乞う。を考ふ。
『乞う』とは何か?
そんなこと考えてる閑があったら働けと、
耳元でそんなご意見が聞えます。
じゃ『働く』って何だ?
あ〜ぁだめだこりゃ、
そんな声が聞えます。
一応調べてみますと、
【乞う】の意味は、
【働く】の意味は、
だからどうしたという話ですが、虚無僧活動として路上で辻立ちしたり、門付けしたりしていると、考えなくても良いような事を延々と考えるわけです。
『乞う。を考ふ。』シリーズ其の一はこちら。↓
先日、お賽銭をくれたご婦人が、編み笠の私の顔を覗き込んで、
「あら?お婆ちゃんかと思ったわ。まだ若いのねぇ。音大生?」
と、こんなとこで何してんのと言わんばかりに話かけてきた。
いいえ、それほど若くもありませんなんて返事をする。
「あ、そう、じゃいくつ?あら!若いじゃないの。いやぁねえ。私70代よ!」
ん、これは、70代には見えませんねと言わなければいけないくだりだろうかと思いつつそのように返事をした。
「何してるの?え?虚無僧?虚無僧って、あのこういうの被ってるの?」
そうそう、その天蓋といわれる深編み笠です。
「へー・・・」
何か納得いかないようだったので、深編み笠だと顔が見えないので怪しまれるし、江戸時代前半の虚無僧は普通の編み笠でしたよなんて説明する。
「へー・・・。私、ぶらぶらしてるのよ。あそこのショールームにスーパーカーがあったわよ!」
なんてルンルンしてる情報までいただき、私はどうもありがとうございましたとお礼を言って彼女は去って行った。
が、すぐに戻ってきて、
「写真撮っていい?SNSにアップするの。いい?アレとかコレとかに。」
なんて写真を撮って再び去って行った。
確かに70代には見えない。
どうぞ、大拡散してくださいまし🙏
そしてしばらくすると、目の前で警備員の制服を着た二人組がこちらを向かずに立っている。人々の通行の邪魔なところで。
嫌な予感がするなーと内心思っていたが、やはり来た。
「あのー、◯◯通りの巡回の者ですが、こちらの道路の演奏では許可をとっていますか?」
「許可を取っているか?」は警備員の常套句。
「道路交通法に違反する」という印籠を突き出してくるわけだ。
編み笠被って僧侶の格好をしていても関係ない。(この日は着物だったのが目立ってしまったかな…)
江戸時代はこっちが印籠持ってたのにな…。
(徳川家康が普化宗に付与したとされる掟書『慶長之掟書』には虚無僧に色々な特権が与えられていた。)
楽器じゃなくて法器だったんだけどな…。
なんてしょんぼりしつつ、さっさと止めて移動するのが賢い。
ただ、神仏に祈っているだけなのにな…。
世間は厳しい。
路上で虚無僧の辻立ちをすれば誰もが味わう、あんなこと、こんなこと、色々ありますが、そんな虚無僧行脚の随筆を書かれているのが高橋虚白師。1926年生まれの虚白師は1952年から根室を振り出しに全国行脚の旅をされたそうです。
聞いてもらおうなんて力んで吹いても誰も聞いちゃいない。諦めた頃に無心になって吹いてると、突然チャリンと偈箱に入ったりする。
師匠には、上手に吹いてやろうなんて思っては駄目。竹の持ってる最大限の良いところを引き出してあげなさいと教わった。
さて、こんな境地に行けるかどうか…。
ともかく虚無僧が、この世から忘れ去られない為に、また路上へと出かけるのであります。
古典本曲普及の為に、日々尺八史探究と地道な虚無僧活動をしております。サポートしていただけたら嬉しいです🙇