地雷拳〈ロングバージョン24〉
承前
「如月姫華、今日ここでお前を殺す」
覇金紅が手をかざすとブラックホールじみた黒球が再び宙に現れた。部屋の照明が明滅する。姫華の躱す先を読むように黒球は床を破壊した。
紅は歯軋りした。
「遊園地での一幕、私は見たぞ……! なぜ、あなたがお父様に認められて、私が認められない!」
紅は腕を捻ると、それに呼応したように黒球は滑るようにして姫華を追う。
「こっちも好きで好かれてるわけじゃないんだよ」
「黙れッ! 双龍計画は完成した……。【女教皇】と【力】のカンフーチップを合わせた私は最強なんだ……!」
少しでも触れれば引き込まれ圧死させる恐ろしい技だった。
姫華は体をひねり、着地点をずらした。黒球の反応が遅れたのを見逃さない。
間を置かず、地を這うようにして白衣の袖が姫華の首を狙っていた。
火花が散った。
美空が割り込み、ヌンチャクの回転で迎撃していた。
「いくぞ」
互いに頷きあって、姫華と美空は瘤川教授のもとに走る。ヌンチャクによる防御と姫華の機動力が瞬く間に距離を縮めた。
「りゃああああっ!」
瘤川教授が気合のこもった姫華の拳を受ける。今や、カラテチップの恩恵を受けた姫華の拳は車の衝突と同等の威力を持っている。瘤川教授の身体は衝撃でわずかに地面に沈んだ。
《この野郎》
姫華は姉の声に怒気が含まれているのを感じた。
「......如月博士と繋がっているのか! やはりカラテチップは忌まわしい」
《姫華ちゃん。私の言葉を伝えてもらえる?》
姫華は頷き、聞こえるまま瘤川教授に言った。
「『一度殺した程度で逃げられると思った?』」
「おのれ!!」
瘤川教授がこめかみにチップを差し込むと、怪しく眼が光った。
《あれは【魔術師】のカンフーチップ!》
瘤川教授の腕が紫色に発光した。
「ハァッ!」
姫華の打撃は、白衣に阻まれた。袖を旗のように動かして目隠しをした。
「姫華、そいつが使うのは孫臏拳だ! 袖はただの飾りではないぞ!」
紅との打拳の応酬を繰り広げながら、美空は言った。
周りを囲むようにひらひらと白衣が動く。姫華が構え直した時には遅かった。右足に袖が巻きついていた。ぐん、と引っ張られ体制が崩された。
「あれは……!」
距離が離れて、紅は美空と打撃の応酬をしていた。それなのに、突然、紅と視線があったのだ。
「死ねッ!」
紅は美空の攻撃を受けながら、再び黒球を生み出した。先ほどよりも大きい。修練室の朴人拳が黒球の方へと動き出す。
周りの大気を吸い込む強い引力が左側から働いた。
「もらったッ!」
右側から突き刺すような殺気が振り撒かれた。姫華が見ると、瘤川教授が迫っていた。長袖を引っ張った力と引力によって速度をあげていたのだ。
長い袖から、瘤川教授が突き出したのは、折り曲げた中指を突き出した拳だった。
「象鼻拳!」
ベールじみた紫色の闘気を纏った一撃は、姫華の髪をわずかに切った。姫華が瘤川教授を掴み、関節を捻りあげる。
瘤川教授もまた袖を絡ませ、動きを封じようとした。
ふたりは肉薄したまま、黒球に引きずられていく。
「このままだとあんたもペシャンコだよ、いいの?」
「お前に用はない。……如月博士、聞こえていますか。あなたは確かに技術者としては上だが、私は気に食わない」
「『グループ随一の頭脳が、取り乱していますね』」
姫華はまた姉の言葉を贈った。
瘤川教授の機械頭が姫華を反射した。
「如月博士。教えてください」
姫華が首をかしげる。その姿は生前の博士と重なった。
