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産直ECサイトが持つ可能性について

フォローしていただいている、Rinさんが良い記事を書いておられたのでシェアしてみる。文中の、徳本氏による「産直ECが農家を疲弊させる」文章は、私もFBの農業グループ内の投稿から拝読させていただき、徳本氏の主張はおおむね私も同意である。

しかし、このRinさんの主張もうなずけるところは多数あり、流通機能・コストのをテクノロジーが解決していく、集荷機能の活用などは、産直ECうんぬん以前に是非期待したいと思っている。その中で、Rinさんの主張するところが実現、あるいは前進するためにはいくつかの前提が必用と思ったので、ここに書き記しておく。すなわち、「消費者の食品に関する正しい基礎知識が前提」「共同出荷と単協の機能」「ストーリーの氾濫」ということである。

①消費者の知識偏重問題

小売業(魚屋)にいた人間からすると、大半の消費者は基本的に食材のことを「知らない」といってよい。魚屋時代、店頭に魚を並べていたら、とあるお客さん(結構売り場にはよく来て魚を買っている人であった)が、『兄ちゃん(当時私は20歳代)その魚何?アジ?』と聞いてきたが、果たして私が手に取っている魚はサバであった。切り身しか買わない人は丸の魚は分からないのだ。
何がいいたいかというと、Rinさん記事における「客観性」や、消費者が何に「価値を見出す」かは、そもそも食材に関する基礎知識があってこそだというのが私の主張である。とある漫画で、キャベツを使うべきレシピでレタスを使おうとした女の子がほかの人からそれを指摘されると「レタスもキャベツも似たようなものでしょ」と言い返すシーンがある(分かる人は分かると思うが、タッチの明青野球部合宿シーンでの一コマである)。
こういう言い方をすると消費者が悪いみたいなことを私がいうてるように聞こえるかもだが、私が言いたいのは「消費者が野菜や魚の目利きを勉強する場所がない」ということである。料理動画は見るけど、目利きまで学ぶ人は少ない。本来なら、よい野菜や魚を教えてくれるお店は商店街の八百屋や魚屋であった。母親だったり祖母だった。それが、小規模生鮮品店はほぼ絶滅し、家庭の団欒から孤食化が進んだ結果、中食産業が隆盛し、どれがいい生鮮品かを判断する情報発信減が消えた。美味しい料理方法とは言っても、美味しい素材をどうすれば確保できるかが減った。そして多くの消費者は「産地」「収穫日」「農薬使用の有無、量」や、おいしさの絶対の基準ではない「糖度」などの限られた情報で判断するようになっていった。ヒラメは〆て少しねかせたほうが美味しいし、境港の巻網で獲られた天然のマグロより一般的な養殖マグロの方が美味しいことだってあるのだ。
(巻網でマグロを漁獲すると網の中でひしめき合い、背骨が折れる⇒体中に血が回り、鉄分臭くて食べられないことがある。マグロ資源確保もあり、この漁法を廃止すべきという主張は大きい。でもこれやってるの大手のマルハニチロだったりするからね。さすが放射能マグロで稼いだ会社ではある。おや、誰か来たようだ)
もっと言うてしまうと、家で料理をする人が減った。コロナ19の影響で家で調理する時間が増えたと言っても、みんながみんな料理を好きなわけではない。挙句、一人暮らし世帯が増えているこの世の中、単身世帯住居のキッチン設備は貧弱で、いくつもの料理ができるものではない(この辺は詳しく後日書く)

