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感情の取り扱い方①
今回、私なりに学んで、勉強して、得た感情の取り扱い方について何回に分けて書いていこうかなと思う。
自分の感情のコントロールができない、と言うのが20歳くらいから悩みだったのと、
これを書こうと思った理由に、やっぱり感情の取り扱いって頭の中ではなくて身体のことも絶対必要だよね、と身をもって体感したので、書くことにした。
まずお伝えしたいこととして、感情を取り扱う上で、身体の感覚があることがすごく大事であること。また感情はなくならないし、より鮮明になるけれど、自分なりに扱えるようになることを知ってもらえたらと思う。
感情を通してみえるもの
誰かの行動にイラッとしたり、誰かにプレゼントをもらってうれしくなったりすると、感情が湧き上がってくることがあると思う。
その時に、自分の中で感情をないものにしていないか?を振り返ってみてほしい。
イラッとしたけど、「こんなことでイライラするなんて」と思って感情を失くそうとする。
怒りが沸いても「こんなことで怒ってもな...」と火消ししている。
嬉しいことがあっても「いやいや、こんな小さいことで喜んでちゃダメだ!」と自分を奮い立たせている。
感情を火消ししていくと、だんだんなんだか同じようなことがさらに過酷な状況になって起こった体験はないだろうか?
実際に私はある。
感情をできるだけ感じたくなくて(特に怒りとか悲しみ)、「いや、何も感じてません」と、あるものを無いものにしていた期間が長かった。
※感じないようにしてたのは自分を守るためにやっていたことなのだけど、それは別の記事で。
すると、何が起こるかというと、前述に書いたもっと苦しい状況が来たりする。
嬉しいことも悲しいことも、自分の中にあるものを「外」=「相手」に投影させて起こっているものなので、「この感情みてほし〜」が残っていると、残念ながらそれをちゃんと自分がみるまでずっと現実に見せてくるという事実がある。
「この感情みてほし〜」は、自分の中のなにを見せられているのか?と言う視点が大事なのだが、
その前に湧いてきた感情を「感じ切る」が超絶大事になってくる。
ちなみに、私にとってこの「感じ切る」がとてもとても難しく、自分ではよくわからなかった。
感情を感じ切るってなに?
よく、感情の取り扱いで「感じ切りましょう」と言われたり、書かれてたりするけど一体感じ切るってどういうこと?ってずっと思ってきた。
頭で「うー!あー!」ってやってもなんかちがうし、「怒ってる!怒ってるぞ〜!」ってやってもなんか演技してるみたいで、全然感じ切るがわからなかった。
身体のことをやってもしばらく感じ切るがわからないが続いていた。
が、のちにそれは、湧いてきた感情をすばやく蓋をしているからであったことがわかった。
ここで一番伝えたいことは、頭で理解する「感じ切る」は「感じ切っていない」ということ。
頭でわからないことは考えてもわからないから、感じ切るが何か?を考えるよりは、身体で体験する、覚えるということが早いかもしれないということ。
そして
感じるは身体ありきであること。
ということが長年、感情の取り扱いに困っていた私がわかったことの一つである。
次回、「え?身体ありきってどういうこと?」っていうのを書けたらと思っている。
わたしはカウンセラーではないが、自分の感情に飲まれたくない気持ちからいろいろな方向からアプローチした結果、これがよかったよ、という話を続けていこうと思う。
何回か、感情の取り扱いについて続く。