【サスペンス小説】その男はサイコパス 第3話
遺言書の書き方にはいくつかある。どれを選ぼうと自由ではあるが、弁護士や行政書士などの専門家の助けを借りて遺言書を作成し、次に公証役場で公務員である公証人に見せ、法的に有効な物として厳重に保管してもらう。死後のゴタゴタを避けるには、これが一番のやり方だろう。
と、知也は考えているがそのまま告げるのは無神経だ。オブラートと修辞に包まねばならない。面倒だとは思わなかった。あまり。新しい仕事の始まりだ。いかに自分の冷淡な本性を隠して感じよく振る舞うか、考えるのは楽しかった。幸いなことに、内心がどうであれ、場の空気を読んで感じよく装(よそお)うにはどうすればいいかはよく分かっていた。
冷ややかな内面と外面の良さを才能として持って生まれたのだ。水樹とは反対に。それも共感性の乏しさを、相手に悟られるまでではあるが。長く付き合えば隠すのが難しくなる。
とは言え仕事上の関係ならば、そうなるまでに有能さと表面的にでも態度の良さを見せつければほとんど大事には至らないで済む。友人や恋人となるとそうはいかないのだ。
老人の名は時道といった。鷹野時道。鷹野水樹の母方の祖父。彼は半袖の紺のポロシャツに、ラグマットと同じように淡く明るいグレーのスラックス姿だ。足首から下は白い靴下が見える。年齢は70代の半ばと聞いたが、まだ60代の容貌と健康を保っているようだ。
知也をフローリングの床の上に──ラグマットの上ではなく──正座させたまま時道は一言も発しない。
「何かお困りの点でもありますか?」
一応そう訊いてみる。
「水樹は孫だ。本来ならわしの遺産を相続する権利はない」
「ええ、残念ながらおっしゃる通りですね」
厳密に言えば違うのだが、ここで正確に法的な話をして老人の心象を悪くしようとは思わない。こうした判断を空気を読んで苦もなくできること、それは実は誰にとっても当たり前の話ではないのだが。
遺産相続に関しては、法定相続分が定められている。『この割合だけは相続できる』ようにと、法的な権利を定めたものだ。故人の配偶者と息子や娘、親、兄弟姉妹と甥姪にはこの法定相続分がある。もしも生前贈与や遺言書によって不当に法定相続分が侵害された場合には、遺留分として権利を訴えることもできる。
もしも水樹に多額の現金か価値の高い有価証券、あるいはこの家屋敷のような重要な遺産を残すなら、遺留分を請求され、相続争いの原因になりかねない。ちなみに有価証券とは、株や債券、小切手など、財産としての価値のある証券である。
ただし遺留分は、法定相続分の全てを取り戻せるわけではない。法定相続人の権利と、遺産を残す側の権利がバッティングし合う時に、どちらにも偏らないようにしてあるからだ。そうした意味において、もしも時道老人が水樹に遺産を残すのを望むなら、水樹にそれを相続する権利が全くないわけではない。それが正確なところである。
だがそんな面倒な相続争いを避けるための有効な手段をもちろん知也は知っていた。
孫ではなく子にならば相続の権利があるが、実子である必要はない。水樹を養子にして、戸籍上は親子の関係になれば相続権が生じる。比較的よく使われる手段で、多少なりとも相続に関する業務に携わる者にとっては常識だ。
それを知也が語らなかったのは、時道老人が今は話を聞いてもらいたがっていると判断したからだけではない。それくらいの事は当然知っているだろうと考えたからでもある。
養子にするにも反対があるのだろうか、と推察してみる。法的にはどうであれ、人間の感情はそれだけで割り切れるものではない。
そう、人間の感情は法律だけでは割り切れない。同時に、感情に囚われずに粛々として法的手続きを進める必要がある。それができなければ弁護士には不向きだろう。頭の良さと法的知識だけでは弁護士にはなれない。しかし祖父に相続に関する知識を伝えることくらいは簡単なはずだ。
「水樹はわしからは何も受け取らんと言っておってな」
