祖父の軍歴証明を請求した話

 そもそものきっかけは、ある日ツイッターに流れてきたツイートだった。
 そのツイートは、「もにょもにょ@monyomonyo5」さんという方のもので「三親等以内の親族の軍歴の取り方お伝えします!もし身内に第二次大戦時に兵隊に行っていた方がいるようでしたら、どんな部隊に配属されて、給料いくらだったかとかわかるので、オススメです!」という内容であった。
 一応、それなりのミリオタ(自称)である自分としても大いに興味を惹かれた内容だったため、実際に実行しようと思い立った訳である。

 まず、自分の三親等内親族で軍歴がある人で思い浮かんだのが父方の祖父だった。
 父の実家は岡山県で、自分も小学生の頃に数回帰省したことがあった。
 帰省した際に実家の一室には仏壇があり、そこに陸軍の軍装をした祖父の遺影が飾られていたのを見て、祖父が戦争中に軍に在籍していたであろうことは想像がついた。
 もうその頃には軍事関連に興味を持つようになっていた自分は祖母などに祖父の事を聞いたものだったが、当時も今も祖母を含め自分以外には特に軍事関連に興味など持つ人はおらず、聞くことができた話は「戦地での戦死ではなく、終戦前に戦地で病気になり帰国してから亡くなった戦病死」であったということぐらいであった。
 ちなみに、祖父は病弱であったらしく、「あのような病弱な人が招集されるようでは日本は戦争に負けるだろう」と噂されていたという話もあった。

 それからしばらくの間は取り立てて軍歴を調べるというようなこともせず、そのまま放置していたのだが、更に興味を掻き立てられることがあった。
 祖母が亡くなった時に、遺品整理というほど大掛かりなものではなかったが身の回りの品がいくつか出てきた中に祖父が出征していた時のものと思われる写真がいくつかあった。
 部隊の集合写真のようなものや、騎乗して何かを運搬しながら行進しているようなものなど。写真の裏にはいずれも「検閲済」の押印があった。
 他の親族は特に興味がないようであった中、既に社会人になっていた自分だけがそれらの写真を食い入るように眺めていた。
 結局その写真は処分されたようだが、今にして思えば強引にでも引き取っておけばよかったかもしれない。

 そうして、三度目にして祖父の軍歴に興味を掻き立てられたのが、前述のツイートであった。

 余談ではあるが、母方の祖父に関しては若干事情が複雑で、なおかつ聞いた範囲での内容では、軍歴に関しても曖昧な点が多いため調査の対象とはしなかった。
 自分が把握している内容としては、「国外への出征はしておらず内地勤務だった。」「そもそも軍人として勤務していたのかどうかも不明。」「終戦後も存命(戦死していない)」ということしかわからなかった。

 話を戻すと、軍歴に関しては父方の祖父を対象として調査を始めることにした。

 まず、軍歴を調べる場合、陸軍については各都道府県庁、海軍については厚生労働省が記録を保管しているとのこと。
 祖父は陸軍(と思われる)ことから、本籍地である岡山県庁に問い合わせを行うことになる。
 自分が祖父の三親等内親族であることを証明する必要があるのだが、その方法として、最初に祖父の除籍謄本を入手、次に父の戸籍謄本を入手、最後に自分の戸籍謄本を入手。この三点があれば証明できるのではないかと考え、その方法で問題がないかを岡山県庁のホームページから問い合わせてみた。
 ここからの出来事は時系列に沿って記載してゆく。

2月3日 岡山県庁ホームページから問い合わせ。
2月4日 岡山県庁の担当者より電話連絡あり。但し不在だったためメールで連絡するとの留守番メッセージ。同日メールにて返信あり。ひとまずは資料が保管されているか調査するため、祖父の「氏名、生年月日、本籍地」を電話かメールで知らせて欲しい、とのこと。
 祖父の生年月日が不明のため、一旦除籍謄本を入手することとした。
2月7日 除籍謄本を郵送請求(手数料750円)するため、管轄の市役所へ請求書を簡易書留で郵送。
2月8日 郵便物追跡サービスで到着済みを確認。
(2月9,10,11日は三連休)
2月12日 市役所より電話連絡。郵送請求書に記載した祖父の氏名では該当の戸籍登録無しとのこと。担当者の方と話をした結果、父の戸籍から遡って戸籍を辿り、祖父の生年月日が記載されている戸籍謄本を請求することとした。その際に手数料が追加で発生するため、差額料金分(2,250円)の定額小為替を市役所宛に簡易書留にて郵送。
2月13日 郵便物追跡サービスで到着済みを確認。
2月17日 祖父の改正原戸籍謄本到着。(返信用封筒に添付した82円切手では料金不足だった。不足分10円)祖父の生年月日が判明。
2月18日 岡山県保健福祉課担当者(先の岡山県庁ホームページから問い合わせた際に返信を頂いた方)へ電話にて、祖父の氏名、生年月日、本籍地を伝え資料の調査を依頼。追加情報として、謄本に記載されている戦病死であることと、死亡年月日を併せて伝える。
 同日メールにて返信あり。記録が残っていることと、メールの添付ファイルに軍歴資料写しの交付案内と申請用紙のPDFファイルあり。(後日、PDFファイルと同じ内容の書類が郵送にて到着。)

