反応に敏感になる生活【書く習慣チャレンジ day 26】
おはこんばんにちは
かたきりむしと申すものでございます。
今日は何もしてなかった
何もしなかった、家に引きこもって貯めていたアニメを見てゲームして終わり
そんな1日も一興。
今書いている note しかり twitter, youtube など何でもいいのですが、世の中にどんなに小さなことでもアウトプットとしていたら周りの反応がどうなのかって非常に気になってしまうことがあります。
私自身も書く習慣チャレンジを行ってからもう26日が経っており、作成した記事は30近くにもなります。
本当に少しの方ですが記事を読んでいただいて、しまいには「いいね」を押してくれる人がいて私は大変嬉しいですし、ありがとうございます!の感謝の気持ちでいっぱいになります。
この場を借りて改めてありがとうございます!
「いいね」の数は投稿している内容によって差が多少なりともあるのですが、多い方がやっぱりより嬉しくなるんですよね。
日に日に気になってしまいます。
人間の欲求って本当に怖いなと感じる瞬間です。
そして
1つ、反応に対して気になり敏感になると他のことにも敏感になっていることに気づきました。
友達に送信するLINEの返信がどうなっているか?
Twitterで個人的にはいい情報を呟いたつもりだけど何か反応があるのか?
会社でやり取りしている相手からの反応はどうか?
何か良いものがメールに届いていないか?
などなど、気になっても仕方がないことに数分単位で意識が向いている自分がいました。
気になって気になって仕方がないので、ちょっと時間が空いたら、ちょっと作業したらすぐにチェックしてしまって集中のしの字もないような状態です。
昔、Twitterで1万いいねを貰うためだけに生きている人が何かのテレビ番組とかで報道された際に
「SNSなんかに支配されることなんて私にはありえないね~馬鹿馬鹿しい」って個人的には思っていました。
ですが、今自分がそのような状態になっていて恐怖を覚えるほどです。
「これが、昔馬鹿にしてたものが感じていた気持ちか。ただやってなかっただけでアウトプットをしているとどうしても感じてしまうものなのだな」
と発信初心者がきっと陥るいいねパラサイトってやつなのかなと感じました。
ふと思い出したバンドの歌詞、まさにその通りだよ!
だからこそ、集中力は散漫で仕事に集中できてないことも多かったし、いいねの1つや2つの違いにてんやわんやしてましたとも!
いいね依存しているってことに自分で気づけたのは良かったとは思っています。部屋の隅に置いてあった 草薙龍瞬さんの著書 - 反応しない練習 - を再度より返して我に返れました。
誰かに認めて貰いたい!、良く評価されたいと言った承認欲求が人間誰にもあるのは仕方がない。
「あの記事によって他人から批判されたらどうしよう?」とか「世の中の赤の他人からはどう思われているのだろう?」とかは
ということです。
周りがどのような反応を示しているのかは結果にすぎませんし、私自身がどうこうすることも出来ません。ただ、目的に向かって1歩1歩進んでいくだけなのです。
少しでもまた、周りからはどのような反応をしているのだろうと考えてしまったら自分自身を客観的に俯瞰的に見て、反応しないように努めていくだけです。
なんか本を読んで救われた気分になりました。
ここ数年で本を読むようになって良かったなと思った瞬間です。
またどこかの記事でお会いできるのを楽しみにしています。
ではでは
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