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【サスペンス小説】その男はサイコパス 第13話

 あくる日、四ツ井法律事務所から電話があった。出勤ではないが、謝罪文を書いた事件について、より詳しく書面にまとめて提出せよと指示された。

 無事に警察署を出たのは昨日金曜日、暑い8月の日だ。夕方になってもまだ暑く、その中を水樹と共に四ツ井法律事務所に向かった。

 水樹は事件の当事者の一人として、弁護士として、依頼人である時道老人の代理として、一緒に知也の職場まで来てくれた。

 警察署に連れて行かれる前に、法律事務所に連絡は入れておいた。ひどく驚かれはしたものの、そこは民事・刑事を問わず数々の事案を扱ってきた歴史ある法律事務所だ。すぐに、こちらから弁護士が行くと言ってくれた。

 知也は、友人の鷹野水樹弁護士に任せると答えた。それもあって、水樹には四ツ井法律事務所に顔を見せる必要が生じたのである。

 昨日、事件があった金曜日の時点では、二人して四ツ井法律事務所の所長に口頭で説明して、その後知也だけが残り、事務的な後始末をしてから帰宅の途についたのだった。

 そして今日、知也は自宅にいて、職場からの指示に答えていた。

「分かりました。昨日話した内容を書面にまとめます。土曜日ですけど今日持っていきますよ。どうせ暇ですから」

「そうしてくれるとありがたいね。君も大変だっただろうけれど、正直、月曜まで待つのもなんだからね」

 ベテラン弁護士の田中が言った。電話をしてきたのは、この田中弁護士だ。50代のいかにも切れ者といった風格の男だ。刑事事件の専門である。

「はい、少々お待ちください。午前の11時にはそちらに着きます。よろしくお願いします」

「それにしてもだね、この件は正当防衛にならないのはおかしいと思うね。もう謝罪文を書いてしまったのなら、今から蒸し返すのも面倒だろうけれどね」

「これ以上、警察相手にやり合いたくないんですよ。俺としては、鷹野弁護士はできるだけの事をしてくれたと思います」

「いやあ、しかしね、事務所全体の士気の問題もあるからね。せっかく依頼人とその孫を危険を冒して助けたのに、容疑者に謝罪とはね。君の友人はとても優秀なのだろうが、税務関係の民事が専門なのだろう? 私としてはもう少しね、やり方があったと思えてね」

「士気に関わりますか。謝罪なんて形式だけです。あの容疑者が起訴されれば、逆に俺に謝罪させたことがペナルティになるはずではありませんか? 容疑者は謝罪の必要は無いと言うべきだった。ナイフを持って不法侵入したのは、現段階でも明らかな事実です。でも容疑者は、謝罪を受けてしまいました。これからどうなるか、見物ではありませんか?」

「ま、それも確かにそうではあるがねえ」

 まだ釈然としないでいる田中の口ぶりを聞いて、知也はさらに付け加えた。

「少なくとも田中さんが担当なさるほどのことでは」

「そうだね、私も他に用件があるからね。先に私に連絡を入れてくれれば何とかしたが、こうなった以上わざわざ蒸し返すまではしなくてもいいだろうがね」

 ここで知也としては、言い訳しておく必要も感じた。田中弁護士としては、刑事専門の弁護士が自分以外にもいるのに、何故民事の弁護士に頼んだのかと言いたくもなるのだろう。

 それは推察だ。心から田中の思いに共感しているわけではない。それでも「そういうものなのだろう」と分かる。それは現代文のテストで登場人物の気持ちを推察するのと似ていた。そこに思い入れや思いやりはない。むしろ冷静に理知的に解いていくものだ。

「この件では鷹野水樹が疑われる可能性もあったと思ったんです。弁護士として、いざという時にも頼れる友人だと見せつけておいた方が、警察からの印象も良くなると思いまして。鷹野弁護士自身からは、四ツ井に連絡しろと言われましたよ」

「なるほどね、まあいいよ。これからは四ツ井に連絡してくれたまえよ。私が出られるとは限らないが、刑事専門の弁護士にね。水樹君の分も含めて、何とかするのが仕事だからね」

「かしこまりました」

 ここで謝るまではしないのが、知也のふてぶてしさだろう。それでも表向きは神妙そうな態度を示す。それは処世術だ。

「それでは、この件の書類は頼んだよ」

「はい、必ず午前の11時に参ります」

 田中弁護士が電話を切るのを待って、知也もスマートフォンを机の上に置いた。今、知也は自室にいる。

 南向きの窓に向けた机に対して、逆さにしたL字型に置かれたベッドがある。ベッドは東側の壁に沿って配置。3階建てアパートの2階の部屋だ。7畳の洋間。決して広いとは言えないが、家賃は手頃で明るく清潔、広くはない方が掃除も楽なので気に入っている。

 駅からはバスで13分ほど、自転車なら約25分。周囲は静かで近くに公園もある。それに小さなスーパーとドラッグストアが。

「マリスバーガーで書くか」

 一人しかいない部屋でつぶやく。薄手のジーンズにイタリア語で『勝利』と書かれたロゴ入りの白いTシャツを着て、知也は外に出た。今日も容赦なく暑い。

 炎天下に自転車で走る。汗が全身から滴(したた)り、目にも入りそうになる。自転車を走らせながら浴びる熱風。それほどスピードは出していない。

 駅に着くと、近くの駐輪場に停めてからマリスバーガーまでは徒歩だ。知也の足ならゆっくり歩いて5~6分ほどだった。

 店内に入ってハンバーガーセットを頼んでから、奥の席に座る。カバンに入れてきた小型のノートパソコンですぐに書き始めた。

 書き方を特に考えたのは、高木が殺されたのを見つけた時の事をどう説明するかだった。あの時には、殺されたのか重傷で済んだのか分からなかった。今は違う。昨日マリスバーガーを出てから、警察の連絡があって分かったのだ。同じ連絡は水樹にも行ったらしかった。

 高木を見つけた時、ほとんど動揺しなかった。心配もしてはいなかった。したところで無駄だからだ。それで高木が助かるのかと言えば、全く関係ないとしか言いようがない。

 できるだけの対処はした。それだけだ。

 それをそのまま正直に書けば、異常心理と思われるのは目に見えている。

 異常心理。例えそれが社会や人々にとって有効に働くのであろうとも、多数派の人々と違う心の動きは、やはり異常心理と見なされるのである。

 犯罪者やあるいは、法を犯してはいないとしても倫理感のない人非人と、同じ存在と見なされるリスクがあるのだ。

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1話あたり2,000から3,000文字です。現在連載中。

第一作目完結。83,300文字。 共感能力を欠く故に、常に沈着冷静、冷徹な判断を下せる特質を持つサイコパス。実は犯罪者になるのはごく一部…

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