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[再編]心配事がスッと消える禅の習慣(著者 松原正樹)
読む目的
禅の考え方、取り入れ方を学ぶ。
はじめに
みんなが心配と言っているのは、心を痛める心痛である。
本来、心配とは他者を気にかけて心を配ること。
もっと自分にも心を配っていい。
第一章 心配事はあなた自身がつくり出している
心配事は、自分ではコントロールしようのない事柄、本当に問題になるかも分からない事柄に対して、あなたの心が勝手に不安になってしまっている状態。
仏教では、全ての物事にある原因が様々な縁によって姿を変え、結果につながる。その原因の9割以上は、あなたの心模様しだい。
原因と結果が結び付き、そこで完結している分には何も問題はない。問題なのはそこに執着が生まれてしまうこと。
心配に心奪われた状態から自分を解放してあげるためには、ひとまずでいいから答えを出してしまうこと。
なるようになる。なるようにしかならない。
世の中は無常だからこそ、全ての感情は一時的なもの。無常をポジティブに捉える。
たとえ過去に失敗していても、現在も同様に失敗する理由はどこにもない。
人は、これまでの知識や経験という名のレンズを持っていて、何かを見る時にも無意識にこのレンズにピントを合わせ、自分の都合がいいように解釈してしまう。
感情そのものが苦なのではなく、その感情に執着してしまうことが苦。
とにかく人は、何も考えないでいることが無理。しかし、その感情や思考に囚われないことが、心を安定に近い状態に保つためには必要。
感情や思考は、水を注いだ時にできるあぶくのようなもの。見えるのは一瞬ですぐに消えてしまうが、私達はわざわざあぶく消えないように手を尽くしてしまうからややこしくなる。
一つの感情に囚われて長く持ち続けることは、新しい自分と出会う機会を奪ってしまう。
どんなに弱っている時でも、人は自然から気付きを貰うことができ、自分で答えを見つけることができる。
焦ったところで何かが変わるわけではない。焦っても何も始まらない。今できることは何か。
歩く瞑想:基本は足に意識を集中し、自分の足と地面がくっついていること=地と一体になっている気付きが、ざわついた心を整理してくれる。
忙しい時は、深呼吸と共に周囲の音に意識を向ける。快・不快などのジャッジはせず、音をそのまま受け止める。
食べる瞑想:食事の時間も心を鍛えるチャンス
目の前に並んだ食事を眺め、その食材がどういう過程を経て自分のもとに届いたのかを考える。
一口を味わって食べる。
食事が終わるまで繰り返す。
食べる瞑想をすることで、たくさんの人の想い、努力、働きによって自分は生かされていると気付ける。
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