「仮に生きていたらカラテチップを覇金のために使っていましたか」
姉は黙ったままだった。瘤川教授に影がさした。
「元からホス狂いに使わせるつもりだったのですか」
瘤川教授の声に怒りが滲む。
「マクセンティウスとの戦闘を見て直感しました。カンフーチップ同様、カラテチップは膨大な情報量だ。調整なしでは生身の脳は沸騰する。あなたは最初から如月姫華をカラテチップの使い手に選んでいた」
「『今更わかり切ったことを』」
「それじゃあ……、協力していた私はどうなるんだッ!!」
瘤川教授が体を捻る。一気に袖が伸び、姫華を黒球の奈落へ誘おうとした。
「死ぬのはあんただ!」
そう言って姫華は、釘を取り出した。
身動きが取れなかった姫華は、ブーツに刺しておいた釘で袖を切り裂いたのだ。
「バカな……!」
「こっちにも最高の頭脳が付いてんだ!」
姫華の裏拳が瘤川教授を打った。勢いのついた身体が黒球に迫る。
「瘤川!」
すり潰される寸前で、紅は黒球を霧散させた。
「頭脳だと! 認めない!」
白衣の袖を水平に薙いだ。姫華の背後の壁に一文字の傷跡が刻まれた。
いくつもの瘤川教授の斬撃が飛んできた。
姫華は反射で脚を折りたたんだ。胸を反らし、スライディングする。顎の数センチ上を白衣が通過した。
姫華が腕で床を強く押した。足が上がり、瘤川の顎を打ち抜いた。
「私は……技術を持ちながら、その程度の使い道しか見つけられなかった、あなたの愚鈍さが許せない!」
こびりついたオイルが白衣を汚した。瘤川教授は姫華に向き直った。
「博士の戯言を真に受けた貴様も同類だ」
「おかげで、もう少しでシャンパンタワーが建てられる」
姫華は笑った。深い赤色のティントが言葉を彩った。
「なぜカラテチップをそんな女に…。!」
「『教授は私を買い被りすぎです』」
「なんだと……!」
「『私はただ、姫華ちゃんと仲直りがしたかっただけ。そのためにこの研究が必要だった』」
「何を言っている……。如月博士がそれぽっちの理由で研究するはずがない! 如月姫華、私を惑わそうとして……」
瘤川教授は口を閉ざした。姫華が教授を見つめている。その目に瘤川教授は確かに博士の姿を見た。
「『人の金でやる研究ほど捗るんです』」
「賊め……!」
瘤川教授の表情は元から分からない。俯いた機械頭に照明が影を落としていた。
「これ以上の話し合いは不要」
白衣の袖が枝分かれした。血管じみた複雑な形状を織り成す。瘤川教授が振るう。姫華に袖ナイフが降り注ぎ、床を穿った。袖は垂直に落ち、水平に薙いでくる。ランダムな軌道が姫華を細切れにするべく迫ってきた。
「どうする」
姫華は姉に尋ねた。
「『近づけば勝てる。つまりスピードしかない』」
姉が乗り込んだ姫華は速度を上げる。
「『垂直と水平に攻撃が来るなら、垂直は避けられる。水平は私にたどり着く前に走り抜ければいい』」
カラテチップで強化された脚が力を漲らせる。高速でジグザグに移動する姿は雷だった。
一際大きい白衣の袖が大剣じみて肉薄する。接触と両断の瞬間には、瘤川教授との距離をゼロにしていた。
「『さようなら』」
姫華の手刀が振り下ろされる。瘤川教授は避けきれない。機械頭の端が寸断された。
「博士......! 私はあなたの発明に期待していた」
姫華は手刀を放つ。教授もまた反射神経で対応する。達人同士の高速の打ち合いだ。銃弾が跳弾するような音が響く。
「あなたの想像力、未来を見通すビジョンに憧れていた」
「『そう』」
