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暮露と文学📖『ぼろぼろの草子』

暮露の実体を探る!其の三!


暮露とは、虚無僧の全身と言われている人たちのこと。

中世の頃、「ぼろぼろ」「暮露々々」「暮露」と呼ばれていた。



因みにですね、名詞以外の「ぼろぼろ」の意味は、

[副](スル)
1.粒状の物がこぼれ落ちるさま。
2.もろく崩れたり、砕けたりするさま。
3.水分や粘りけがなく、ばらばらになっているさま。
4.知られていなかった事実が次々と表に出るさま。

[形動]
1.ひどくいたんでいるさま。
2.水分がなく、ばらばらであるさま。
3.心身とも疲れきっているさま。


アクセントは、
[副]ロボロ、[形動]ボロボロ

デジタル大辞泉


けっこう色々、意味ありますね。ちゃんと全部使い分けてる自分ってすごい。



「ぼろぼろ」「暮露々々」「暮露」については、こちらをご参考下さい↓



さらに因みに、こちらの方に行っちゃ
わないように↓




さて、

その、暮露のことが書かれている貴重な史料が「ぼろぼろの草子」である。ようは、「ぼろぼろ物語」。名詞の暮露を知らなかったら最悪展開な全く違う物語を想像してしまう題名。


 

『ぼろぼろの草子』とは、

1232年頃、鎌倉時代前期の華厳宗の僧、明恵高弁みょうえこうべんが書いたとされる書物。


「ぼろぼろの草子」は、虚空坊と蓮花坊の兄弟がそれぞれ、暮露、念仏者となって諸国を行脚した後、浄土宗と天台・禅系統の教義に関する問答を交わし消え去るという物語。

恋田知子著「『ぼろぼろの草子』孝」


明恵上人は京都栂尾 とがのおの高山寺開山。


1232年没した遺言によって披見ひけんが禁止されていて1338年にたまたま発見されたといわれている。


現在のところ古写本はなく、すべて近世以降のものだそう。

写本、版本は大学の図書館、国会図書館、個人蔵含め、何冊かあり、題名も「暮露暮露艸紙」「古今残葉」「柿袋」「空花論」「観音化現物語」「明恵上人革袋」などまちまち。


以下、参考文献は、保坂裕興著「17世紀における虚無僧の生成」、恋田知子著「『ぼろぼろの草子』考 宗論文芸としての意義」 

恋田氏は蓮花坊、保坂氏は蓮華坊と書いている。写本が多いせいだろうか。


 

ネズミが袋を齧ったために発見されたとも言われている。

ちょうど「ぼろぼろの草子」が書かれてから100年後に発見されたということは、今からで言うと、明治時代のものが発見されたような感覚か。


「読むな」と書いたものを死後遺言で残すのは一体何の為なのか?かなり謎ですが…。


物語は、都の油売女が、「見めあしき事たとゆべきなき」虚空坊と、「たまのごときなる」蓮華坊という対照的な二男児を生んだが、母没後に破産し、兄虚空坊は暮露に、弟蓮華坊は念仏者になり諸国を遊行行脚した後、浄土宗と天台・禅系統の教義に関する問答を交わし消え去るという物語で、兄弟は大日、阿弥陀の化身であったと結ばれるものである。内容の大半は問答形式で暮露が念仏者を論破していく様が描かれ、最後の部分でそれは「玄妙殊勝(優れている)の法門」であり、暮露の本地は「大日如来」であると結ばれている。


