見出し画像

断れない自分は他人軸だった話

毒親×過保護のハイブリットのごまです。
先ほどミントを送迎してきた時の車中での会話です。

私:この前職場で「干し芋食べて。」って持った来られたんだよね。
ミント:うん。
私:私、干し芋嫌いじゃん。
ミント:うん。
私:でも、「ありがとうございます。」ってもらったんだよ。
ミント:え?ママが?「嫌いです。」って断ると思った。
私:でしょ?でも、出来なかったよ~。さすがの私でも。「あそこにあるからよかったら食べてね。」位だったら食べないけど、わざわざ持ってきて貰ったら断れなくない?食べれなくはないからさ。絶対に食べれないものは断るよ。納豆とかさ。でも、干し芋は好きじゃないけど食べれるじゃん。
ミント:確かに…。

なんの変哲もない会話です。

でも、話ていくうちにある結論達したのです。

『いい人と思われたい。』
っていう考えがあるっていう事でした。

実際に私が誰かに勧めた時に
「断られたくない。」って思ってるって事だと思ったのです。

私:私が誰かに勧めて「苦手だから要らない。」って言われても気にしない人間だったら、相手も断られても気にしないだろうって思えると思うわけ。でも、それが出来ないって事はいい人で居たいし、すっごい恩着せがましい人間だよね。
ミント:そうなるんだね。

他人の好意を断るなんて嫌な人間っていう思い込みが私の中にはあったようです。
「これ苦手なんだよね。」って言えないって事は相手の事も信頼していないって事だし、自分の気持ちを我慢させる事は他人からの評価の元自分を判断しているって事で、これが「他人軸」って事なのかもって思ったのです。
そして、「嫌いな物を勧めて嫌な思いさせたかも」って不安になるのも他人の評価次第で自分の感情が決まってしまう「他人軸」なのではないかと思ったのです。

そして、「好きじゃない物でも食べる行為」そのものも他人軸だとも思うのです。
私は子供の頃、食も細く食べる事が苦手でした。
でも、食べる事が好きな母親は私が食べる事が苦手だなんて思ってもみなかったと思います。
毎日、毎食「残さず食べなさい。」「好き嫌いしないで食べなさい。」と言われ続けた結果手に入れた観念だと思います。

残したら怒られるとか、人に嫌な思いさせるとか。
結局は「いい人と思ってもらいたい」って事なんだなって思ったのです。

でも、「苦手だからごめんね。」って断った後、無理やり食べさせたり、怒ったりする人はあまりいないと思うんですよね。
私だったら「苦手なのに勧めてごめん。」って素直に謝るし、「何が好き?」って聞くかも知れません。

そう言えばこれに似た事が先日ありました。
ミントが「水回りの掃除嫌いかも。掃除機かけたり部屋の掃除する方がいい。」と言うもの。
今までミントにお風呂掃除を頼む事がありました。
嫌いって知らなかったから。
私は掃除に関してはあまり嫌だと思う事は無かったし、やるもの位の認識だったのでミントも同じに特別差はないと思っていました。
嫌いと知った今は「あ、嫌いなんだもんな。」って自然と思え頼まなくなりました。
その代わり、料理が好きって言ってるのでそっちを頼む事にしています。

自分が「認めてもらえない」って勝手に思って言わなかっただけの事で、勝手に被害者面してただけで、まず開示しないと分からない事だよなって思いました。

実際に母親に自己主張する位の信頼関係は築けていないので、母親以外の人から自分の苦手を開示して行こうと思います。
母親との関係修復にはまだまだ時間がかかりそうです。

でも、関係が修復してもしなくても私は私で勝手に幸せになろうと思っています。

     
   

いいなと思ったら応援しよう!