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【サスペンス小説】その男はサイコパス 第11話

 知也は椿の気持ちが分からなかった。相手の思いには共鳴できなかったし、自分が悪いとも思えなかった。浮気もしていない。ずっと大事に扱ってきた。あれ以上どうすればよかったのか。椿の恨み言が脳裏に響く。あの時と同じように、彼女の泣き顔が見える。

 知也は良心の痛みを少しも感じなかった。自分はできるだけのことをしたと思っているからだった。

 大きく立派な屋敷が立ち並ぶ地域を抜け、クリニックや公園、清潔ではあるがごく普通のマンションなどが並ぶ通りに出た。

「もうすぐです」

 若い警官は言った。通りの反対側に大きな建物が見えてきた。警察署だ。パトカーはその敷地内に入ってゆく。

「着きましたよ。降りてください」

 知也は若い警官に連れられ、女とは別の取り調べ室に入れられる。

 知也は、やや威圧的な態度の、いかにもベテランらしい60近くに見える刑事にありのままを話した。

 やれやれ、こっちは襲撃された側なんだぞ、とは言わない。言っても無駄だからである。ベテラン刑事の方は、水樹に対する事情聴取が終われば、弁護士としての彼と話ができるとは言ってくれた。

 知也は刑事の鋭いまなざしから目をそらさないで言った。

「今から48時間以内に検察に送検するかどうかを決める。そうですね? 送検されたら24時間以内に検察により起訴か不起訴かが決められる。俺は送検はされるかも知れませんが、おそらくは不起訴になるでしょう」

 知也の大胆にも思える冷静な態度に、ベテラン刑事もややとまどいを覚えたようだ。居心地悪げに椅子の上で身体を動かし、座り直す。知也はかまわず続けた。

「なぜならそこまでの重傷は負わせていないし、状況を考えれば反撃は許される範囲です。ただ、日本の法律は正当防衛をあまり積極的には認めたがらない。かなり厳しめに判断しますよね。だから俺は勾留された。そうでしょう、刑事さん」

 ベテラン刑事は直接の返答を避けた。

「あんた、ずいぶん冷静だね」

 その言葉に敵意はない。感心しているようにも聞こえる。

「そう見えますか?」

 当たり障りのない言い方をした。

「刑事事件も扱う法律事務所に勤めているそうだね。しかし行政書士では刑事事件には関わらないし、知識があったとしても、いざ自分がそうなって冷静でいられる奴はそうそういないよ」

「そうですか。あわてていると余計に怪しまれるような振る舞いをしてしまうでしょう? そうなりたくはないからですよ」

 これも当たり障りのない説明だった。怪しまれるような振る舞い、挙動不審というやつだ。

「まあそれは分かるがね。その鷹野弁護士からも話は聞いたがね。とても素人とは思えないほどの冷静さだったそうだね」

「まさか、俺が裏で糸を引いている計画犯罪だとでもおっしゃるんですか?」

 冗談めかしてはいたが、半ばは本気だった。それでも何の恐れも不安も感じない。普通は違うのだろう。ベテラン刑事はますます驚いたような、感心したような態度を顕(あら)わにしてきた。

「いやいや、計画犯罪だなどとは考えていないよ。それじゃまるでサスペンスドラマだね。君はそんな事はしないよね。それだけの事が出来る頭と勇気があるなら、まともなやり方でどうにかしようとする方がいいと考えるタイプだろうからね」

 さすがベテラン刑事だな、ちゃんと分かっているらしい。知也は内心で思う。口に出してはこう言った。

「その通りですよ、刑事さん。俺が落ち着いていられるのは幼い頃から養父にしつけられた呼吸法のお陰だと思います。米軍でも呼吸法は重視しているくらいですから」

 そう、呼吸法のお陰だ。そういうことにしておこう。知也は思った。あながち嘘でもない。呼吸法は確かに役に立つ。多分、漫画にあるように素数を数えるよりも。

「まあいい。君は嘘は言っていないようだし、鷹野さんのおじいさんの証言とも一致している。上手くすれば検察の世話にはならずに済むよ。ただし」

「何ですか?」

 ベテラン刑事は腰掛けている椅子を少し後ろに引いた。やれやれと肩を大きく回す。

「あのダンマリ(黙秘)を続けている容疑者にね、ちょっと謝罪文を書いてもらわねばならん。自分もやり過ぎだったとね。まあ現行の日本の法律ではそうなるんだよ。理不尽だと思うだろうが、そうしてくれればこちらも検察に送致せずに済むんだよ」