「どうして能力を振るわなかったのですか。どうして完璧なカラテチップを世界中に出さなかったのですか」
瘤川教授のカンフーに力がこもる。フレームが軋み、スピードが上がる。
「あなたを理解しているのはあなた自身ではない。私の方だ……!」
一瞬、姫華の両腕が消えた。瘤川教授の手刀が弾かれたのだ。
胸を姫華の手刀が貫いていた。血が流れ出て手首を伝った。
瘤川教授は短く呻いた。姫華の肩を強く掴んだ。
「『違う』」
「……なにがです」
「『私を見てるんじゃない。あなたは自分自身を見ている。教授、あなたは私に自分の生きたかった道を見ているだけ』」
瘤川教授の目が見開かれた。
「分かったような口を聞くな……! 」
力を失いかけた瘤川教授が身体を捻る。姫華のこめかみに象鼻拳がぶつかった。姫華の視界がホワイトアウトする。痛みが頭蓋骨の奥まで広がった。
姫華は歯を食いしばる。それも束の間だった。気づけば痛みは消えていた。
「博士……私はあなたにはなれない。だが、あなたを見てきた私はあなたを上回れる。力の使い方は私が上だ」
瘤川教授は力なく笑った。その場に膝をついた。機械頭に挿されたカンフーチップが火を吹き、爆散した。
美空と紅もまた決着がつこうとしていた。
紅の動きは朦朧としていた。それでも、闘志はまだ燃え尽きていなかった。
「私が覇金を受け継ぐ……」
ふと、姫華は天井を見上げた。板氷が軋むような音がする。蜘蛛の巣状のひびが入った。
岩が擦れる音に変わった途端、コンクリート片が落下してきた。
粉々になったコンクリートの間から太い指が現れた。姫華がかわす前に、脚を掴んだ。そのまま窓ガラスへぶん投げた。
受け身を取ることすら許さない強さだ。弾丸の速さで窓ガラスに叩きつけられた。
「良い跳び具合だ。防弾ガラスのプロモーションにしてやろう」
姫華の目の前には巨人がいた。
金の刺繍で幾何学模様が描かれたスーツを身に纏っている。スーツの生地を破ってしまいそうなほどの筋肉量。
覇金の王、覇金恋一郎だった。
筋肉でできた山脈かと見紛う巨軀だった。遊園地で見た時の印象よりもさらに大きくなっている。
恋一郎は躊躇いなく、紅を抱擁した。
「お前の頑張り、見せてもらった。お前は立派な覇金の社員だ。眠れ」
両挿しのカンフーチップによる力の発動は、使用者に絶大な負担をもたらす。連続使用によって紅の身体は限界を迎えた。
安堵した表情の紅を、恋一郎は横たえた。
「恋一郎ッ!」
美空が吠えた。回転を加えたヌンチャクは、骨をも砕く。恋一郎はいとも容易くヌンチャクを掴んだ。腕に力を込めると、左手に掴んでいたヌンチャクが砕け散った。
「散れ」
恋一郎は美空を張り手で打った。弾丸じみて身体が吹き飛ばされる。修練室の壁にめり込んだ。恋一郎の興味はすでに失せていた。
窓ガラスを見る。
姫華はいなかった。
どじゅっ、と恋一郎の耳に嫌な音がした。
姫華は美空のいた場所に立っていた。
「今のが効かないとか……超人も伊達じゃないね」
「前よりも速くなったか……流石はカラテチップよ」
恋一郎は不敵に笑いながら、右耳から釘を引き抜いた。
姫華は目を見開いた。それは恋一郎のタフネスにではなかった。
恋一郎は邪悪に光る黒いチップが握られていた。
〈あれはまさか……!〉
「貴様のおかげで、ニンジャチップはすでに完成した!!」
恋一郎はシャツの胸元をはだけさせた。赤銅の鉄の胸筋の真ん中に、ニンジャチップを差し込んだ。
「ここからは拳のぶつかり合い。覇金を超えてこい、如月姫華」
黄金の輝きが蓮一郎の眼光から迸った。
【続く】