虚空坊が有様たとふべき事なし。かみはそらに生あがり、色くろく、たけたかく、誠に夜叉鬼王のごとく、悪人をころすこと数をしらず。(中略)彼の虚空坊の長さは七尺八寸。力は六十五人が力、絵かき紙衣に黒袴きて、一尺八寸の打刀をさし、ひるまきの (1) 八角棒を横たへ、一尺五寸のたかあしだはきけり。同様なる暮露々々三十人引具ひきぐすして諸国を行脚するに、見聞く人おそれて、かりそめにもゆきあはんといふものなし。しかれどもひがごと (2) せず、夜はふすまを引かつぎ座禅するなり。東西南北をのこさず一見し、五逆十悪三宝誹謗のものをみては我敵よと心得て打殺しに捨てにけり。善をなすものをば是非をいはず又けんどん (3)のものには布施の心を示し、瞋恚しんい(怒りの意)のものには慈悲の心をふくめ、愚癡ぐちのものには智慧をさづけ、驕慢者きょうまんには恭敬の心を教へ、放逸(なまけること、仏道に励まないことの意)の者には摂心(散乱する心を一つに摂むる)をしらしめ、懈怠ケタイの者には精進戒を授け、破戒の者には持戒を授く。

 

それにしても、虚空坊の身長七尺八寸は236センチ!デカい!そして高下駄一尺五寸 45センチの高足駄はいくらなんでも高すぎる!


語句の意味
1.【ひるまき】柄や鞘の補強・装飾目的で表面に螺旋状の模様が蛭が幹ついたようにみえることから。平安時代から幕末まで。
2.【ひがごと】道理に合わないこと
3.【けんどん】ケチ、思いやりが無い

五逆十悪三宝誹誘とは、とにかくものすごい悪いヤツで仏教心のない人のこと。

【五逆】五つの最も重い罪  
【十悪五逆】ありとあらゆる悪行
【三宝】とは、仏教における「仏・法・僧」と呼ばれる3つの宝物を指し、仏陀と法と僧のこと。この三宝に帰依し、その上で授戒することで正式に仏教徒とされる。


恋田知子著「仏と女の室町・物語草子論」より
「観音化現物語」1678年刊 柳沢昌紀氏蔵

こんな貴重な絵が存在したとはこれを見つけた時は驚きました。暮露、そのままの通りの絵!ひるまきの八角棒振り回して念仏坊主を追いかけている!


虚空坊の風体は、黒田日出男氏が指摘された『一遍聖絵』等に見える暮露の姿と一致し、「五逆十悪三宝誹誘の者をみてはわれ敵よと心得て打殺し捨にけり」とする様は、「徒然草」(1330年)第百十五段等にみえる放逸無慚の暮露の様相とも重なる。 

 


こちらは『一遍聖繪』より。

「一遍聖繪」
国立国会図書館所蔵

黒い傘に、鉢巻、紙衣の服を着ています。

子連れで何だか楽しそうですね。
先程の暮露の狂暴性は感じられませんが、暮露も色々だったのでしょうか。



<虚空坊と蓮花坊の宗論>


兄弟は諸国を遊行した後、三条東洞院で再会する。

鉦を首にかけ、念仏を唱える蓮花坊に対し、虚空坊は「愚療の念仏申がにくさに打殺んと思なり」と述べ、「大小乗は行ずるものの心によれり」、「実の浄土といふは首をふり足を踊り、顛倒するをばいわず。心念無所を浄土といふなり」と蓮花坊の念仏を批判する。これに対して蓮花坊は、虚空坊の主張を認めるものの、「髪は空へ生あがり、紙衣に画かき黒袴に打刀高履ひる巻の棒、是何仏弟子の形かや。殊女つれて簾中れんちゅう(貴婦人)と名付寵様更に心得ず」と、仏法者としてふさわしからぬ風体や妻を伴うことについてただすのである。

このような二人の争論には、顕密側からなされる融通念仏者・禅宗系下級宗教者に対する批判との、方法上の類似が認められる。本作品における宗論は、中世前期に旧仏教側から新仏教に対して盛んに行われた批判を前提とした上で、その批判の論点・内容を巧みに取り込み、虚空坊ら新仏教の下級宗教者たちの問答にすりかえるという構造になっているのである。実際的な記録としてではなく、いわば擬似的に仮構された宗論とすることができよう。

このように「ぼろぼろの草子」は、虚空坊と蓮花坊との宗論という形をかりで、中世前期に盛んになされた旧仏教側の批判とそれに対する反論を擬似的になしてみせたものと見なすことができよう。(恋田)