「理不尽だとは思いませんよ。あの容疑者が持っていたナイフには血は付いていなかった。高木さんは包丁で刺されていたのを俺は見た。彼女がやった証拠はありません。仮に真犯人だったとしても、俺は身を守りながら逃げればよかっただけです」

 これが万人の納得する理屈でないのは知也にも分かる。だがこれが法というものだ。

「分かってくれると嬉しいね。納得しない人もいるんだよ。そうなると検察に起訴されて裁判で争う羽目になるかも知れない」

「いったん検察に起訴されたら、有罪率は限りなく100パーセントに近いのが今の日本の司法ですよね。謝罪文一つで済むなら、この際仕方ありません」

 ベテラン刑事は、知也の物分りの良さにホッとしたようだ。

「まあ謝罪文なんてね、形式だけでいいから。こういうのはね、知ってるとは思うけど、容疑者に対してというよりは社会全体に対してね、我々警察以外の人間が過剰に自衛するようになるとね、いろいろ不都合も出てくるからでね」

「自衛権を大幅に認める国の代表格はアメリカですが、まあ犯罪の多さや自己責任論の強さからすれば、日本と比べて良い国とは言い切れないですね」

「そうそう、反対に、何で銃で自衛して撃たなかったんだ、なんて責められちゃう」

「聞いたことがあります」

「君は法律をよく知っているだけに物分りが良くて助かるよ、ホントに。行政書士って難関の国家資格だよね。俺の頭じゃ無理だなあ」

「俺の場合は、養父に良くしてもらえましたから」

 それは謙遜でなく事実である。塾にも予備校にも行かなかったが、小学校から高校まで、優秀な子どもばかりが集まる私立の一貫教育を受けられたのは養父のお陰だ。大学の4年間は水樹を見て、行政書士を選んで勉強した。在学中は就職活動をせずに勉強して試験を受け、合格してから今の法律事務所に入った。

 運が良かったのは事実だ。

「そうかい。ま、とにかく書いてくれたら容疑者に渡しておくから。多分、送致はせずに済むよ。送致しても不起訴になる。そこは安心してくれていいよ」

 知也は素直そうにうなずいてみせた。

「分かりました。謝罪文を書きますので、後はよろしくお願いいたします」

 ベテラン刑事はうなずくと立ち上がり、出ていった。出ていく間際に、

「弁護士の方の鷹野さんと話せるようにするよ」

と、言い残して。



「僕は税理士事務所での民事しか扱ったことがないし、刑事事件の専門の弁護士を頼んだ方がいい」

 水樹と話ができるようになった。もちろん同じ取り調べ室の中ではない。カウンターに透明な仕切り板を取り付けたような物を間に挟み、部屋の外側にいる弁護士と話すのだ。知也の後ろには、音を通さない金属製の頑丈なドアがある。その外には見張りの警官が立っているはずだ。

「大げさだな、大したことにはならないよ」

「いや、事態を甘く見るな。四ツ井法律事務所の弁護士さんに頼めばいいじゃないか」

「俺はお前に頼みたいんだよ、水樹」

 水樹はそこで黙り込んだ。どう返事したものか迷っているようだ。

「しかし知也、僕はきっとお前の信頼に応えられない」

「ソレが大げさだと言っているんだ。俺が形式的な謝罪文を書けば終わりだよ。書いたのをチェックしてくれ弁護士さん。民事でも謝罪文は扱うだろう?」

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1話あたり2,000から3,000文字です。現在連載中。

第一作目完結。83,300文字。 共感能力を欠く故に、常に沈着冷静、冷徹な判断を下せる特質を持つサイコパス。実は犯罪者になるのはごく一部…

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