山を登っている時のあの感じ|安達茉莉子
運動は苦手なのに、なんでつい山に登ってしまうのだろう。普段駅の階段も使いたくないのに、3月には冬の北海道でスノーシューを履き、時に膝の上まで雪に埋もれながら雪山を登った。それからひと月も経たない4月、埼玉県は奥秩父にある三峰山に登った。ばったり会った友達と立ち話をしていたら、今度レンタカーを借りて三峯神社に行くというので、一緒につれていってもらったのだ。
横浜から約180キロ。レンタカーでお菓子を食べたり音楽をかけたりしながらたどり着いた秩父の山は、山を埋めるように新緑がいっせいに芽吹き出した頃だった。盛りを迎えている山桜が、薄緑の山のあちこちで丸くほの白く浮かび上がり、花びらを放出するように風に散らしている。春爛漫の山。アルフォートを片手にただ見惚れてしまった。
本殿でお参りをして茶屋で食事をとったあと、山の中を1時間半ほど歩いたところにある奥宮に向かう。友達は毎年ここに来ているのだという。誰かの思い入れのある場所に、ひょんなことから同行させてもらうのは良いものだ。誰かが歩いてきた道と、自分の道がふと合流し、少しの間一緒に進み、また離れていくような。
リュックに取り付けた熊鈴をリンリンと鳴らしながら、一歩一歩進んでいく。風に揺れてざあっと木々の葉が音を立てる。よく手入れされた高い針葉樹林の中は、光が足元に落ちていて、山の中を歩き始めて間もないのに、既に日頃の毒素がどんどん吸い出されていくようだ。
傾斜がだんだんきつくなり、木の根が土を堰き止めてできた天然の階段をただひたすら登っていく。毒素が出たのはいいが、歩き出して間もないのに既に息は上がっていて、瀕死の竜のようにゼエゼエ荒い呼吸をしている。この調子が山頂までずっと続くことに、山登り恒例の絶望を覚える。なんで山なんて登ろうと思ったんだっけ……。ゆっくり行けばいいや、どうせ進むしかないのだし……。そう言い聞かせ、諦め半分、自分のペースを取り戻し一歩一歩進む。
一歩一歩だが、今回は三足歩行だった。茶屋のおかみさんが「これ持ってきな」と貸してくれた杖を握りしめ、時に縋るようにしがみついていた。不思議なもので、たった一本の杖があるだけでもまったく違う。まず最初に杖を地面に置き、そして足を出すと、普段の直立二足歩行とは比べ物にならないほど安定する。なんで普段杖を使っていないのだろう? それくらい杖は便利だ。
三本足の生き物になって、一歩一歩足取りを選ぶ。選ぶのは、一番安全で楽な次の一歩。すぐ下は崖で滑落の危険性がある場所も少なくない。怖いので山側を歩こうとすると木の根が多く歩きにくい。段差が大きすぎるとうまく体を持ち上げられない。足捌きがいいルートはどこか。杖の先をどこに突くか。右足と左足のどちらを出すか、どこに置くか——全神経を開放して、脳がフル回転しているような状態が続く。荒く深く呼吸しながら無心になって進む。苦しいけれど気持ち良い。
「わあ……」
後ろで嘆息した友達の声に、地面をひたすら見ていた顔をあげる。樹々の間から遠くの青々とした山々が見えた。いつの間にか下界の景色とずいぶん変わっていた。思わず立ち止まって、ひと息ついて見上げる。張り詰めていた神経がほどけて、その隙間から一気に山の空気が体の中に押し寄せてくる。
「きれいだね」と答える。山を登っている間、一緒に登っている皆は「パーティー」となって、感覚を補い合う。誰かが美しい景色に、野鳥に、危険に気づいて、それを伝え合う。私は大抵どんなパーティーでも一番登れない人なので、最後尾から二番目くらいを必死に歩いている。だからこそ、先を行く人たちや「しんがり」を務めてくれる人の優しさや心配りがよくわかる。バラバラにそれぞれのペースでのぼる人もいると思うが、私はその独特の一体感が気に入っている。
知り合いの登山好きは、「山は山頂にたどり着くことがすべてではない」と言っていた。だけど、山頂が近くなるにつれ、やっぱり気分は高揚してくるものだ。振り返ると遠くに山の稜線が見えて、出発地点はあの辺りだったろうかと見当をつける。あの長い距離を歩いてきたんだと信じられない思いで見る。高さもだ。空が近い。
最後に一瞬現れる鎖場をなんとか越えて、山頂に立った時は思わず両手をあげた。達成感や爽快感という言葉でしか言いようがない、だけど言い表しようのない、たどりついたんだ、という頂上の景色。
奥宮がある妙法ヶ岳の山頂からは360度、どこを見ても眼下に壮大な山の景色が広がっている。
「写真では全然伝わらないね」
友達がカメラを下ろして言った。私も頷く。せり出した岩場を見つけてそこに立つ。遥か彼方にある青々とした山を見下ろす。春の柔らかい太陽に照らされている遠くの山は青く深く、煙るように霞んでみえた。透明な塵がぎゅっと詰まったような、大気の層の厚み。足元には針葉樹と広葉樹が混ざった豊かな森が広がっている。岩場に立つ足がヒュンとすくむ。落ちたら一巻の終わりだ。だけど同時に、飛べそうな気もしてくる。
山頂には私たちの他に誰もいなかった。何を話すわけでもなく、岩場からそれぞれ遠くを見ている。風はさほどなく、傾き始めた午後の日差しは暖かく、だけどもう間もなく夕暮れがやってくるだろう。山の中で日没を迎えることほど恐ろしく、避けるべきこともない。
「そろそろ行こうか」と言った時、なんて無粋なんだろうと我ながら思った。だけどそろそろ、行かなくては。
帰りは来たときと打って変わって、あっという間だった。はやる気持ちを抑え、帰り道の方が危ないんだからと言い聞かせる。それでも重力に引きずられ、杖をうまく使いながらどんどん降っていく。あんなにゼエゼエ言っていたのに、今は汗もかかない。目の前を行く友達は、まるで飛ぶように歩いていた。その背中を追う。太陽はまだ山の上にある。