だから何だ? こんな時にも共感能力の乏しさと冷淡さが態度ににじみ出ないようにしなければならなかった。一方で知也が老人の煮え切らない態度をいぶかしむのにも理由はある。
法定相続分を不当に侵害されたとは見なされない程度の額を、遺言書で残せばいいだけではないのか。水樹には充分な、他の相続人にはさほど不満を抱かせないだけの額を。なに、少しは不満に思わせてもいい。裁判に訴えるだけのメリットはない、水樹と事をかまえるほどの損ではないと、思わせられたならそれで目的は達成する。そうではないだろうか? その上で時道老人の法定相続人たちには、事前に根回ししておけばいい。そう思ったが口には出さない。いかにも日本的な、曖昧さと労(いたわ)りの入り混じった微笑を浮かべながら黙ってうなずいた。
まだ苛立ちは感じなかった。今はまだ。鼻からゆっくり息を吸い込んで、細く長く吐き出した。ヨーガに伝わる気持ちを落ち着ける呼吸法だ。幸いなことに苛立ちの前兆は消えた。
「いろいろと難しい問題がお有りなのですね、鷹野様ほどの資産家ともなると。わたくしでお役に立てる事があれば相談に乗らせていただきますが」
口に出してはそう言ったが内心はそうではない。
ふざけるな、行政書士の仕事は悩み相談じゃない。誰に何をどれだけ譲るのかくらい、自分で考えて決めろ。その上で、法的な相談にならできる範囲で乗ってやる。
少なくとも目の前のこの老人は、未だ体も精神もしっかりとしていて、頭もはっきりしている。これだけの財を一代で築き上げた胆力も決断力も衰えてはいないはずだ。それなのに。それなのに、俺の苛立ちは不当だろうか。知也は考えた。
相続争いを避けて、なおかつ水樹に遺産を譲るなら選択の幅はさほど広くもないはずだ。第一、なぜこの老人は水樹に尋ねなかったのか。本当に遺産は何も要らないのか? 他の親類縁者にどう思われるかが気になるか? (あいつのことだ、気になるに決まっている)
何より法的な手続きはどうすれば良いのかと。当の相続人にしたい相手が専門家なのになぜ訊かない?
それとも、やはり俺が水樹に言った事が気になっていて、何かしら仕返しをしたいのだろうか。お手伝いに座布団も出させず、この暑い中飲み物も出さず、扇風機の風にも当たらせず、座れとも言わなかったのはそのためか?
「より複雑な法律問題でしたら、うちの弁護士がお話を聞かせていただきますが。いかがなさいますか?」
「いや、この件は君に頼みたいのだよ」
舌打ちしたい気分だった。何だ、やはり意趣返しか? 土下座して水樹に謝らせたいならさっさとそう言って欲しい。そう思った。
土下座してもよいと考えたからといって、知也は水樹に対して良心の呵責を感じているわけではなかった。水樹は大いに心痛を、おそらくはトラウマにも近い心理的ダメージを負ったであろうが、それに対し知也の方は何の罪悪感も心の痛みも感じなかった。
しかし、どうにかしたいとは考えていた。水樹と、自分を含めて彼の周囲にいる人間を助ける手段があるならそうしたいとも思ってはいたのだ。実際の話、仮に知也が涙を流して悔恨の情を示したとて、それが水樹に何の役に立つのか。知也には分からなかったし、共感もできなかった。それでも水樹が望むならそうしてやってもいいとは思うのだ。
とりあえず水樹には、土下座でもするしかないなら、そうするだけのことなのだ。余計な心情の入り込む余地はない。
「左様でございますか。お役に立てるように努力いたします」
社会人になれば、過程で努力するよりも、いかなる結果を出すかが問題だとは言われるが、法で定められているものはどうしようもない。従って、できる範囲で努力するしかないのが事実だ。そんな可愛げのない理屈を、言葉にして聞かせるなどしないが。
その時、十二畳ほどのこの洋間の奥のドアが開いた。フローリングと同じように、ダークブラウンの木材の立派な造りのドア。それが開いて見知った若者が入ってきた。水樹だった。
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