②共同出荷と単協の機能

野菜を出荷する際、多くの農家は農協規格の箱に詰め、出荷場へもっていく。あるいはとれたそのまま出荷場へもっていき、選別と箱詰めをしてもらう。後者のほうが圧倒的に多い地域や作物もある。
農協にもっていくと、そのまま野菜は消費地に運ばれて、お金になる。つまり生産農家は営業活動をしなくてよい。そのお金がいくらかどうかは別として。農業総合研究所やクックパッドマートは、そのビジネスモデルに違いはあれど、農協を主軸とした既存の市場流通の弊害を正そうとしたものである(前者はスーパーなどを顧客とする分、農家の営業活動負担はほぼないが、後者は自らによる情報発信=営業活動を必須とする)。ただ、農協と違うのはある程度は自らが検品し箱詰めしたりシール貼りなどの作業が伴う点である。この作業負担は実は大きい。いくら消費者が直接買うからと言って検品しないで送る農家はいない。10㎏のさつまいもを1家族で買う人はいないので、500gくらいの小分けが必用である。トマトならそもそも商品単価が高いので、新流通でも消費者に届けるにコストが吸収しやすい。ところが、さつまいもジャガイモ玉ねぎは重量の割に商品単価が低く、それなりの収穫量を必要とするので、農家単独で検品と選別と箱詰めと「営業」はできない(荒川弘さんの漫画、百姓貴族を読むとよくわかる)。
問題の本質は、相対取引にあるとみている。スーパーなどの大手量販店が、「●●円でジャガイモ売りたい」⇒卸会社「了解です」⇒卸会社「□円で卸して」産地「そんなに安く、、、でも仕方ない」というパワーバランスが多いのだ。逆を返せば、産地「(農家の利益と検品選別箱詰め作業含めたら)△円です」、というのが通じればいいのだが。茨城県産の生食用さつまいもの10%以上を取り扱う「ポテトかいつか」などは、農家からサツマイモを買い集め、選別箱詰めと「付加価値づけ」「営業活動」をしてスーパーに卸す企業であるが、こういう機能を必ず必要とする作物は多い(サツマイモ自体は保存がある程度聞くからでもあるが)。
産地が価格形成に成功している例はいくつかある。長野・群馬のレタス農家の例もあるが、私が一番注目しているのは漁業である。大阪湾のイワシ(生シラス含む)が、小さな漁港の集荷機能を岸和田に一元化し、保冷庫の設備投資などにより品質を底上げし、セリ取引にすることによって、漁業者の手取り収入が倍増したのである。しかし、先のさつまいももレタスもイワシも、「収穫量」「品質」を確保しているからこそできる技である。
では、共同出荷は成り立たないのか。また、農協は悪なのか。それを解決するには、ポテトかいつかやイワシの例のように、地域の農協(単協)が価格交渉力を持つことと、共同出荷使用を地元農家に強制しないことである。一見矛盾しているように聞こえるかもしれないが、共同出荷をしない農家はかなり村八分にされる。しかし、「今日は使うけど明日は使わない(自分で出荷する)」ということもあってよいのである。使った分使用料を払えばよい。単協が頑張って価格交渉に成功すれば、必然的に共同出荷場所を使う農家は増える。チマチマした予算でポスターとか作るより、営業をしっかり行うべきで、そのために地域おこし協力隊や都会の人を副業的に使うことを考えるべきだと筆者は思うのである(地方で枯渇しているのはこういう営業活動ができる人材である)。

話がずれるが、百貨店のPOSレジ開発もした筆者の経験からすると、農業総合研究所などの多くの新流通機能や、いわゆる道の駅などの産直市場では「野菜の売上」をマクロで見つつ「自分の野菜はなぜ売れているのか、売れないのか」をミクロで分析できる機能がないのが致命的だと思っている。この話は後日書く。たぶん。

