【サスペンス小説】その男はサイコパス 第14話
ノートPCを立ち上げて書き込んでいく。有料ソフトを使うが、巨大企業のお仕着せのワープロソフトではない。アウトラインプロセッサソフトをインストールして、文の全体の構造を整理・把握して書きやすくしている。
文字の飾りや図を入れるのではなく文章作成がメインならば、アウトラインプロセッサの方が使い勝手が良い。作家やライターにも愛用されている。
画面には、光の映り込みや傍からの覗き込みを避けるシートが貼ってある。ブルーライトも軽減してくれる。店の中で機密を守りながら書ける。
とは言え、勤め先の四ツ井法律事務所に知られれば良い顔はされないだろう。知也が黙っていれば、職場の者たちも片目をつぶって許容してくれる。あえてこちらから許可は求めないし、わざわざ話したりもしない。
この辺りは名門国立大学の三橋大学がある通りだけに、カジュアルなハンバーガーチェーンであっても客層は良い。そうそう覗き見をする者もいないが念のためだ。
異常心理と見なされ得る箇所はごまかしながら、素早く報告書を書き上げてゆく。記憶は他人が知れば驚くほどに鮮明で正確だった。それは売りにすべき能力として、隠さず前面に出して周囲に示しておく。昨日金曜日の口頭での報告もそうしたのだ。
水樹は改めて感心していたが、四ツ井法律事務所の者たちは知也の才覚にも慣れている。今さら大きな驚嘆はない。
書面は1時間ほどで書き上げた。さらに10分を掛けて読み直し、後は事務所でプリントアウトすると決めた。
ほぼ開店と同時にマリスバーガーに入ったので、9時半になっていた。
知也はもう一杯アイスティーを頼んだ。飲みかけをこっそり自分の水筒に入れてから店を出る。
外に出た途端、痛烈な日射しを浴びる。アスファルトからも照り返し、暑い湿気の中で蒸し焼きになりそうだ。マリスバーガー店内で濡らしてきた手ぬぐいを首に巻くと、駅にゆっくり歩いて行った。駅から職場のある副都心までは約30分。職場は最寄り駅から歩いて10分。
「よし、ご苦労さん」
田中弁護士が報告書を受け取ってくれた。
「よろしくお願いいたします」
「今後は四ツ井に連絡してくれたまえよ。名尾町君の友人の鷹野水樹弁護士は、民事の弁護士だからね」
叱責ではないが、やや強めの警告といったところか。知也はそう推察した。
「分かりました。今後はそのようにいたします」
「ま、せっかく休みの日に来たんだ。コーヒーでも奢(おご)ってあげよう。ああ、コーヒーは飲まないのだったね。ではお茶でいいかい?」
「ありがとうございます。それでは麦茶で」
田中は事務所にある自販機で冷たい麦茶を買ってくれた。自分の分の缶コーヒーも買う。
知也は礼を言って600ミリリットル入りのペットボトルを受け取った。
それからほぼすぐに四ツ井法律事務所を出た。事務所が入っているビルの外に出ると、天然のサウナのような暑さだ、ただし、サウナと違って心地よくはない。
法律事務所のあるビルは、大きめの歩道に面している。ビルを背にして歩き出すと、嫌な視線を見た。感じたのではなく見たのだ。
知也よりも若い、20代の男だ。背はかなり長身で、知也よりさらに10センチは高い。しかしひょろ長い体つきで身の丈の割にひ弱に見えた。ひ弱そうに見えるのは姿勢と顔つきのせいもある。姿勢が悪くうつむきがちで、顔を下に向けて視線だけを上に上げている。睨(にら)むというのではないが、陰湿そうな、表に出せない底意を隠していそうな目つきだ。
知也はその男に見覚えはなかった。
「時道爺さんの親戚、水樹と違って気に入られていない孫か?」
知也は声には出さず脳内でつぶやく。
「水樹は自閉症スペクトラムでコミュニケーションにやや難を持っている。エキサイトしやすい面もある。でも、頭は良く素直だ。俺と同じくらいに顔もいい。なるほど、発達障害を持って生まれたのも、時道老人にとっては可愛い孫の不憫さだろう。だがあいつは? 爺さんが可愛がりそうなタイプじゃないな」
まだ時道老人の孫だと確証はないが、そこまで考えをめぐらせた。
ゆっくりと最寄り駅に向かって歩く。若い男も付いて来ていた。スマートフォンの写真機能で後ろを確認しながら歩く。歩きスマホだが、ゆっくりと道の端を、前方にも目をやりながら歩いているのだ。普段はやらない。
自分を見ている男に気が付かれないようにするためだった。写真も2枚撮っておいた。
今朝のニュースでは知也が遭遇した事件が報道されていた。実際に体験したのとは、明確に違うわけではないが違和感がある。嘘を言っているとは言えないが。
知也の世代にはテレビを見ない者も多い。知也は、ニュースとドキュメンタリーのいくつかは見るようにしていた。テレビは全面的に信用できるものではないが、ざっと世の中の事情を知るのには役に立つ。
インターネットにはまり、気の合う仲間内だけの知識や常識に若くして凝り固まる人間が好きにはなれなかった。いや、単に好き嫌いの問題でもない。偏り過ぎるのは危険だ。長い目で見るとどこかで必ず落とし穴にはまるだろう。
テレビは年配の人間と話を合わせるのにも役立つ。ネットでは有料のニュースサイトを二箇所契約し、合計で1万5千円の年会費を払っている。
テレビを見るのは1日に30分程度、1,2時間のドキュメンタリーは録画しておいて早送りで流し見る。災害時のニュース速報のためにはラジオも用意してあるが、幸いテレビが映らないほどの事態には遭遇したことがない。そうなってもほとんど動揺せずにいられる確信がある。自信ではなく確信だ。
ともあれ、テレビでもネットニュースでも知也の名は出ていない。まして顔など分からないはずだ。しかし四ツ井の名を出しているところはいくつかはあった。
田中弁護士が正当防衛にこだわるのも、おそらくはこれが理由だろうと思われる。知也個人より事務所のイメージのためだ。
弁護士はサイコパスが多い職業の1つだ。田中はサイコパシースペクトラムの持ち主には見えない。知也個人をどうでもいいとまでは思っていないだろう。そうも考えた。
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