交付に必要なものは以下の通り。
 1.軍歴資料等閲覧(照会)申請書
 2.申請者の運転免許証または健康保険証の写し
 3.被閲覧者(対象者)の戸籍謄(抄)本
 4.返信用切手(140円)

 被閲覧者の戸籍謄(抄)本は、生年月日、本籍地、死亡の確認と、申請者との血縁関係を確認するために必要。そのため、戸籍書類で血縁関係が確認できない場合は、三親等内の血縁者であることを確認できる別の戸籍謄(抄)本が併せて必要。
 なお、戸籍謄(抄)本は交付資料と共に返却されるとのこと。
 今回は、祖父の生年月日を調べるために請求した戸籍謄本の中に父の戸籍謄本も含まれており、そちらに申請者である自分も記載されていたので祖父と父の戸籍謄本両方を提出した。

2月20日 申請書類を岡山県保健福祉部保健福祉課援護班へ簡易書留にて郵送。
2月21日 郵便物追跡サービスで到着済みを確認。
2月23日 返送郵便到着。

 到着した郵便物には、軍歴資料等閲覧(照会)申請について(回答)という表題で資料の写しを交付することと、交付資料の内容について記載されていた。
 それによると、交付資料の内容は

・兵籍届
 昭和20年10月、岡山連隊区司令部が各市町村に対し、在郷の軍隊経験者を調査したもの。
・履歴申立書
 公務扶助料の請求に必要な履歴について、岡山県が履歴書を作成するが、その際の資料として遺族側から提出された書類。

 となっていた。

 まず、兵籍届について。こちらには、以下の記載があった。(カッコ内以外は原文ママ)
一.本籍地:(本籍地住所記載)
ニ.現住所:右 同
三.本人氏名・生年月日:(氏名・生年月日記載)
四.兵種:防空兵
  出身別:第二補充兵
  陸軍文官名:陸軍一等兵
五.兵役ニ服シタル年月日、兵役区分及現在ノ役種:(入隊した年月日と部隊名、戦病死した年月日記載)
六.官等級ノ進級順序及進級年月日:(記載なし)
七.位階勲等功級発令年月日:ナシ
八.修得シタル陸軍ノ分業特業:船舶砲
九.附典適任書及其ノ日附:ナシ
十.賞罰:ナシ
十一.典(?漢字不明)歴:(最終学歴記載)
十ニ.履歴事項:(職業、招集、転属、派遣、発病、戦病死の年月日記載)
十三.本届出生年月日及本記載ノ根據:(記載なし)

 もう一つの履歴申立書には詳細な内容が記載されていた。
 年月日、任官進級昇級、事項、根拠の4つの項目があり、詳細が記載されていた。
 個人情報となるが、記録として記載しておくこととする。(カッコ内以外は原文ママ)

(年・月・日)(任官進級昇級)(事項)(根拠)
昭10・9・15:(空欄):第二補充兵役に編入さる:補充手牒
昭18・5・3:二等兵:防空兵として臨時召集:記憶
昭18・5・9:(空欄):広島暁ニ九五三部隊岩見隊:七月面会の時本人より
昭18・7:一等兵:進級ふし船舶砲兵としてビルマ方面に宇品出帆:面会時本人より
昭18・9:(以後、最後より一つ前まで空欄):神戸入港:軍事郵便
昭18・10・10:次の乗船準備中風邪等にて診断を受ける:〃(軍事郵便、以後、最後より一つ前まで同じ)
昭18・10・25:右側湿性胸膜炎と診断の結果決定
(日付に二重線で取り消し):同日広島第二陸軍病院入院
昭18・12:大阪市堺大阪陸軍病院転入
昭19・6:岡山県早島町傷痍軍人岡山療養所入所
昭19・11・18:一等兵:岡山療養所にて戰病死す:通知あり

 以上が今回取り寄せることができた記録のすべてである。
 陸軍船舶兵や暁ニ九五三部隊については、それぞれ個別に調べても興味深い内容であるが、今回は祖父の軍歴を調べることが目的であるため、それらについては割愛させていただく。

 もしも、これを読んで親族についての軍歴に興味を持たれた方がいれば、参考となれば幸いである。
 三親等内親族(本人から辿ると祖父や曽祖父など)の軍歴は調べることが可能だが、戦後長い期間が経過しているため、資料が残っていない場合もあると思われるので、行動するのであれば早めに始めることをお勧めする。
 また、今回は岡山県が本籍地である例となるが、他の都道府県では請求方法などが異なる場合があるので、ご注意頂きたい。

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