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【巻頭言・書誌情報】奈須きのこ・TYPE-MOON評論誌「Binder.」第三号 巻頭特集=奈須きのこクロニクル
〈 巻頭言 〉
奈須きのこは過◼️評価されている。
◼️に入れるのは“大”でも“小”でも構わない。
その名前が担うマス・イメージは、ある面において過大に見積もられているし、ある面において過小に値踏みされている。
たとえば『Fate/Grand Order』、あれは奈須をピンチヒッターに起用しすぎだ。低空飛行が続くと矢庭に奈須担当シナリオがポップして、話題を掻っさらい、ブランド価値が保たれる……そんな流れをもう何度も見てきた。厄介なことに奈須のシナリオは、気が利いていて、抜群におもしろい。打席に立てばほぼ確実にホームランを打ってしまう。結果、その権威と影響力は年々増すばかりであり、替えの利かない“天才”として崇敬されることもしばしばである。しかし考えてもみてほしい、奈須は本当に“天才”なのか? あれはどう見ても“秀才”の類だろう。たしかにインプットとアウトプットの量は桁違いだが、その仕事に代替性や再現性がないとは到底思えない。影響を受けたものはことごとく公言しているし、折に触れてプロットや企画書の類も公開している。クリエイティビティの内実を開陳し、自分が特段神秘的な存在でもないことを示すとともに、後進の育成を図っているのだ。ここまで雄弁な覆面作家はなかなかいない。実相を歪めかねない過大な信仰は、諌められねばならない。
奈須は有名なシナリオライターだ、それは間違いない。けれども、知名度と認知度の間には隔たりがある。奈須を知る人のうち、どれほどの人が奈須固有の作家的特性を挙げられるだろうか。“鬱展開”? 結構。では、虚淵玄や小林靖子との違いはどこにある? これらの問いへの回答を持ち合わせている者は少ない。奈須の文体を「きのこ節」と称しただけで、何かを言いえた気になっていないか。かつて匿名掲示板でネタにされたような悪文は、今やほとんど鳴りを潜めているというのに。実相を正視していない過小な臆断は、改められねばならない。
もっとも、われわれはファンコミュニティだ。盲信に曇った色眼鏡で奈須を見ている可能性は否めない。そこは、内省と相互批判でもって節制していくしかない。ただ、いくらか打算的な考えもあるのだ。武内崇を始めとするTYPE-MOON草創メンバーが奈須を担ぎ上げたのは、ひとえに作品愛のなせる業であろうか? 違う。愛だけじゃお腹は満たされない。彼らには勝算があった。販路さえ作れば絶対に売れる、刺さる人には必ず刺さる、その確信があったから協力を惜しまなかった。われわれだって、好きが昂じただけで評論誌を編むなんてことはしない。サイロ化したACGカルチャーの言説空間において奈須を扱うことは、はっきり言って、勝算しかないブルー・オーシャン戦略なのだ。安全牌を切るように、本命馬に賭けるように、型月伝奇研究に懸けている。われわれは、われわれの狂気を、至って正気に物語っている。
◆
2024年10月、YouTubeチャンネル「桜井政博のゲーム作るには」の最終回はゲーム業界を震撼させた。ゲーム制作の第一線を走る桜井は数ヶ月の休暇と約9000万円の私財をなげうち、全256本、原稿にして約30万文字分のハウツー動画を作成したというのだ。同チャンネルの意義について桜井は語る──「視聴者のかたが活用して はじめて意味を成します それが 唯一の成果です」。
不測の事態を見据えた生前贈与は、五十路を越えた多くのクリエイターにとって喫緊の課題である。過労と不摂生が祟って志半ばで斃れた仲間や先達も少なくないからだ。「そろそろアーチャーの気持ちが分かってきた」と語る奈須も、随分前から生前贈与めいたことをしてきたが、この頃はいよいよ必死になって何かを書き遺そうとしている。あの『奏章Ⅲ』の鬼気迫る筆致を見よ。誰があれを単なる虚構と捉えるものか。これまでは物語の媒介性に委ねてぼやかしてきたようなメッセージを、驚くほど直截簡明に伝えている。伝わらなければ意味がないと悟ったから、暗に自分を律してきた創作倫理を曲げてでも明け透けな直喩表現を選び取っている。そのうえで、「後に残るものたち」のための仕事=責任を放棄しないこと、死ぬまで踊り続けることを誓ったのだ。
さりとて、いくらクリエイターの側が躍起になろうと、ユーザーの側に何かを受け取ろうという意思がなければ意味を成さない。意図を汲むという発想を抜きにして、万物照応(コレスポンダンス)の成り立つ余地はない。苦渋と切実の滲む嘘偽りのない躍動には、相応の踊りでもって応えなくてはならない。
「巻頭特集=奈須きのこクロニクル」を冠する本誌本号は、作家・奈須きのこの真価を問うべく今一度その作品を吟味し、適切な応答の在り方を模索するものである。過度な賞賛や侮りを退け、より合意的で妥当な価値づけを目指して踊り狂うものである。踊りに連なる者(ダンシングマニア)が一人でも多く現れんことを切に願いながら、われわれは四肢を振り乱している。
(文責=曾良ひめる)
〈 書誌情報 〉
書名:奈須きのこ・TYPE-MOON評論誌
「Binder.」第三号
巻頭特集=奈須きのこクロニクル
発行:型月伝奇研究センター
発行日:2024年12月1日 初版第1刷
表紙イラスト:由丹
DTP・組版協力:あんな鞄
イベント価格:1,000円
サイズ:B5版、本文122ページ
印刷:株式会社栄光
頒布:2024年12月1日 文学フリマ東京39 H-56
2024年12月29日 コミックマーケット105 1日目 東h01b
2025年1月19日 文学フリマ京都9
委託:メロンブックス(12月下旬発売予定)
https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=2682103
〈 収録内容 〉
【巻頭特集=奈須きのこクロニクル】
巻頭言
曾良ひめる
奈須きのこ主要著作解題
空の境界/Notes./月姫/幻視同盟/Twilight Grass Moon, Fairy Tale Princess/Talk./Fate/stay night/DDD 1/Fate/hollow ataraxia/DDD 2/空の境界 未来福音/カナン編/宙の外/MAGNITUNING/Fate/EXTRA/月の珊瑚/魔法使いの夜/はちみつを巡る冒険/Fate/EXTRA CCC/空の境界 終末録音/2015年の時計塔/Garden of Avalon/神聖円卓領域 キャメロット/絶対魔獣戦線 バビロニア/深海電脳楽土 SE.RA.PH/妖精円卓領域 アヴァロン・ル・フェ/月姫 -A piece of blue glass moon-/黄金樹海紀行 ナウイ・ミクトラン/魔法使いの夜アフターナイト 隈乃温泉殺人事件 ~駒鳥は見た!魔法使いは二度死ぬ~/新霊長後継戦 アーキタイプ・インセプション
【論考】
TYPEーMOON世界における、嗜好品としての『食』
〜麻婆豆腐、そしてカレー〜
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影の幾何学──真アサシンが描く無名性の多面体
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型月吸血鬼論──アルクェイドは遠野志貴の夢を見るか?
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──歴史的建造物保存の思想から、奈須きのこのリメイク手法を探る。
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【エッセイ】
〝アイドル〟を見つめて──あるいは水嶋まさごを辿る旅
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