フィクションに適切な評価を下すのは難しい
以前、現在ヒットしている少年漫画『ブルーロック』について記事を書きました。
すでにヒットしているということは、今の段階ではもう評価が安定しているということです。
フィクションを評価するのに色んな観点があるでしょうが、商業的な成功という点からすれば申し分ないと言えるでしょう。
個人的にも、とても面白いし、ユニークな作品と思います。いろいろな意味で刺激を受けました。
しかし、とここで私は立ち止まって考えるのです。
私は本当にこの漫画に適切な評価ができているのかと。
すでに私は知っています。『ブルーロック』がヒットしている漫画であると。アニメ化もされて2期が放映され、劇場版が公開予定だと。漫画は28巻ほども出ていて、合計で三千数百部を超えたと。
しかしその情報なしに『ブルーロック』の、そうですね、最初の5巻まで見せられて、それでも正しく評価できただろうかと。
たぶん、できなかったと思うのですよ。
前例に従って(と言っても、私がきちんと読んで知っているサッカー漫画の前例は『キャプテン翼』の中学生編までくらいである笑)「フォワードだけのチームなんて奇抜過ぎるからやめろ」とか言いそうだと自覚があります。
あとは自分のお気持ちだけで「MF(ミッドフィルダー)を活躍させましょうよ」とか言う笑
なぜお気持ちかというと、『キャプテン翼』のおかげでサッカーのそれぞれのポジションの役割を知り、主人公の翼くんと当時人気キャラだった岬くん、そしてライバルの一人の三杉くんがMFだったから、MFというポジションに思い入れがあるんですね笑
ただ、現実のサッカーでもMFは重要なポジションであろうし、『キャプテン翼』以外のサッカー漫画でも、たぶんMFは活躍していたのではないか?
となると、単なるお気持ちに大義名分らしきものができてしまうんですね。
こうなるとガチでヤバい。
まあ、公平なものの見方なんてものからは、ほど遠くなるでしょう。
さて、ウェブ小説投稿サイトに投下し始めた頃、読者からのアドバイスを聞き入れるべきだと言われ、愚かにもその助言に従ったわけですが。
結論として言えば、既存のヒット作、人気キャラ、それもかなり限定された範囲のものの真似をしろとか、ウェブ小説の流行、主流派と言ってもいいてすが、それに合わせろとか、そんな話しか聞かなかったと思います。
それは仕方のないことです。なぜなら彼らはプロの編集者でもプロの作家でもないからです。
プロの作家の定義とは? 聞くところによれば、単に商業出版の実績が一つや二つあるだけでは認められないらしいです。
仮に商業出版していればプロだとしても、自分の書いた小説とは全く異なるタイプの小説に、適切なアドバイスをするのはまず無理でしょう。
幻想文学なるものが存在することも知らない。様々なフィクションなどの影響を受けて、オリジナルの物語が編まれることも知らない。
いや、実際には知ってはいたのかも知れませんが、それこそ今流行りのコスパタイパ主義で、効率よく最短距離を行こうとしていたらしい。
そして、私にもそうさせようとしていたんです。彼ら自身は良かれと思ってね。
あとは、ファンタジーならウェブ小説の最新の流行りのを読んでいればよく、過去の名作なんてのは無視してもいいんだとか。
アドバイスの内容もさることながら、そうした風潮が合わなかったのですね。
別にコスパタイパ主義でもそれは個人の自由だし、流行りのウェブ小説だけを読んで、手っ取り早くたくさんの読者に読まれて、商業出版もしたいと思うのも自由だと思います。
ただ、誰もがそのやり方をしたがるだろうと思い込んたり、ましてそうすべきだと押し付けるのは、さすがにやめたほうがいいのじゃないでしょうか。
そのような過去の経緯があり、『ブルーロック』における天才MF糸師冴の「調和を愛する日本はやっぱり 突出した才能を平凡なガラクタに変えやがる」に、いたく共感する羽目になったのですな。
どちらかと言うと私は「いやいや、一概にそうは言えないだろう」と言いたい方の人間なのですが。
頭の一部では共感する面があるんですね。
さて、私が突出した才能の持ち主かはさておき、少なくとも、個性的な魅力のある小説を、凡作に変えかねないのは事実だと思います。
論より証拠をお見せしましょう。
こちらが、諸々のアドバイスに従って書いたほうです。
こちらは、自分の好きなように書いた小説のうちの一作です。
もしお時間があれば、どちらも比較的短い中編なので読み比べていただきたい。
おそらくは、私の言いたいことも、分かっていただけるはずです。
ここまで読んでくださってありがとうございました。また次回の記事もよろしくお願いします。