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奥能登豪雨、再び襲った災害と向き合い感じた「災害支援のプロ」ではない私にもできること
2024年9月に発生した奥能登豪雨。2024年1月に発生した能登半島地震を受けカタリバは、子どもの居場所の運営をはじめ、被災した地域で“いま”必要とされる支援活動を行ってきました。
今回の豪雨被害は、カタリバの職員が輪島市に拠点を構え、常駐しながら復興支援を行っている最中に発生。これまで地域団体や住民の方と共に復興支援に取り組んできて、お互いに顔の見える関係となっていた私たちにとって、居ても立っても居られないような出来事でした。
そんな状態になった一人であり、中学生だった当時、故郷の気仙沼市で東日本大震災を実際に経験した広報部のあべあいりが、豪雨災害の発生から5日後に現地入りし、“急性期”と呼ばれる「発災から1〜2週間」で目にした現地の様子をレポートします。
災害復旧のための泥かき等の活動を通じて見えた現地の様子や声をもとに、現場で感じたことをお伝えします。
他人事とは思えなかった奥能登での豪雨、居ても立っても居られず現地へ
2024年9月に発生した奥能登豪雨では、輪島市・珠洲市などの奥能登地域で複数の河川が氾濫しました。特に被害が大きかった石川県輪島市では、床上・床下浸水被害が621棟、全壊10棟などの被害が報告されています。(*データ出典)
その中でも、東西に広い輪島市の東部に位置する町野・南志見地区に支援の手が足りていないことが、現地で復旧支援に取り組むなかで分かってきました。
私は豪雨が発生する1ヶ月前の2024年8月に、町野地区のお祭りに参加していました。元々私は、地元の宮城県気仙沼市で和太鼓をやっていたのですが、輪島市も和太鼓が有名な地域。そんなご縁もあり、共に震災を乗り越えてきた地域として気仙沼から来た仲間と一緒に祭りに参加しました。
夏祭りでは地域の方々や子どもたちに町野の太鼓を教わったり、一緒に祭りを楽しんだりと、楽しい夏の思い出になりました。
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そんな縁があった地域が、またも災害に見舞われたことを知りました。カタリバでは、現地で活動する職員が常駐していた輪島市の拠点で宿泊や食事が行えることもあり、豪雨災害支援に当たる社内ボランティアの募集を開始。事業部の垣根を超えて、職員がボランティア活動に参加できる体制が整えられました。
居ても立っても居られない状態だった私は即座に手を挙げ、それに広報部の皆さんも背中を押してくださり、発災から5日目の9月25日に現地に入りました。
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写真からは分かりにくいですが、靴が沈むほどの泥が堆積しています。
「山津波」とも呼ばれる土石流に飲まれた町野地区。一期一会のボランティアたちと対話しながら復旧作業。
町野地区は、輪島市の市街地から車で1時間程かかる山に囲まれた地域です。今回の豪雨災害では「山津波」と呼ばれる土石流が発生するなど、甚大な被害を受けました。
土石流によって町野地区まで向かう道路が断絶され電波もつながりにくくなっていたために、ボランティアセンター等の開設を担う社会福祉協議会も現地調査が困難な状況となっていました。
そのような状況にあることを知ったカタリバのメンバーが町野地区に入り、地域の住民で結成された「町野復興プロジェクト実行委員会」をバックアップする形で、住民主体のボランティアセンター「まちなじボラセン」を立ち上げました。
現地に到着した私も、まちなじボラセンの運営をサポートしたり、泥かきや片付けの作業に入ったりするなど、その日・その時に必要な場所でとにかく役に立ちたいと必死でした。
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そんなある日、まちなじボラセンに高齢のご夫婦が訪ねてきました。
お父さんはずっとゲホゲホと咳をしています。急遽、私がお家に伺ってどのような支援を必要としているのか調査をすることになりました。
お家の中に入れさせてもらうと、1メートル以上の泥水が到達していた形跡と、床下に泥が溜まっているような状況でした。
話を聞くと、お父さんの咳は肺の病気によるものだということがわかりました。またこの家には元々ご高齢の夫婦が2人で住んでおり、お母さんは避難所で寝泊まりしていますが、肺の病気を抱えるお父さんは体力が追いつかないため避難所には行かず、泥水による被害のなかった2階で暮らしているのだそうです。
普段は関東に住んでいる息子さんが、心配して一時的に帰省していましたが長くは居られないため、困っているとのことでした。
