【サスペンス小説】その男はサイコパス 第16話
四ツ井法律事務所がある広い道と、駅のある大通りは平行に離れて並んでいる。その間に、平行に通る歩道がもう一本ある。大通りより道幅は狭い。車は一方通行でしか入れないくらいだ。
ビジネス関係のビルの他に、いくつか飲食店が並ぶ。土曜の昼、人通りはそこそこ多い。知也はふと思いついて近くのラーメン屋に入る。カウンター席しかない狭い店内は満席だ。
「今は入り口でお待ちいただきますよ」
カウンターの中から中年女性が言った。隣に若い男と壮年の男がいる。家族でやっているのかと思った。
「すみません、お手洗い貸していただけますか?」
念のため100円玉を見せて尋ねる。
「店の奥ですよ。カウンターにそってこのまま真っ直ぐ突き当たりです」
「ありがとうございます」
そのまま入っていく。真先は店の中までは来ない。突き当たりにある、洋便器が一つだけのお手洗いに入る。トイレは古びているがいい香りがして清潔だった。
5分ほどしてから出た。店の中には真先の姿は見えない。店の入り口に立ち、見渡してよく注意して探す。観察力には自信がある。真先は見つからない。
「席が空きましたよ、どうぞ」
知也は言われるまま、真ん中のカウンター席に座る。一番安い塩ラーメンを頼んだ。850円だ。食べているうちに5人も外に並んだ。
繁盛はしているようだなと思うが、ラーメンの味の良し悪しはあまり分からない。塩ラーメンだが汁にコクがあり、美味いとは思った。
「ありがとうございました。急ぎなので釣りはいらないです」
1000円札を置いてすぐに店を出た。熱いラーメンを食べたために、猛暑日がますます暑く感じられる。首に巻いていた濡れた手ぬぐいで首と額を拭(ふ)く。
念のため、席を離れてからまた周囲をさり気なく見渡す。スマートフォンを見ながらなのは、地図を見て歩いていると思われるようにするためだ。真先の姿は見つからない。
「俺を見失ったか。待ちきれないで尾行を止めたか」
見失ったはずはない。十中八九、この店に入るのは見ていたはずだ。
知也が見つけられないでいるだけで、今もどこかで見ているのかも知れない。
知也は観察力はあると人からも言われるが、こうしたことのプロではない。気がつかないだけで、今も真先に見られている可能性は充分にある。
「考えても仕方がない。帰るか? いや、その前に」
もう一度メッセンジャーアプリで水樹に連絡を入れる。水樹はすぐに出てくれた。
「何かあったのか?」
「ラーメン屋に寄ったら真先を見失った。いなくなったのかも知れないが分からない。真先が休みの日に立ち寄りそうな場所を知っているか?」
「真先が立ち寄りそうな場所、か。うーん、漫画喫茶かな。ダーツコーナーのある」
「ダーツをやるのか」
「そう。一人で黙々と何時間もね。コントロールは良いんだよ。集中力を鍛えるんだって。集中力は精神のコントロールの基礎となるからってね」
「へえ。案外前向きな趣味があるんだな」
「そんな言い方するな。真先はよく陰気そうだって誤解されるけど、内気で目立ちたくないだけだよ。なのにあの身長だからね」
「もっと堂々と背筋を伸ばした方が悪目立ちしないってお前から言えよ。爺さんのお覚えも良くなるぞってな」
知也はメッセージを入力しながらニヤニヤした。
「僕も中学高校と弓道部だったから分かる。集中力は確かに精神のコントロールの基盤だよ。そんなことを言っていないで、知也もダーツをやったらどうだ?」
本気で怒らせたわけではないだろうが、水樹の返信にはやや棘がある。知也はふとひらめいた。
「水樹から真先の事を爺さんに頼んだらどうだ? 水樹が言うなら聞いてくれそうじゃないか?」
「話したよ。考えておくとだけ言われた。まあおじいさんの気持ちも分かるんだ。大金をもらって逆に変になる人もいるからね。真先がそうだってわけじゃないけど、おじいさんとしてもいろいろ考えてしまうんだよ」
「そうか」
「真先と会っても、あまり強い態度には出ないでくれ」
「強い態度には出ないよ」
その言葉には含みがある。
イザヤ書にあるように「落ち着いて、信頼していれば力を得る」と。その状態でいるのだ。
「真先には、悪気はないんだよ」
「分かったよ。それじゃまたな」
知也はまたしても一方的にメッセンジャーアプリを切った。
「ダーツ場のある漫画喫茶か。この近くなら限定的だな」
こんな時にダーツをしに行くだろうか? 行くのかも知れない。気持ちを整理するために。
検索して見つけた漫画喫茶は、四ツ井法律事務所のある通りよりもさらに向こう側、駅から離れた通りにある。そこのビルの3階。
「行くか」
警察にストーカーで通報するには証拠が足りなさ過ぎる。仕事が絡むのなら四ツ井法律事務所には知らせておいた方がいいだろう。電話を避けて人には聞かれないようにする。職場で使われるメッセンジャーアプリを使って、田中弁護士にメッセージを送った。田中から返事はない。
「一応は知らせた。漫画喫茶のダーツコーナーに行こう」
知也は、来た道を引き返し始めた。
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