淵をなぞる
私たちは言葉を使う。言葉で歓喜を発露し、言葉で嘆きを吐露する。
言葉は唯一の神への道筋である。
だが、言葉こそ私たちに打ち付けられた楔である。
言葉は深い断絶を残して世界を切り取る。
その断絶は言葉の中には二度として帰ってこない。
私は言葉でないと君に何も伝えられない。でも、言葉のどこにも私はいない。
追い求めるものいつもいつも淵へと転がってゆき、いつまで経っても拾い上げることができない。
永遠に触れられないならば、その淵をなぞり続けるしかない。
だからこそ哲学者は理論を信奉する。
理論とはまさに真理の輪郭である。
神に似せて捏ねた泥である。