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お正月の空を眺めて

日課のジョギングに行ってきた。

雲の流れって全部一定やと思っとったけど、離れた部分が互いに交わるように流れたり。

その動きをぼーっと眺めながら、あまりにゆっくりすぎて。

スマホの画面やったらタップして時間を飛ばしてしまいたくなるような衝動に駆られる。

その衝動を受け、集中の持久力のようなものが衰えているのかなと思った。

先日、ノートに文字を大量に書いていた時のこと。

思考が先行し、手が後手になっていたため、画数を省いたりして雑な手書きになっていることに気づいた。

それを受けて、頭の中で文字が流れていくスピードをゆっくりと、書く動作が置いていかれないように調整したところ、それだけでだいぶきれいな文字になった。

結局のところ、これも文字を書くことに飽きてしまう、集中力の欠如に近いのだろう。

速く、パパッと書いてしまう衝動を抑えながら、自分のパフォーマンスが発揮できる状態ーーこの場合は文字をきれいに書く状態を保つこと。

なぜこのような集中力の衰えが起きているのか、それは情報化した現代社会の影響を強く受けているのだろう。

消費しきれない量の情報を追いかけるように、どんどんと頭の中は高速化していき、それに身体が追いつかない。

そこまで考えて、先日シェアしたある投稿が頭をよぎる。

前十字靭帯の断裂の増加は、人間にできることを超えていることが原因だという。

投稿をシェアした当時は、人間の可能性の深さと広さの方へ目が向いていたが、今回の気づきはまた新たな視点に導いてくれた。

「人間にできることを超えている」のではなく、「自分がいま現実でできることのキャパを超えた結果」なのではないかと。

ピッチ上が社会の縮図だからか、それはわからないけど、スポーツ科学の発展により、近年ではピッチ上も高速化が進んでいる。

ピッチ内外で忙しい日々を送る中で、頭の中がどんどん速く回転する一方、体がそれに追いついていなかったことが、怪我の原因の一つかもしれない。

頭と身体の速度を合わせることによって、文字の質が変わるというーー表現だったり、この場合はパフォーマンスの方が近いのか、実際に変容した成功経験を得ているので、ぼくの中では信憑性の高い仮説だと思っている。

文字を書くことと比べて、サッカーにおける動作はより複雑かつ、ピッチ上では多大な感情の影響を無意識に受けながらプレーを実行し続けなければならない。

だからこそ、まだぼく自身が気付かない矛盾が多いだろうなと考えていて、まずやるべきは自分にとってのドンピシャを知ること。

頭の中を速度と、身体的表現速度が交わるところを探ることだ。

そして、スピード化してしまった頭の中の調整には、いわゆるマインドフルネスが一つの有効手段である。

注意力が向上することで、一つのことに集中しやすくなり、思考のスピードをコントロールできるようになる。

そしてもう一つは身体的アプローチとして無駄なく、効率的に動ける状態っていうの作れば、その結果として動作スピードも上がると考えている。

双方でのアプローチで、頭と身体の速度が離れすぎず、でもできない方に合わせるのではなく、互いのギリギリで交われるポイントを探すことがベストだろう。

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Serina Kashimoto
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