言語化と画力
人間は言語化することによって世界を認識しています。
逆に言うと、言語化しないと認識から抜け落ちてしまうということでしょう。
以前コルクマンガ専科の特別講師の先生の授業で、絵の見方の話をしていただいたことがあります。
絵の隅から隅まで言語化し、その絵を見た事がない人がそれを聞いただけで再現できるくらい詳細に見たものを言葉にするとよいということです。
その時は「ふーんなるほどー」と思っただけでしたが、実際に絵を改善しようと思った時にそれは大きな違いを産むと最近実感しています。
2回行ったさいとうなおき先生の3ヶ月上達法でも、模写したあとで特徴を洗い出し、自分の絵とどう違うかという言語化をします。
言語化を経て再度アウトプットすることで定着するわけですよね。
描きながら、もっとここは広かった、とかこのパーツは丸みを大事に、とか意識しながら言語化した注意点を再現していくのです。
今、担当さんに絵を良くするための千本ノックをしていただいています。
担当さんは描かない方なのですが、プロの目でどこがどう足りなくてどう改善したら効果があるか、資料や方法論をいろいろ提案してくださって、厳しいけれど本当にためになるのです。
ちょっとこれを見てください。
どこまでどう対象を見てどこまで描くかを言語化しただけでここまで違いが出てきます。
この間たった1ヶ月弱。
つまり、描く力が上がったわけじゃないんです。
資料が見えなかったわけじゃない、認識できていなかったということです。
難しくて描けなかったわけじゃない、どこまでどう描写したらどう見えるかが認識できていなかっただけです。
言語化の力を最近思い知って、丁寧にしっかり見てしっかり描くことの大事さを思い知ったのでした。
本当、習ったことや本に書いてあることなどって咀嚼して飲みこんで実践した時に「その通りでした!」ってなりますねえ…
聞いて知った気になっていたことが時間が経つにつれ、商業原稿をやって必要になって来てから「大事だったんだなあ」と実感しているところです。
まだまだこれから、52歳でも伸びられると思うとワクワクが止まりません!