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教員だった僕にとっての「ナナメの関係」

僕は今、不登校の子たちをオンラインで支援する仕事をしている。過去、教員として中高一貫校で働いていたときには、教員は “教える立場” 、子どもとはタテの関係を築くもの だと無意識に思っていた。

けれど、カタリバで子どもたちと関わる中で、彼らには「タテ」だけじゃなく、ときに「ヨコ」や「ナナメ」の関係も求められていると思うようになった。(ナナメの関係とは、「タテの関係(親や先生など)」でも「ヨコの関係(同世代の友人)」でもない、それらとは違った角度から本音で対話できる、利害関係のない“一歩先をゆく先輩” との関係のことで、カタリバのすべての活動の軸にもなっている)

そんな風に考えるようになったのは、ある小学3年生の女の子、Aさんとの出会いがきっかけ。

当時のAさんは、夜中の3時までゲームをしたりアニメを見たり……朝は12時ごろに起きるなど、昼夜逆転した生活を送っていた。1人でパソコン操作ができないこともあり、母親が帰宅する20時からしか、僕とオンラインでつながれなかったのは今でも覚えている。

小学校1年生の途中から学校に行っていなくて友だちはおらず、親との関わりしかなかったAさん。人と話すのは苦手だから、オンラインでつないだときはいつも画面はオフ。気が向いたときだけ少し話すことができた。そのときは「べつにやりたいことない」が口癖だった。

タテの関係では子どもが身構えることを予想し、「まずは信頼関係を築こう」と思い、友だちのようなヨコの関係を意識。

きっと好きなこと・共通の話題だと盛り上がるはず。そう思い、Aさんと一緒に話せる話題を見つけることに注力した。そこでみつけたのが “音楽” だった。Aさんは電子楽器をもっていたので、僕もわからないなりに一緒にインターネットで楽譜を探し、練習した。

Aさんの演奏を聴いて、「上手くなったやん!」と褒めることもあれば、「次はどの辺りまでやってみたい?」と子どもの意思・ペースを尊重しつつ一緒に目標を立てることも。気づけば「ねえねえ」じゃなく、「じろーさん!」と名前を呼んでくれるようになったし、「今日これをやりたいんだよね〜」と自分の意見を言ってくれたときはほんとに感動した。

「僕とは緊張せずに話せるようになってきたな」

これで終わりじゃなく、次の段階として、「僕以外の人とも話せるようにすること」を目標に置いた。意識したのは、いつも2人でゲームしていた空間に他の子どもや大人も入れて、そこで、僕はAさんの “通訳者” に徹すること。もちろん隣で一緒にゲームをすることもあるし、その子の言いたいことが周りに伝わっていないときは後ろから背中を押したり、僕が代わりに気持ちを翻訳したりすることもあった。

Aさんの身近な存在でありつつ、新しいつながりをもてるようにサポートする、地域のお兄ちゃんのようなナナメの関係を意識した。

一緒に目標を立て、挑戦する。ときには友だちのようにヨコにいたり、親や先生のように道筋を示したり、少し先を行くお兄さんのように何でも話せる関係を意識したりして伴走してきたけど、最終的にはAさん自身で考えて行動できるようになってほしいなという願いも……

そこで、Aさんのヨコで伴走する頻度を減らしてみた。これは僕にとっても一つの挑戦だった。徐々にAさんは自主的に勉強をしたり、他の子と遊んだりするように。そうやって自立していく姿を見て、タテにもヨコにもナナメにも自由自在に形を変えながら接する人の存在が、子どもたちには必要なんだと気づいた。

だけど子どもが一度自立できたからといって、その行動は “一人” で継続できるものじゃない。

僕がいなくても、すべての子どもが自立し続けていけるように。そのために、次のナナメの関係になりうる場所や人を探す「ナナメの関係の襷リレー」を行っていきたい。

子どもたちと農業体験をした日の写真

今回のコラム担当:礒﨑 大二郎(いそざき・だいじろう)/room-K
大阪府枚方市出身。保健体育教員として働いた後に、青年海外協力隊として東南アジア最貧国、ラオスで陸上競技の普及活動に励む。
日本の子ども達が「やりたい」を起源にのびのびと学ぶことができる教育を目指してNPOカタリバに就職し、現在はメタバースを活用した不登校支援プログラム「room-K」にて、不登校の子たちをオンラインで支援している。

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