「パプリカ」の例のセリフは「狂った文章」として消費されるべきか?

 表題にもある「パプリカ」というアニメ映画はご存知であろうか。2007年に公開された本作品は、90分程度ではあるが内容・映像ともに濃く、今でも人気が高い映画作品である。原作は筒井康隆による同名小説であり、近年では「観るマリファナ」とその中毒性の高さを評されることもある。
 内容を知らなかったり、観たことがないという人でも、以下の島所長による「演説」のセリフは一度は見かけたことがあるのではなかろうか。


「うん…必ずしも泥棒が悪いとはお地蔵さんも言わなかった。
パプリカのビキニよりDCミニの回収に漕ぎ出すことが幸せの秩序です。
五人官女だってです! 蛙たちの笛や太鼓に合わせて回収中の不燃ゴミから吹き出してくるさまは圧巻で、まるでコンピュータグラフィックスなんだそれが!
総天然色の青春グラフィクスや1億総プチブルを私が許さないことくらい、オセアニアじゃあ常識なんだよ!
今こそ青空に向かって凱旋だ!
絢爛たる紙吹雪は鳥居をくぐり周波数を同じくするポストと冷蔵庫は先鋒を司れ!
賞味期限を気にする無類の輩は花電車をすすむ道にさながらシミとなってはばかることはない!
思い知るがいい! 三角定規たちの肝臓を!
さあ! この内なる祭典こそ小学3年生が決めた遥かなる望遠カメラ!
進め! 集まれ! 私こそがお代官様!
ワハハハハハ!」

 最初にこの文を見かけた人は「なんだこりゃ、ヘンテコな文章だなあ」と思うことであろう。その反応は正しい。
 今回はこの有名すぎる「演説」のセリフの消費方法について考察したいと思う。
 タイトルにも書いてあるが、この一連のセリフははたして「狂った文章」として消費されるものであろうか。
 確かにインパクトは強い。一見すると意味が通っていないように思える。精神に異常をきたした人が考えたのか、と考える人もいそうだが、こちらのセリフは今敏監督が直々に考えたものである。前もって言っておくが、今敏監督は奇才であっても精神に異常をきたしてはいない。
 しかし、よくよく先程のセリフを見てほしい。主語と述語が案外しっかり繋がっているのが分かるであろう。実は文法的には正しい文章なのである。なされた工夫といえば、変な単語を散らばめただけなのだ。
 わたしは、このセリフは「狂った文章」として消費されるものではないと考える。なぜなら「狂っていない」からだ。
 それは文法的にでもあるし、内容的にもそう言える。内容で言うならば、一部「パプリカ」本編の「パレードのシーン」を示唆している箇所もあり、このセリフにはしっかり意味が持たされている。
 原作者の筒井康隆にも「単調なもの」と指摘されており、「『あそこの台詞だけ書いてくれ』って頼まれたら、書いたのに」と言っていたくらいだ。おそらく氏はこの場面のみならず、パレードシーンの狂気におちた者々の戯言に関しても指摘をしているのだろうと思われる。
 では、例のセリフはただの陳腐なものなのであろうか。わたしはそうとは言いきれないと思う。
 このセリフは、「狂った文章」として捉えることより、「口に出して読みたいセリフ」であることに良さが見られるからだ。
 セリフにはところどころに押韻が見られ、なんとなく言いたくなるようなフレーズに仕上がっている。また、文法的にも正しいため、違和感なく読み上げることができる。個人的な意見としては、「オセアニアじゃあ常識なんだよ!」は特に言いたくなるセリフではなかろうか。
 また、このセリフを紡いでいる時の、島所長のテンションの高い話し方。演出やキャラの動きも相まって、あの演技には非常に引き込まれるものがある。観ているこちらも非常に楽しくなってくる。「パプリカ」という映画作品の、クライマックスのひとつと言ってもいいほどだ。
 だから、このセリフは「狂った文章」として消費するものではなく、「口に出して読みたいセリフ」として捉える方が無難なのである。
 さて、これまでこのセリフしか知らなかった、という人には、ぜひとも「パプリカ」を視聴することを推奨したい。原作小説の方では、「狂った文章(描写)」が嫌という程味わうことが出来るので、そちらの方も手に取っていただきたい。
 さらに、なにか現実で嫌なことがあったり、仕事を辞めたくなったり、第三者によって妄想患者の夢を識閾下に投射されたりした時には、「例のセリフ」を口に出してその場から脱出することをおすすめしたい。これは、オセアニアじゃあ常識なのである。
 
 

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