③メディアの功罪とストーリーの氾濫

報道によって知識を得た消費者はさらに小売店を悩ませる。「テレビでこれがいいと言っていた」「●●が癌を直す」「△がダイエットに、、、」
おまえら「あるある大事典 納豆ダイエット事件」を忘れたのかと。
刷り込まれた知識というのに反論しても、たいがいはハレーションを起こすのみなのである(筆者も百貨店食品部時代、「テレビで放映したあれが品切れとは何事か!」という主張に、「いえ、あれだけ食べて健康になるわけないでしょう、そんなんで怒っているほうが健康に悪いですよ」と、どれだけ言いたかったことか。)。
もう一つ重要なのが「ストーリー」である。同じ野菜でも同じ魚でも、「誰がどのような思いで作ったか」によって、そこに投入する費用は違ってもよい。しかし、それは長続きはしない。ストーリーが氾濫する現在の世の中にあっては、「ブランド確立コスト」「ブランド維持コスト」を重視すべきであるというのが筆者の見解である。①にも関連するが、客観的価値というのはRinさんの主張にもあるようにあくまで「製造方法」によるべきである。「糖度」などのデータも客観的というかもしれないが、酸度や鮮度や獲れた時期、水分量、輸送状態によっても最終的な「味」は違いが出るため、客観的足りえない。農薬投入量も客観的とは言えない。気候などによってどうしても使うべきところはある。でなければ、農薬の必要のない地域でのみ栽培する野菜しか流通できない。それか工場の野菜か。
また、多くの消費者は野菜を何を基準にして判断しているかというと、昨年マーケティング学会で報告したアンケート回答では「産地」という回答が圧倒的であった。これから推測するに、「農家個人のストーリー」を理解していただいてファンになって買ってもらうために投入するコストは、作物によっては「北海道」など有名産地の知名度を超えなければならない。それを何でもってどう伝えるのか。そして、そういう「ストーリー」を求めて、価格をそのストーリーに転嫁できる消費者はどこにいるのか。すでにそういう人は百貨店食品売り場やオイシックスなどで購入しているとすれば、後発の農業者はそのパイを奪いに行かなければならない。そして、奪ったとしてもさらに後発の農家、あるいはパイを奪われた農家にその地位を脅かされ続けるのである。結果、若くてイケメンの農家ばかりが売れたりすることだって考えられる。もしくは、「メディア」に取り上げられた農家のみが売れる、ということも考えられる。

では、産直ECサイトはどうなっていくのか

流通機能や決済システムの進歩、簡略化は進んでいくであろう。しかし、産直ECサイトだけでは農家の問題・流通の問題をすべて解決するには至らない。繰り返し筆者は主張しているのだが、今の農業界における課題を解決する糸口は流通機能の「改善」である。先に述べた相対取引のような形をできる限り是正していくことを考えていきたい。国内農業品を使う菓子メーカー加工食メーカーに、国内版フェアトレードの精神を持ってほしいとも思う(B品でジュース等にするからといって、アホみたいな値段で農家から買い集めるのもどうかと思うのである)。
このコロナ19渦中で、農家はレストラン外食向けの出荷先を失っているが、市場出荷しても安い値段で買いたたかれるため、産地で廃棄処分してしまっている。その流れが大きくなり、農家が出し渋る結果都会の市場では野菜が集まらず高騰している(しかも利益は産地に還元されない)というアホな事象が起きているのが現状である。

産直ECサイトが期待されるのは、非常に困っている農家や生産地を判断して、適切な消費者にその情報を伝え、抱えている顧客に購入を「公平に」促すことだと思う。今、FBではコロナ19で困っている人の食品業界の声があふれている。悪く言えば氾濫して玉石混合である。もともと売れていないもの、出自の怪しい商品まで出される始末である。SNS時代の弊害と考えている。
顧客の購入動向や趣向を、かなり正確に把握し、適切なアプローチができるのは産直ECサイトの強みだととらえている。「家庭の食卓お悩み機能」「いま、どの野菜を買うべきか?」などのサジェスチョンができるサービスも整ってきている。その機能を存分に伸ばしていく&①で述べたような基礎知識を正しく伝えていくことが、産直ECサイトの可能性を高めるものだと思っている。

ただ、それって町の八百屋さんや魚屋さんが担っていた機能だと思うのだけどね。

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