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軽井沢香澄
2019年7月13日 01:59
対なるもの河原のチガヤと自転車補習ノートとガリガリ君溶けた氷と背骨のくぼみサバの頭と転んだ箸威勢のよいセミと夏のすべて対なるもの河原の鉄橋と自転車サボったプールとガリガリ君脂汗と背骨のくぼみ甲子園ラジオと箸の一方忘れた嫌悪と夏のすべて対なるもの河原の鉄橋と一万円サボったプールと腕の痣脂汗と喘ぐ息甲子園ラジオと日常忘れた嫌悪とカラス
2019年7月2日 02:00
恋は幻想であることは自明である。すべてのものが恋を経験し。その後に2つの解釈を得る。即ち、「幻想などいらない」「幻想でも構わない」だ。話はさらに愛へと飛ぶ。論点を先に言えば、ここで述べるのは恋と愛の違いである。それは、恋は幻想そのものであり、愛は幻想の“産物”であるという点だ。君は幻想を抱かされる。誰に?“誰かに”だ。親、兄弟、友人、クラスメイト、教師、同僚、価値のない創作物たちに。一人
2019年5月4日 21:00
朝起きれなかったことどうでもいいこと 日帰り旅行で疲れたことどうでもいいこと 連休の終わりがみえたことどうでもいいこと こんなことを詩と呼ぶことどうでもいいことが体に沁みてゆく。それがどうにも嫌で、苛立って、それでもいいや、と腑に落ちる。バク転した後のように、世界が360°変わって見える。何もしてないけど、確かに進んだ一日。どうでもいいことどうでもい
2019年1月19日 00:40
私たちは言葉を使う。言葉で歓喜を発露し、言葉で嘆きを吐露する。言葉は唯一の神への道筋である。だが、言葉こそ私たちに打ち付けられた楔である。言葉は深い断絶を残して世界を切り取る。その断絶は言葉の中には二度として帰ってこない。私は言葉でないと君に何も伝えられない。でも、言葉のどこにも私はいない。追い求めるものいつもいつも淵へと転がってゆき、いつまで経っても拾い上げることができない。永遠に