それに気づかぬ亡者である君に
恋は幻想であることは自明である。
すべてのものが恋を経験し。その後に2つの解釈を得る。即ち、「幻想などいらない」「幻想でも構わない」だ。
話はさらに愛へと飛ぶ。論点を先に言えば、ここで述べるのは恋と愛の違いである。それは、恋は幻想そのものであり、愛は幻想の“産物”であるという点だ。
君は幻想を抱かされる。誰に?“誰かに”だ。親、兄弟、友人、クラスメイト、教師、同僚、価値のない創作物たちに。一人前に感化された君は“求める君”になる。求めるものなどないのに。その”求める君”こそ、恋をしている君なのだ。
しかし求めるアテがない。さまよいながら君は叫ぶ。「恋など幻想だ!」当たり前だ。今更何をいうか。喚いて肩を落として帰ってゆくも、君を休ませてくれる場所などない。肩に手を添え励ます声がする。次があるさ、次が、次、次、次、再び感化された君が亡者のように歩き出す。
一度亡者となれば道は二つ。亡者のまま野垂れ死ぬか、救われて死ぬか。何方にせよ待つのは死である。死のない人などいない。
もし君が彷徨うことに疲れたなら、いっそ欲望の対象を作ってしまうことだ。これが欲しかったんだ、これが私の求めるものなのだ、そう安心できるものを、でっち上げてしまうがいい。それこそが欲望の対象、”愛”であるのだから。
しかるに、ある者は言う「騙されないものは彷徨う」と。