河からの泥は下水や化学物質等が含まれている可能性があり、泥や泥が乾いて発生する粉じんも危険だと聞いていたため、何かしらの支援が必要なことは一目瞭然でした。
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すぐにボラセンに帰って状況を伝え、その日に集まった10名近くのボランティアと一緒に泥かきに向かうことに。
同時に地域のクリニックの看護師さんにお父さんの状況を報告。看護師さんたちがボランティアとして地域内で健康リスクのある方々を把握し、巡回する仕組みが整えられていたため、お父さんの所にも回っていただくようにお願いしました。
*
早速、泥かきボランティアに向かった私ですが、私も含めてほとんどの方が災害支援の初心者。まずは経験のある方の作業を参考にしながら、床下に入って泥をかき出します。
しかし思っていた以上に狭い床下で、スコップを扱うことが難しく苦戦。このままでは、上手く作業が進まないかもしれないと思い、「すこし作戦会議をしませんか?」と提案してみました。
まちなじボラセンでは、ボランティア登録後に必ず「呼ばれたい名前」を名札に書いてから現場に入ります。そこでまずはお互いを名前で呼び合えるように、改めてそれぞれの自己紹介をしました。
すると「実はわたしは農家なんです。」と話し始めた方がいました。
その方から、「この泥を、この狭さで掘るならスコップではなくクワが良いですよ。ほらこうやって……」というアイデアが。
すると、
「では、バケツに土のう袋を広げておくので、泥を入れたらバケツリレーしましょう」
「わたしは体が小さいので、床下で作業を」
「この狭いところは、潜ってやりましょう」
など、他のメンバーからもどんどんアイデアが出てくるようになりました。
作戦会議を経て、誰かの指示を待つのではなく、その場にいる人で考えて推進するという雰囲気ができました。その後もメンバーが入れ替わりながらも活発な雰囲気を保ち、その日だけで総勢20名以上のボランティアが高齢のご夫婦のお家で復旧作業を行いました。
そのおかげもあって、土のう袋100個以上(推定500キロ程度)の泥をかき出すことができました。
ボランティア活動での出会いは、まさに一期一会のご縁です。その日・その場に集まった人たちが、お互いの得意なことやできることを持ち寄って協力し合うことで、たった1日でも驚くほど現場が綺麗になり、家の方の笑顔が見られることにとても達成感がありました。
そんな経験をすることで「ボランティアに来て良かった」「もっと頑張ろう」という気持ちが自然と沸き上がり、継続的な復旧・復興支援につながっていくとよいなと強く感じました。
災害支援のプロでなくてもできること。一人ひとりの力と対話が被災地復興に必要な理由
泥かきのような復旧作業は、簡単に見えるかもしれません。でも、どこから始めるか、どうやると効率が良いかなどを考えて、協力し合いながら作業をしないと前には進みません。
私も、私が出会ったボランティアの皆さんも、災害支援のプロではない立場の方でした。だからこそ「作戦会議をしませんか?」の一言から、自分の経験やその場をよくするアイデアについて対話したことが、場を動かすきっかけになったと考えています。
とにかくこの状況に対して自分の力を使いたい、なんとかしたいという思いを持っている人たちの力を、対話によって最大限現場に活かすことができる。これは私にとってとても学びになった出来事でした。
また、決して「災害支援のプロ」ではない私のようなメンバーが被災地で活動する意義の一つは、「対話」の力を信じて活動してきた立場として、こうした小さな困りごとをみんなで解決するための「小さな対話のはじまり」を作ることにあるのではないかとも思いました。
しかし、これはカタリバのメンバーにしかできないことではなく、誰にでもできることでもあります。
引き続き、能登豪雨の被災地ではボランティアを募集しています。能登半島の豊かな資源や、優しい地域の方々、全国のボランティアの皆さんとの一期一会の出会いから、色んなことを学ぶこともできる場所です。
東日本大震災のとき、全国から多くのボランティアの皆さんが被災地に駆けつけてくださり、それが復興に向けた活力になったと口にする地域の方を、当時中学生だった私は数多く見てきました。
私は、今回の能登地震・能登豪雨でも同じことが言えるのではないかと思っています。だからこそ、私は能登地方の復興支援に継続的に関わり続けたいと思っています。
関心のある方はぜひ、能登地震・豪雨の被災地でのボランティア活動にご参加ください。まちなじボラセンでも、まだまだボランティアを募集しています。
▼ボランティア申し込みフォーム
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdfSAko9RJEeX94iAAMTYTtF8_3jkNJwSdE4zkm6mNpyi7OdA/viewform