のワークを開催してるコーチに連絡を取り、単発レッスンを受けるようになった。
何度かレッスンに行っても、よくわからないが基本。
ただ、その中でも「深呼吸の衝動」という1時間気持ちよく深呼吸するワークをやった時に、驚いたことがある。
レッスンを受けて、終わった後
現実は何も変わってない。
悩みも変わってない。
目の前は何も変わってない。
なのに、大丈夫になった。
"自分がいる"という感覚が凄まじくあった。
「この自分で生きていきたい」
と強く思ったのを今でも覚えている。
そこからコロナ禍を経て、呼吸DOJOに年間で通い始めた。
雨で起き上がれなかった理由
呼吸DOJOに通い始めてわかったことは、わたしは重度の「下垂」だったということ。
下垂とは、呼吸・整体のオリジナルで言葉で、"重力に負け切ってしまってる身体状態のこと"
つまり、エネルギーがダダ漏れで、やる気が起きず、身体は常に重い、食べたら眠くなる、雨の日は代謝ができないので身体の水はけが悪い、甘い物食べたら身体がズンとなる。など
身体的なノイズがものすごい大きい症状だった。
呼吸・整体の身体調整法で解消できるとのことで、3ヶ月毎日、2つのワークに取り組んだ。
「畳み掛けてやるのがいい」とコーチに言われて。
下垂で、気持ちも身体もだらりとするたびに「時間の無駄だ」と思うようになり、
「もうこんな身体の状態で生きたくない!」と心の底から叫んだ。
もちろん3ヶ月続けるのは、1人じゃ無理だとおもったので、去年の2023年夏から秋にかけて、呼吸DOJOのみんなと一緒に取り組んだ。
おかげで根本的な下垂は解消し、ずいぶんと思っていた自分と変わってしまっていた。
わたしは、繊細で敏感だと思っていたけれど、多分違う。
感受性は豊かであるが、繊細で敏感とは違う。
体力がないわけではなく、自分のエネルギーを活力に転換させることができるだけの素地が整ってなかっただけだった。
弱いと思っていたが、ものすごいタフだった。
など、身体的な部分が変わったことで、自分の思っていた性格や特徴は身体的な症状からの起因だったことがわかった。
もちろん、変わらなかったこともあったが、身体的側面からの影響がすごく大きかったと思う。
下垂の時は「希望」なんてなかった
わたしは、深呼吸の衝動という気持ちよく深呼吸するワークで、「希望」が見えた。
そのひと筋の希望を諦めなかった。諦めたくなかった。
希望が見つかるまで学ぶをし続けた結果、いまのわたしがいる。
雨の日でも、起き上がって、普通に過ごせる、動ける。それが普通になった。
悲しいことやすごく辛いことがあっても立ち直れる自分がいる。
こんなに粘り強かったっけ?と自分に自分が驚かされる日々。
動ける自分、挑戦できる自分、自分を信頼できる自分になれるなんて思ってもなかった。
だからこそ、次は自分が「希望」になりたい。誰かの「希望」であり続ける、そう決めた。