虚空坊・暮露の実体

<三学>を実践修行する仏教者

三学とは、仏道の修行者が必ず修めなくてはならない最も基本的な修行で、戒学・定学・慧学の三をいう。戒学は、悪を止め、善を修し、戒律を守って規律ある生活を保つこと。定学は、禅定を修して心の散乱を鎮め、心を落ち着かせること。慧学は、その戒学と定学とに基づいて真理を知見し、智慧を獲得することを意味する。

 

 

<仏教思想>

 

御邊は何衆の人ぞ。答云、是大圓覺宗のものなり。

 

『円覚経』の宗門=「圓覺宗」の者、つまり唯心論の華厳宗系仏教者であることを表明。この点はこのテクストが華厳宗の明恵に寄託されたこと、本地(本来の姿)が大日如来(毘盧遮那仏)とされたことにも合致している。

 

 

ぼろぼろの語源

”ぼろ” ”ぼろぼろ”の語源は、彼らが一字金輪呪いちじきんりんじゅ「ボロン」を連続してしょうしたことによるという。

(「七十一番職人歌合・新日本古典文学大系」より)


【一字金輪】…仏様のトップグループを仏頂尊ぶっちょうそんといいます。そのトップグループの頂点に立つのが一字金輪=大日如来。

深い瞑想の境地に至った如来が説いた一字の真言ボロン(भ्रूं [bhrūṃ])を神格化したものである。

ご真言 
一字金輪呪 (ナマサマンダボダナン ボロン)

 

 

問云、圓覺宗とは何を行するや。答云、行する事あらば何の圓覺宗とかいはん。圓覺といふは邊際もなし、只我心即如此(かくのごとく)といへり

 

ここでは「行」を否定しているが、明恵らは、戒・定・慧の<三学>を堅持したトータルな<行>を行い、定学だけが念仏や坐禅として自立した「行」を採らなかった。(保坂)

 

「師もなく不思量にして不進不退」と述べている点からも

異類異形の巷間の禅僧として、放下や自然居士らに共通するものと把握できる。(恋田)


【不思量】一切の思量分別を停止すること。考えることの徹底した否定。

 


私が描いた兄・虚空坊と、弟・蓮華坊のイラスト
古典尺八楽愛好会の案内より



『ぼろぼろの草子』は虚空坊と蓮花坊との宗論という形をかりて、中世前期に盛んになされた旧仏教側の批判と、それに対する反論を擬似的になしてみせたもの、すなわち宗論文芸とみなすことが出来る。(恋田)



「一遍聖絵」の、徳江氏、黒田氏の指摘によると、異類異形の巷間の禅僧として放下や自然居士に共通するものとされていますが、明恵上人による「ぼろぼろの草子」ではまた禅宗ではなく華厳宗であり、少々混乱しますが、これは宗論文芸ということで落ち着きたいと思います。

 

ともかく、大日如来派と阿弥陀如来派に別れたということだ。



元を辿れば同じなのに…。



この現代にも、禅宗を否定する宗派がいて、尺八を吹いている虚無僧を言論で攻撃してきたりすることもあったりする。

最近の宗教問題のせいか、めっきり何も言われなくなったが。



中世の暮露みたくいきなり打刀で切りつけては来ないが、昨今は違った意味で信仰の怖さをまた見せつけられている。それは今に始まったことではないという事も、この「ぼろぼろの草子」で垣間みることができる。


信仰とは一体何なのか、
改めて考えさせられる次第であります。

 



参考文献
保坂裕興「17世紀における虚無僧の生成」 
恋田知子「『ぼろぼろの草子』考 宗論文芸としての意義 」
恋田知子「仏と女の室町・物語草子論」

近年、主に中世史研究の立場から暮露の実態解明の一助として色々な研究者から言及なされている。

細川涼一「ぼろぼろ(暮露)」『中世の身分制と非人』1994年
原田正樹「放下僧・暮露に見る中世禅宗と民衆」『日本中世の禅宗と社会』1998年
黒田日出男「ぼろぼろ(暮露)の画像と『一遍聖絵』絵画史料の可能性を求めて」1991年

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