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【サスペンス小説】その男はサイコパス 第29話【愛情と温情は、必ずしも最善ではない】

マガジンにまとめてあります。


「復讐ではありません!」

 突然、水沢は大きな声を出した。今度はさすがに店内の人々も彼の方を見る。物騒な言葉だ。こんな言葉を叫べば人目を引くのは当然だった。

 知也の見るところ、それこそが水沢の本心を表していた。復讐したい。しかし、その勇気はないのだろう。それを勇気と言えるなら、だが。

 内心を悟られないようにしながら、知也は相手に調子を合わせる。

「ええ、水沢さんはそんなことを考える方ではありませんよね。水樹からもそう聞いています」

 嘘である。水樹は、わずかとは言え疑いを持っていた。警察に訊かれて叔父の話を知らせたのはそれが理由だ。

 それでも叔父の事情を知る身としては、できれば無実であって欲しい。そうも思っているだろう。

 それが水樹らしさ。あいつの煮えきらないところだ。知也は思う。いや、むしろそれが普通なのか。

「しかし水沢さん、このままでは警察にあらぬ疑いを掛けられるかも知れません」

 知也は、水樹が警察に水沢のことを知らせたのは黙っていた。今は知らせないほうがいい。今はまだ。

「わ、私は何もしていない。あの家政婦のことなど知らなかった! 本当です」

「水沢さん、ちょっと場所を変えましょうか」

 周囲の視線が気になってきた。普段は人目など気にしないが、今は重要な話をしたいのだ。

「人に話を聞かれない場所に行きましょう。近くのカラオケルームにでも。私がお支払いしますのでご安心を」

 最初からそうすべきだったが、水沢は、いきなりカラオケルームで会うのをおかしなことだと思っただろう。

 知也はすぐに最寄りのカラオケルームを探し出した。大手チェーンの系列の店だ。

 今や完全に主導権は知也が握っていた。これもまた、冷静さとそれがもたらす人を動かす力のおかげである。何とも言い知れぬ、他者への影響力を、水沢に対しては自在に行使できた。

 二人は並んで外に出た。椿がいた。喫茶店の店先に立っていたのだ。

「帰るの?」

 なんの前置きもなしに尋ねてくる。むろん知也に対してだ。水沢には一瞥もくれなかった。

 知也は椿の顔を、その眼差しを真っ直ぐに見返した。静かに、なんの感慨も持たずに。

「どなたですか?」

 知也は聞き返した。目の前にいるのが椿だとは分かっている。これが残酷な振る舞いであることも承知している。

「知也! 私が分からないの」

 分からないわけはなかった。

 名前を呼ばれてしまったからには、水沢もごまかせないだろう。

「失礼、今は大事な用事で急いでいます。また今度に」

「大事な用事って?」

 やれやれ。一緒にいるのが女でなくてよかったな。理性を失った美人の顔は、三日どころか一日でも充分だ。飽きた、というよりはうんざりした。

「知也、お願いよ。連絡して」

 押し問答をしている場合ではない。今回はイエスと言っておこう。後でどうにでもできる。

「分かったよ。連絡アプリのIDは変わってないのか?」

「変わらないわ。ねえ、きっとよ!」

「分かったよ、もう一度話し合おう」

 椿は、知也の口先だけを信じたようである。思いつめたような顔で。そんな顔をするから美人が台無しだ。彼女はいつも、持って生まれた恵まれた面を自分で台無しにしてきたのだ。知也は知っている。椿自身から聞いた。

 椿は同情やなぐさめを欲していたが、知也にはお金持ちのお嬢様のわがままとしか思えなかった。だからといって別に、もっと不幸な人がいる、なんて話をするつもりはなかった。したことは一度もない。そんなことは関係がない。関係があるのなら、その椿よりも不幸な人間には、同情となぐさめを与えなくてはならないことになる。

 知也は誰であれ、同情も共感もしない。そんな風に生まれついたのだ。そんな自分を知っているから、不幸な人間とやらを引き合いにして椿の自己憐憫をやめさせようとはしなかった。

 不幸な人間と比べたりしないよ、椿。俺はお前の前の彼氏とは違う。俺は誰にも同情しないんだ。

 前の彼氏が不幸になったら、椿、お前は気が変わって同情するだろうな。大抵の人間は、そんな風だ。移り気で気ままで。

 俺は違う。そんな風には、生まれつかなかった。

「ではこちらの方を待たせてしまいますので、失礼しますね」

 知也は水沢のほうを向いた。『おっさん』は大人しく待っていた。

「では、行きましょう」

 こうして椿をその場に残して、カラオケルームに向かった。

「知也、絶対よ!」

──あの女もいかれてるから。

 ダーツ君の言葉がよみがえる。それは高城やよいに向けた言葉だった。椿にも当てはまるのか。少なくとも椿は犯罪になるような真似はしないだろう。その点でも、やはりお嬢様なのだ。

「分かりました」

 知也は一度だけ足を止めて振り返った。なんの感慨も無いが、ある振りをすることはできた。

続く

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1話あたり2,000から3,000文字です。現在連載中。

第一作目完結。83,300文字。 共感能力を欠く故に、常に沈着冷静、冷徹な判断を下せる特質を持つサイコパス。実は犯罪者になるのはごく一部…

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