「ボーはおそれている」 この呪いの広め方
前置き
この記事は「ボーはおそれている」の単なる感想しか書いていない。
ネタバレを含む。
感想
最初に観終わったあと、体がほてっているのを感じた。ずっと嫌な映画だったのに、謎の高揚感があった。いつの間にかわたしはクスリをキめていたのだろうか。そういえば「ミッドサマー」を観終えたあともそんな風に感じたな。
本作は、妄想と現実の境がほとんど明かされないまま進む。まあ、ほとんどボーの都合よい(悪い)妄想だととらえたほうがいいだろう。あんな治安の終わっている街があるの、おもしろすぎるし。
「ミッドサマー」はその辺わかりやすくて親切だったと思った。「ボーはおそれている」では、序盤の、「自室に銃を持った男が入ってくるかもしれない!」というところくらいで、あとは特にサインがない。最後の審判の映像で真実が流れるかと思いきや、それも「ボーが母の家に帰る日を後回しにした」ところくらいしか明かされない。それから、過去の映像も真実か。
だからずっと何を観ているのかわからない。わかるわけがない。監督がそういう風に意図して作ってるんだから。
アリ・アスターはこれを「ヘレディタリー」や「ミッドサマー」より先に手掛けたかったということをどこかのインタビューで言っていたようだが、これをデビュー作にもってこさせなかったA24の決断は素晴らしすぎる。おかげで安心して観れた。
安心といえば、アリ・アスター作品は観ている最中に「これからこんな地獄がくるよ! 身構えてね!」と親切に無邪気にフラグを教えてくれるので、その面でも安心できる。いいことが一つも起きないこともわかりきっているので、ハッピーエンドを期待せずに、ずっと地獄なんだなと安心できる。
そんな地獄の中で普通に笑えるシーンを混ぜてくるから、なんというか癖になる。浴室で全裸でくんずほぐれつするわ、金玉はでかいわ、チンポの化身がでるわ、セラピストは笑っとるわ、ママは深呼吸からのヨッシャ!(死亡)するわ。柿ピー食ってる最中にアーモンド食べてうめえってなる感じに似てる。ちなみにママの深呼吸は面白いのでよく真似してる。誰にも伝わらないのに。
ていうかそもそも、どうしようもなく錯乱しているおじさんが追い詰められていくだけの映画って最高だよなと思った。これに尽きるな。だから高揚感があったのか。
ただ、ボーの人生が終わってエンドロールが流れたときに「自分はどうやって死ぬんだろう。この映画を面白かったと感じた自分がこの世からいつかいなくなるのがたまらなく恐ろしい」という人生への虚無感が高揚感とセットで心の中にお届けされたのもまた事実。
あとは個人的にうれしかったのが「オオカミの家」の監督と手を組んで作っていた第三セクションの場面。心の底から意気投合して作られていたのが伝わってきて、「趣味悪×趣味悪=最高」になるというノーベル化学賞受賞モノの方程式、成り立っちゃいました。
「ボーはおそれている」の呪い
何かしらの「呪い」がアリ・アスター作品にはつきものであるが、今回の呪いは「母と息子」であった。息子に執着するがゆえにすべての行動を監視し、思い通りに動かそうとする母と、そんな母への愛の返し方が分からなくて結局何もしない・できないことに逃げる息子。そこに介入するエレインというイレギュラーな存在(ところで、彼女がロマンティックなBGMのサビで腹上死したところ、笑いどころだよね?)。
わたしが不安に思うのは、この作品の広め方である。「ミッドサマー」で特に目立ったのが、大喜利的なツイートだ。本当にあれには辟易したし、それは「ミッドサマー」の感想(アメブロリンク)にもなんかいろいろ書いている。
今回もその感じで初週では広まりつつあったが、「ミッドサマー」ほどの盛り上がりはない。わたしはそれに安心している。人を選ぶ内容なのは確かだからだ。安易に観てダメージを受ける人も、「アリ・アスターつまんね」ってなってしまう人もいるだろう。そんな類の呪いが伝播してしまうことは、アリ・アスターファンとして悲しいことである。
とはいえ、この作品のジャンルはコメディで、わたしは本当に面白いと思ったし、興行収入的にもアレらしいからたくさんの人に観てもらいたい。しかしどのようなアプローチでもってすればいいのか、ずっと悩んで悩んで、効果的な方法が思いつかないまま、今こうやって散文的に文章を綴っているだけである。なんと無力なことだ。最後の審判で観客に「助けて!」と叫んでいるボーそのものである。誰も助けんて。
理解はできないけどなんか面白くてエクスタシーを感じる地獄。略して「アリ・アスター」。そんなカスみたいな大喜利にも劣る感想だけ遺して、ボート爆破して溺死します。さようなら。わたしにはボーを助けられませんでした。